飛べない鳥は空を見た
「イギリスの大学に行くよ、わたし」
同室の寮。椅子に座った私の髪を背後で弄りながら、天ノ伊桜は言った。
何となくそんな気はしてた。桜の器は日本の大学では収まらないだろう。海外へ行くのも納得だ。
「そっか、頑張ってね」
「うん、ありがとう」
一緒に同じ大学へ行きたかった。
けれど桜は「一緒に行く?」とは訊いてこない。私の過去を知っているからだ。
私は幼い頃、飛行機事故にあって両親を亡くしている。奇跡的に助かった私は、それ以来飛行機に乗れなくなった。だから、海外へは行けない。
本当は海外の大学へ行って欲しくない、という気持ちもある。けれど桜の人生、私が決めることは出来ない。
「進路希望調査の提出、明日だったよね。結衣は進路決めた?」
「……うん。私は無難に、近くの四ツ橋大学かな」
「東大行かないの?」
「私の頭じゃ無理だよ」
「えー、そんなことないよ。だって……」
「だって……何?」
少し間を置いてから、桜が口を開いた。
「だって、結衣が飛行機に乗れたら、一緒にイギリスへ行こうって誘ってた」
私は思わず振り返って桜を見た。突然振り返ったせいだろう、桜の青い瞳が丸くなった。
嬉しかった。桜が私のことを誘おうとしてくれていた気持ちが。心がチクっとした。桜の気持ちに応えられない私に悲しみと怒りが混じった感情が湧く。
想像した。桜と同じ大学へ行く私を。
桜が行こうとしている大学。それは世界で1番と呼ばれる場所。
桜の瞳をジッと見つめる。
「ど、どうしたの結衣?」
文武両道、容姿端麗。誰からも好かれる人気者。
ただ偶然、同じ部屋になったというだけなのに。勉強も容姿も普通の私を、彼女はよく気にかけてくれる。
「ううん、何でもない。でもやっぱり、流石に同じ大学は無理だよ。桜ほど頭良くないもん」
言って、私は前へと向き直した。
桜は何も言ってこない。どんな顔をしているのかも分からない。ただ、少し待ってから髪の毛に手が触れて、続きが再開された。
部屋に沈黙が広がる。暫くして、桜の手が止まった。
「はい、出来た」
桜が後ろで三面鏡を広げる。丁寧に編み込まれたハーフアップが完成されていた。
桜は私の黒髪を真っ直ぐで綺麗だと言って、時々このように髪の毛を結ってくれた。私は、桜の甘栗色のゆるく癖のかかった髪の方が素敵だと思っていたけれど。
「それじゃあ、今日はどこ行く?」
「新しくできた喫茶店行こう!ショートケーキが美味しいって早速評判になってるの」
普段は凛として大人な雰囲気を醸し出しているのに。無邪気に笑う桜を私は可愛いと思った。
※
「それじゃあ、元気でね桜」
涙は出なかった。けれど、笑顔で送ることも出来なかった。
「そんなしんみりしないでよ。なんだか今生の別れみたいじゃん。毎日連絡するし、夏休みには帰ってくるから安心して」
ブイサインを前に掲げーー桜が急に抱きついてきた。
「行ってきます」
「……うん、行ってらっしゃい」
カウンターの奥、見えなくなるまでずっとこっちを振り返りながら手を振る桜に、思わず笑みがこぼれた。
空港のスカイデッキで桜が乗った飛行機を見送る。青空に消えるまで、私はその場を立ち去れなかった。
※
7月のある日、桜から明後日の18時頃に日本へ着くという連絡が来た。メールには『このアイス食べたい!』と、新商品のリストが並んでいた。イギリスにいるのにどうやってチェックしているのだろう?と一瞬思ったけれど、インターネットを検索すれば新商品の情報なんて幾らでも転がっている。それよりも、イギリスにいながら日本の製品をチェックしていることを考えると面白かった。
リストには61アイスの新商品もあった。ちょうど支店が空港にある。帰ってきた足でそのままお店に寄ろうか、なんて考える。
こまめに連絡をーー時にはビデオ通話もしていたとはいえ、久々に会えることが嬉しかった。
※
テレビを流しながら、空港へ向かう支度をする。まだお昼前で気が早いとは思うけれど。1秒だってジッとしていられなかった。
『今話題のこちらのお店ではーーーー速報です』
思わずテレビに視線が移る。
『イギリスのロンドンからカタールのドーハ空港へ向かっていた飛行機が墜落したとーー』
心臓がドクりと大きく脈打つ。急にテレビの、周囲の音が消えたかのように静かになる感覚。
テレビに映し出されたのは炎上する飛行機。
呼吸が荒くなる。
急いでリモコンを手に取ってテレビを消す。
もう殆ど覚えてなかったはずの、あの頃の感覚がフラッシュバックする。
「み、水……」
キッチンへ向かい乱雑にコップを手に取って水を汲んで飲み干す。身体が熱い。もう1度水を汲んで飲む。
どのくらい経っただろうか。ようやく熱が引いてきた感覚。けれど心のざわつきは収まらない。
恐る恐るリモコンに手を伸ばして再びテレビの電源を入れる。ニュースは既に終わっていて、可愛い動物が映し出されていた。その可愛さに少しだけ心が落ち着く。
「そうだ、桜は……!!??」
急いでスマホを開いてメッセージを送る。既読はつかない。後で考えたら、飛行機に乗っているのだから、機内モードにしていれば既読はつかなくて当然なのに。
ニュースの内容を思い出す。堕ちたのはカタール行き。羽田じゃない。けれど少し考えて嫌なことを思い出す。確か彼女が送ってきた行程は直行便ではなかった。過去のメッセージを探す。あった。カタール行きと書かれたチケット。恐る恐るネットニュースを検索する。堕ちたのはーー。
ゴトン。
スマホが手から滑り落ちた。
次いで膝が崩れ落ちる。
目から水が溢れ出た。
「……や、やだよ……そんなの、そんなのって……」
再び呼吸が荒くなった。
※
1ヶ月は経っただろうか。あの日以来、桜から連絡が来ることは愚か、既読がつくことも無かった。
私はベッドの上で部屋の電気もつけずに蹲る。
ぴりりりり。
「桜!?」
スマホの着信音。
顔を上げてスマホを手に取る。
映し出されていたのは、知らない番号からだった。
着信を切ろうとして、間違えて応答を押してしまう。仕方なく耳にスマホを当て、もしもし、と訊ねる。
「水面結衣さんのお電話でお間違いなかったでしょうか? 私東京大学医学部附属病院の沢渡と申します」
電話の内容を一通り聞いて通話を切ったあと、私は身嗜みも程々に家を飛び出た。
※
「……っ!!」
ドアを開くと部屋の奥に、包帯に巻かれながらベッドに座り込む桜の姿があった。
感極まって上手く言葉が出てこない。満を持してから、周りに迷惑にならない、けれど可能な限り大きな声で名前を呼んだ。
「桜……!」
桜の青い瞳が私を見る。
「生きてて良かった……!」
ベッドに駆け寄る。
桜の口がゆっくりと開かれた。
「ごめんなさい、どちら様でしょうか?」
桜は、記憶を失っていた。




