望の帝国 .ー 後
その夜。
私は再び、眩いばかりの光の中にいた。
ターゲットである同級生は、
取り巻きに囲まれて上機嫌に笑っていた。
私は最高級のスーツを纏い、
アルコールの力を借りて、
心臓の爆音を抑え込みながら彼に近づいた。
「久しぶり!」と親しげに肩を叩き、
学生時代の思い出話を餌に、彼の警戒を解く。
指先が震えていた。
だが、チップをすり替えたその瞬間――。
私の指先から、ドロリとした「黒い何か」が
全身の血管に駆け巡った。
罪悪感? 恐怖?
そんなものは一瞬で消え失せた。
代わりに湧き上がってきたのは、
この会場にいる全員を、
いや、この世界に生きるすべての人間の
「価値」を吸い尽くしたいという、
底なしの、果てしのない飢えだった。
『 "そうだ。もっとだ。もっと喰らえ。
他人の称賛も、
嫉妬も、すべてを君の養分にするんだ" 』
声はもはや囁きではなく、
数千人の喝采のような
轟音となって脳内を揺さぶる。
私は会場の中央へ歩き出した。
すれ違うインフルエンサー、
名だたる経営者たち。
彼らと目が合うたび、
彼らの「自信」や「資産」や
「フォロワーの数」が、目に見えない
光の糸となって私の中に吸い込まれてくる。
「お前ら、私を見ろ。
私こそが、お前たちが望んだ完成形だ!」
私が叫ぶと、会場の空気が物理的に歪んだ。
人々は恐怖に震えながらも、
私から目を離せなくなっていた。
まるですべてを飲み込む
ブラックホールを崇める狂信者のように、
彼らは私の足元に跪き、
スマホのカメラを向けた。
(もっとだ……もっと私に「数字」を!
もっと私に「羨望」をよこせ!)
私はモトを探した。だが、どこにもいない。
ふと、壁一面の鏡に映った自分を見ると、
私の輪郭はぐにゃりと波打ち、
皮膚の下で無数の「他人の顔」が
うごめいていた。
モトの顔、同級生の顔、
今日すれ違った見知らぬ成功者の顔。
私は、私が嫉妬したすべての人間に
「成って」いた。
「 さあ、仕上げだ。最高の舞台へ行こう 」
私は会場を飛び出し、
赤いスポーツカーへと滑り込んだ。
もはや鍵などいらない。
私の強欲そのものが、ガソリンとなって
エンジンを爆発させる。
首都高へ駆け上がると、
異常な光景が広がっていた。
街中の電光掲示板が、
すべて私の顔に書き換わっていた。
スマホの通知が止まらない。
100万、1000万、1億。
全世界が私を注視している。
全世界が私を承認している。
「あはははは!
見ろ!
私は神だ!
私は、世界そのものだ!!」
アクセルを床まで踏み抜く。
その時、空が割れた。
雲を突き抜け、巨大な、
禍々しいほどに輝く「承認メーター」が、
天の川のように夜空に出現したのだ。
私の「強欲」が、
ネットワークを通じて社会という
巨大な血管に注入された瞬間だった。
その日から、世界のルールは書き換えられた。
翌朝、人々が目覚めると、文明は変貌していた。
空に浮かぶ巨大なメーター。
他人に羨まれる行動をとれば数字が上がり、
無視されれば存在が薄くなる。
実需も、愛も、真実も消え、
すべてが「他人の目にどう映るか」という
数値だけに支配される世界。
私が渇望した地獄が、
全人類の逃れられぬ義務となったのだ。
私は、都心の一等地にそびえ立つ
漆黒のタワーの頂上に、一人座っていた。
かつて私を見下していた部長も、係長も、
今は私の足元で地面を舐めるようにして
「いいね」を乞うている。
「見てください!
私は今日、こんなに高価なワインを
飲みました!」
「私の子供は、
こんなに優秀な成績を収めました!」
人々は、私が生み出した
「理想の化け物」の影に怯えながら、
必死に自らを飾り立てる。
服従しなければ、社会から
「無価値な存在」として消去されるからだ。
「 醜いね 」
あの声が、今度は私の口から、
私の声として漏れ出た。
私は、あの得体の知れない声
そのものになっていた。
だが、その全能感の極致で、
私は見つけてしまった。
欲望の吹き溜まりのような、
ネオンが毒々しく光るスラムの片隅に。
ただ一人、数字を持たず、静寂を纏って立つ、
あの「ひかる」という名の不純物を___。




