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「君を愛することはない」と言った旦那様を、私は世界で一番愛しています

作者: よみなぎ
掲載日:2026/10/08

「君を愛することはない」


結婚式を終えた、その日の夜。


夫となった人は、開口一番そう告げた。


「これは家同士が決めた政略結婚だ。君を妻として愛するつもりはない。寝室も別にする」


「承知しております」


私がそう答えると、旦那様は少し意外そうな顔をした。


「驚かないのか?」


「はい。もともと、そういう条件でのお話でしたから」


三年間だけ夫婦として過ごし、その後は双方合意のうえで離縁する。


それが、この結婚の約束だった。


「話が早くて助かる」


旦那様は満足そうにうなずいた。


「俺には、真実の愛を誓った女性がいる」


「まあ」


「彼女とは身分が違いすぎて、今すぐ結婚することができない。だが三年後には必ず迎えるつもりだ」


なるほど。


だから三年間なのか。


「彼女以外を愛するつもりはない。君には悪いが、俺の真実の愛は彼女だけのものだ」


「承知いたしました」


「その代わり、三年間、君を不自由させるつもりもない」


旦那様はそう言ってから、話題を変えた。


「それと、領地の経営はすべて君に任せる」


「……領地の経営を?」


「ああ」


旦那様は面倒そうに椅子へ腰を下ろした。


「父が亡くなってから、家令や商人が毎日のように金の話を持ってくる。税収がどうだ、街道がどうだ、倉庫を直せ、鉱山の設備を替えろ。俺はそういう話が嫌いなんだ」


「ですが、それは領主のお仕事では?」


「だから嫌なんだ」


あまりにも迷いのない返事だった。


「お前は実家で、父親の仕事を手伝っていたそうだな」


「はい。帳簿を見たり、商人との交渉に同席したりする程度ですが」


「なら俺より向いている」


旦那様はあっさりと言った。


「三年間、全部やってくれ」


「すべて、ですか?」


「そうだ。細かいことまで俺に確認を取る必要もない。金が必要なら工面しろ。人を替える必要があるなら替えろ。好きにやっていい」


思わず、旦那様の顔を見つめた。


領地の帳簿を見てもいい。


商人との交渉も、自分で決めていい。


父の隣で仕事を手伝っていた私にとって、それは思いがけない言葉だった。


「本当によろしいのですか?」


「ああ。俺に面倒を持ち込まないなら、それでいい」


「旦那様」


「何だ?」


「先ほど、私を愛することはないとおっしゃいましたね」


「言ったな。それが?」


私は少しだけ考えてから、微笑んだ。


「私、世界で一番、旦那様を愛せそうですわ」


「……は?」


旦那様が眉を寄せる。


「何を言っている?」


「いいえ。お気になさらず」


「変な女だな」


「よく言われます」


旦那様は呆れたように息を吐いた。


「とにかく、領地のことは任せる。俺に面倒を持ち込むな」


「かしこまりました」


こうして。


真実の愛に生きる旦那様と。


そんな旦那様を世界で一番愛せそうな私の。


三年間の結婚生活が始まった。


◇


翌朝。


さっそく領地の帳簿を確認した私は、頭を抱えた。


収入は悪くない。


けれど、放置された街道や設備の修繕にお金がかかるうえ、旦那様は馬や服や宴会がお好きらしい。


とてもではないが、手元のお金だけでは足りなかった。


「旦那様。領地を立て直すための資金が足りません」


「なら、どうする?」


「私の実家から借りられます。ただし、返せなければ領地の資産を一部失います」


「構わん。借りろ」


「本当によろしいのですか?」


「領地のことはお前に任せたと言っただろう」


私は必要な書類を差し出した。


旦那様は署名した。


「ありがとうございます」


「なぜ礼を言う?」


「任せてくださって、ありがとうございます」


旦那様は不思議そうな顔をした。


「俺は面倒だから押しつけているだけだぞ」


「それでも、任せていただけるのは嬉しいものですわ」


「……変な女だな」


借りたお金で街道や設備を整え、無駄な支出を整理する。


