第三話 ハンドサインが国を揺らすとは聞いてない
「……どういう意味でしょう?」
私はおそるおそる尋ねる。
王子に『なんてことをしてくれたんだ』と、言わせるレベルの事態が想像つかない。
「先に伝えておくが、アリーナ嬢は君が提示したハンドサインを使用して、兄上達とコミュニケーションを取っているよ。そこは安心していい」
良かった――と、息をつく間もなく、セシル王子の視線が刺さった。
「ただ、提示した場が悪かった。国内の貴族が一堂に会する舞踏会でハンドサインを君は周知してしまった。その結果、頭の痛い問題が見えてきてね」
テーブルに肘をつき、本当に痛そうに頭に手を当てる。
一瞬目を伏せ、また私に目を向ける。
その仕草だけで、思わずドキッとしてしまう。
「貴族の派閥内のやり取りに取り入れられている兆候が見えた。王家監視対象の家でも使用が確認されている。簡単に使えるものだ。広まるのも早い」
派閥?
王家監視対象??
これ、私が聞いていい話なの?
「まぁ……それは……こちらにも非があったかもしれませんわね」
むしろ非しかない気がする。
そっと王子から視線を逸らし、テーブルの隅に目を落とす。
「かもしれない、ではないな。アリーナ嬢への呪いと、ハンドサインの公開。結果として、こちらが後手に回る形になった」
セシル王子のため息が重い。
私の背に冷や汗が浮かぶ。
ごめんなさいと謝れば許されるだろうか?
いや、そんな雰囲気じゃないな、これは。
「それで、私にどうしろと?」
「取引をしよう」
「取引?」
これは、ドラマで見たことのあるやつか!
刑を軽くする代わりに知っていることを吐け、的な。
ここにいさせてもらえるなら、どんなことだって話しますよ、私。
エテュセ侯爵が何をしていたか、洗いざらい喋りますとも!
カレンの事は……まぁ、ほどほどに。
「ハンドサインにはどんな種類があり、それが何を指すのか。これから作られるであろうサインを事前に君と洗い出し、潰していきたい」
「それはまた……時間がかかりそうですわね」
「そう。そこがまた頭の痛いところだ。私が頻繁にここに通うわけにもいかず、かといって他のものに任せられる内容でもない」
野球で配球の合図に使われているくらいしか知らなかったのだが、まさかそんな大事になるようなものだったとは。
私の心臓がどくどくと早打つ。
舞踏会で転生に気づいたときと同じく、背中の汗も滝のようだ。
王子と目を合わせられない。
「だが、悪いことばかりでもない。これは使える武器でもある。兄上は消極的なようだが、私個人としては活用していきたい」
私の頬に冷たい指先が触れる。
そのまま、顔を目の前に向けさせられた。
セシル王子が目を細めていた。
頬杖をつき、口角が上がっている。
「近いうちに、君は王宮に住まいを移す。理由はこうだ」
王子の話を要約すると、カレンは王太子妃の地位を盤石なものとするため、アリーナを呪い殺すよう父親に指示される。
命令に逆らえず父と共に呪いの準備をしていたが、良心の呵責に耐えられずとっさの機転で内容を変えたというものだ。
ただし、呪いを実行したことには問題があるとして、王家預かりの身となるらしい。
え? こんなシナリオで王宮に戻れるの? 私。
いや、戻りたくないから説明は破綻している方がありがたいんだけど。
「アリーナ嬢は君を恨んでいないそうだ。兄上はご立腹だが、話せば状況を理解してくれるだろう。……いや、違うな。理解せざるを得ない、と言った方が正確か」
カレンと違い、アリーナは随分と懐が広いようだ。
さすがヒロイン。
呪われても恨まないなんて、私にはとてもではないが言えそうにない。
小説内で、アリーナは死の呪いをアレン王太子と解決していた。
だから、私はアリーナの安全についてはそれほど心配していなかったのだが、彼女自身はまだそれを知らないのだ。
問題なのは、持ちかけられた取引だ。
アレン王太子は、しばらく怒りが収らないだろう。
私だって会いたくない。
だが、セシル王子の提案に逆らっても、良いことがないのもわかる。
「建前は理解しましたが、本当にそれが通るのかしら?」
一応、確認だけはしてみる。
王宮に戻ってから虐められたりしたら嫌だし。
「通るよ。君が思っている以上に周囲は君に同情的だ。君の努力は誰もが認めるところであり、その矜持が踏みにじられた上に父親からの圧力だ。むしろ、とっさの機転に関心が集まっている」
あれ? なんか時の人になっていない?
しかも、私に同情が集まっている?
「本当に頭が痛い。アリーナ嬢が兄上の婚約者になったのには相応の理由があるのに、それを口外する事もできず。かといって、君には世間は同情的であり、手元に置きたいと画策している」
「私を手元に?」
「そうだよ。君の価値は、いまやうなぎ登りだ。理由は先ほど説明したとおり」
ちょっと待って。
それ、聞いてはいけない類の話では?
じっと見つめられ、額にまで汗が浮かぶ。
顔に出してはならないと、あれほど厳しく躾られてきたのに。
私じゃなくて、カレンがだけど。
「要するに、王家としては君を手放すわけにはいかなくなった。その内、君が王宮に住む理由も変わるだろう」
私たちに都合の良いものにね、と。
冷えた笑みに、今や汗が凍り付きそうだ。
「私に拒否権は?」
喉が鳴る音が聞こえた。
呼吸の仕方を忘れた気さえする。
「行使するかい? 命の保証はできないけれど」
――詰んだ。
そう理解するまでに、ほんの数拍かかった。
これは取引でも、選択でもない。
私は最初から、逃げ道のない盤上に置かれていたのだ。
さようなら、スローライフ。
またよろしくね、魑魅魍魎の住む世界。
「王宮に戻るとき、エスコートはしていただけるのかしら?」
「私で良ければ、喜んで」
この時の私は、本当の意味での『自分の価値』をまだ知らなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この物語はここで一区切りとなります。
彼女の選択が、どんな未来につながるのか――
それぞれの想像に委ねたいと思います。




