第5話 森の祈りと毒の花
夜が明けるころ、腐肉の森は静かだった。
昨日まで漂っていた腐臭が、少しずつ和らいでいる。
ソラが作った「浄化のスープ」が効いているのだろう。
「少しずつ、森が息をしてる……」
ソラは木々の葉を撫でながら呟いた。
その指先には薄く薬草の香りが残っている。
「でも、まだ終わってないんだろ?」
「うん。この森を蝕んだ“根”は、もっと奥。そこに“毒の花”が咲いてるの。」
ソラが地図を広げる。森の最深部に印された赤い印――
それが、腐食の中心。
「放っておくと、また森全体が腐っちゃう。
あの花は、魔物だけじゃなく土地そのものを喰らうから。」
「花が……喰う?」
「そう。食べることの意味を、間違えた存在。」
その言葉に、胸がざわついた。
まるで俺自身を見透かされたようで。
森の奥は、息苦しいほど静かだった。
風も虫の声も消え、木々がまるで何かを恐れているように動かない。
そして――それは現れた。
黒紫の花弁が幾重にも重なり、中心からは甘い毒気が溢れている。
見た目は美しい。けれど、その根は地中深くまで伸び、
他の植物の栄養を吸い尽くしていた。
「……これが、毒の花。」
ソラの声が震えている。
「食べるために咲き続け、誰かの命を奪い続ける“飢えの象徴”。」
俺はゆっくりと近づく。
途端に、花が反応した。
花弁が裂け、無数の棘のような根が地面から伸び上がる。
「蓮、避けて!」
ソラが叫ぶが、その瞬間、彼女の足を黒い根が絡め取った。
花弁の中央から、粘つく液体が滴り落ちる。
それが皮膚に触れた瞬間、ソラの顔が苦痛に歪んだ。
「ソラッ!」
「だいじょ……ぶ、だから……近づいちゃ……ダメ……!」
だが、俺は迷わなかった。
“喰う”ことしかできない俺が、今できるのは――食べて、救うことだ。
体の奥で、“食感同調”がうなる。
風が止み、時間が粘るように遅くなる。
俺は黒い根に手を伸ばし、そのまま噛みついた。
舌に広がるのは、激しい苦み。
胃が焼け、喉が裂けるような痛み。
だが、飲み込むたびに体の中に熱が走る。
【食感同調:モルス・フルール】
【効果:耐毒強化+生命循環獲得】
視界が真っ白に染まり、脳の奥で何かが爆ぜた。
血が逆流するような衝撃のあと、胸の中に“もう一つの鼓動”が生まれた気がした。
その鼓動が、俺を導くように囁く。
「命は奪い合いじゃない。巡り合うものだ。」
気づけば俺の手から、淡い光が漏れていた。
その光がソラの足を絡める根を溶かし、毒を吸い上げていく。
「れ、蓮……それ……」
「“食感同調”の力だ。俺が喰った毒を、光に変えてる。」
自分でも信じられなかった。
食べることで得た力が、誰かを癒やす方向へ変化している。
やがて、花が苦しむように身をよじった。
花弁が次々としおれ、根が地に崩れ落ちていく。
最後に残った中心部だけが、静かに光っていた。
俺はその光をそっと掬い取った。
掌の上で淡く揺れる小さな結晶――まるで心臓の欠片のようだ。
「これは……?」
「モルスの“命核”。毒の花が、本当は持っていた“純粋な生命の結晶”。
本来、あの花も生きるために咲いていただけなの。」
ソラの声がかすかに震える。
その瞳には、哀しみと慈しみが入り混じっていた。
「……それを料理にしよう。」
「えっ?」
「毒を喰って癒やしたなら、最後まで責任を取る。
この命核を、“食として”還すんだ。」
俺は火を起こし、ソラとともに鍋を準備した。
命核を砕き、清香草と水を混ぜる。
淡い光がスープの表面に浮かび、やがて透明な輝きに変わった。
「この匂い……生まれたての朝みたい。」
ソラが微笑む。
その笑顔を見て、俺の中で何かが確かに変わった。
もう、“食べる”という言葉が怖くなかった。
それは、奪うことじゃない。繋ぐことだ。
「いただきます。」
二人でスープを口に含む。
優しい甘みと、花のほのかな香りが広がる。
苦みはもうどこにもなかった。
「……これは、“祈り”の味だね。」
ソラがそう言った。
焚き火の光に照らされた横顔が、どこか涙ぐんで見えた。
「お前がいなかったら、俺はこの味を知らなかった。」
「ううん。あなたが食べてくれたから、花も救われたんだよ。」
その瞬間、森の奥で風が吹いた。
腐敗していた木々がざわめき、新しい芽が顔を出す。
森が――再び息をし始めた。
夜、森を出る頃には星が瞬いていた。
風が澄んでいて、呼吸するたび胸が痛いほど清々しい。
「ねえ、蓮。」
「なんだ?」
「“食べることで生きる”って、やっぱり怖いことだよ。
でも、同じくらい、尊いことなんだ。」
「……ああ。
誰かの命を喰って生きるなら、せめて次に繋ぐ味にしたい。」
ソラは微笑んで頷く。
その笑顔は、月光よりも穏やかだった。
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