半年ほどすると、領地は黒字になった。


すると旦那様がやって来た。


「儲かっているそうだな。欲しい馬がある」


見せられた金額に、私は目を瞬いた。


「今、そのお金を使うと設備の更新ができません」


「また実家から借りればいい」


「さらに資産を担保にすることになりますが」


「構わん」


「本当によろしいのですか?」


「好きにしろ」


旦那様はまた署名した。


「ありがとうございます」


「……馬を買うのは俺だぞ?」


「ええ」


「なぜお前が嬉しそうなんだ?」


「旦那様がまた任せてくださいましたから」


「やっぱり変な女だな」


◇


二年目。


領地は順調に豊かになった。


そして領地が豊かになるほど、旦那様の暮らしも華やかになった。


「王都の屋敷を改装したい」


「今は余裕がございません」


「借りればいい」


「また資産を担保にすることになります」


「構わん」


署名。


「友人を招いて宴会を開く」


「かなりの金額になりますが」


「領地は儲かっているんだろう?」


「はい。ですが――」


「なら問題ない」


署名。


「新しい馬車が欲しい」


「旦那様。このまま借入れを増やすのは、お勧めいたしません」


「またその話か」


「返せなくなれば、担保にした資産を失います」


「お前が領地を儲けさせればいいだろう?」


「それは……」


「領地のことは全部お前に任せている。俺に細かい話を持ってくるな」


私はしばらく旦那様を見つめた。


「……承知いたしました」


書類を差し出す。


旦那様は署名した。


「ありがとうございます、旦那様」


「本当にお前は、俺が署名するたびに機嫌が良くなるな」


「だって、これだけ使っておきながら、まだ私に任せてくださるのでしょう?」


「俺には分からんからな」


「でしたら、頑張りますわ」


「好きにしろ」


旦那様は呆れたように部屋を出ていった。


私は署名された書類を、大切にしまった。


◇


三年目。


約束の離縁まで、あと半年となった。


「旦那様。このままでは、よろしくありません」


私は借入金の額を見せた。


「こんなに!?」


「領地は順調ですが、それ以上に旦那様がお使いになりましたので」


「返せるのか?」


「何年か支出を抑えていただければ」


旦那様は露骨に嫌そうな顔をした。


「ほかに方法は?」


「資産を整理して、一度に返済します。収入は減りますが、管理するものも減ります」


旦那様は少し考えた。


「半年後には、お前もいなくなるんだったな」


「はい」


「なら、それでいい。面倒なものは全部整理しておけ」


「売却先は、私の実家になる可能性が高いですが」


「適正な値段なんだろう?」


「もちろんです」


「なら構わん」


私は書類を差し出した。


「本当によろしいのですね?」


「くどい。半年後には真実の愛を誓った彼女を迎えるんだ。それまでに借金も面倒事もなくしておきたい」


真実の愛。


三年前と同じ言葉に、私は微笑んだ。


「かしこまりました」


旦那様が署名する。


「ありがとうございます、旦那様」


「またそれか」


「ええ」


私は最後の一枚を受け取り、これまでの書類と一緒に大切にしまった。


◇


半年後。


約束の日が来た。


三年前と同じ応接室で、旦那様は一枚の書類を差し出した。


その隣には、美しい女性が座っている。


「約束通り、君とは離縁する」


「承知いたしました」


私は書類に署名した。


旦那様も署名する。


これで、三年間の結婚生活は終わった。


「今まで領地を管理してくれたことには感謝している」


「こちらこそ、三年間、本当にありがとうございました」


心からお礼を申し上げた。


「荷物はもうまとめてございます。本日中に実家へ戻りますわ」


「ああ」


「では最後に、領地の引き継ぎをいたしましょう」


私は帳簿を開いた。


「こちらが、今後の年間収入です」


旦那様が数字を見る。


「……少なくないか?」


「資産を整理いたしましたので」


「ああ、そうだったな」


旦那様は帳簿を眺めた。


「鉱山は?」


「実家へ売却いたしました」


「森林は?」


「そちらもです」


「倉庫もか?」


「はい」


旦那様は少し考えてから、うなずいた。


「なるほど。だから借金がなくなったのか」


「はい」


「まあ、面倒なものを減らせと言ったのは俺だからな」


旦那様はあっさり帳簿を閉じた。


けれど、隣の女性は違った。


「ちょっと待って」


「どうした?」


「では、今残っているのは?」


「こちらのお屋敷と周辺の農地です」


「それだけ?」


「普通にお暮らしになるには十分な収入がございますわ」


女性の顔が引きつった。


「豊かな領地だって聞いていたんだけど」


「領地は豊かだぞ」


旦那様は不思議そうに答えた。


「借金もなくなった」


「でも、鉱山も森林もないんでしょう?」


「ああ」


「王都のお屋敷は?」


「そちらも売却いたしました」


私が答えると、女性はしばらく黙った。


そして立ち上がった。


「私、帰るわ」


「どうしてだ?」


「聞いていた話と違うもの」


「待て。何が違うんだ?」


女性は答えず、部屋を出ていった。


旦那様は閉じた扉を見つめた。


「……何だったんだ?」


「さあ」


「まあいい。あとで話せば分かるだろう」


本当に、旦那様らしい。


私は思わず笑ってしまった。


「何だ?」


「いいえ」


私は三年前の夜を思い出した。


「旦那様。覚えていらっしゃいますか? 結婚した日の夜のことを」


「何の話だ?」


「私を愛することはない、とおっしゃいました」


「ああ。言ったな」


「そのあと、領地のすべてを私に任せてくださいました」


最初は驚いた。


けれど、任されたからにはと始めた領地経営は、思いのほか楽しかった。


私が何かを始めるたび、旦那様は任せてくださった。


お金が足りないと相談すれば、実家から借りることを許してくださった。


危険があると説明しても、それでも私に任せると署名してくださった。


そして最後には、私が三年間育ててきたものまで、実家へ売ることを認めてくださった。


「私、あの夜に申し上げましたでしょう?」


「何をだ?」


「世界で一番、旦那様を愛せそうですわ、と」


旦那様が眉を寄せる。


「そんなことを言っていたか?」


「言いましたわ」


「そうだったか」


私は笑った。


「本当に、その通りになりました」


三年間。


旦那様のおかげで、私は好きなだけ領地経営をすることができた。


たくさんの経験を積んだ。


そしてこれからは、その経験も、育ててきたものも、私の新しい人生につながっていく。


「旦那様には、いただいてばかりでしたわね」


「俺は何もしていないぞ?」


「三年間、私を信じて、好きなようにやらせてくださいました」


「俺には分からなかったから任せただけだ」


「それでもです」


私は旦那様へ頭を下げた。


「本当に、ありがとうございました」


三年間を振り返れば、感謝することばかりだった。


私は顔を上げ、旦那様に微笑んだ。


「やっぱり私、世界で一番、旦那様を愛しておりますわ」


◇


実家へ戻った私は、父と久しぶりにお茶を飲んでいた。


「それで、三年間の結婚生活はどうだった?」


「とても楽しかったですわ」


「そうか」


父は満足そうにうなずいた。


「すばらしい夫だったな」


「ええ。好きな仕事を好きなだけ任せてくださって、最後には私が育てたものまで残してくださいました」


私は紅茶を一口飲んだ。


「世界で一番、私のために尽くしてくださった旦那様ですわ」


「それなら、良い結婚だった」


「はい」


三年間だけの夫婦。


旦那様は最後まで、私を愛することはないとおっしゃっていた。


けれど。


相手のために、自分の持つものを惜しまず捧げることを、何と呼ぶのだったかしら。


「ああ、そうでしたわ」


「どうした?」


「私、旦那様からちゃんといただいておりました」


「何をだ?」


私は微笑んだ。


「真実の愛を」

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