第3話 味の少女ソラ
あの夜、狼の肉を喰って生き延びた俺は、
草原の向こうから漂ってきた“香り”に導かれるように歩いていた。
風の中に混じる、出汁の香ばしい匂い。
焦げでも血でもない──“料理”の匂いだ。
「……やっぱり、誰かがいる。」
丘を越えた先、小さな小屋が見えた。
煙突から薄く煙が立ち、窓からは柔らかな光が漏れている。
まるで、異世界の中にぽつんと浮かんだ“家”だった。
近づくと、扉の前で金髪の少女が鍋をかき混ぜていた。
歳は十六、七くらい。白いエプロンが風に揺れ、髪先が陽に透ける。
スプーンを口に運び、味見をしては小さくうなずく姿。
――なんだろう。懐かしい光景だ。
「……すみません!」
声をかけると、少女がびくっと肩を跳ねさせた。
青い瞳がこちらを向く。
驚きと警戒が入り混じった表情だった。
「だ、誰……? もしかして、旅人さん?」
「まあ、そんなところです。……腹、減ってて、つい匂いにつられました」
「匂い、で?」
少女は目を瞬かせたあと、ふっと笑った。
その笑顔は、昼間の光よりも柔らかい。
「よかったら、食べていく? もうすぐ出来るところなの」
その言葉だけで、涙が出そうになった。
ああ、久しぶりに“人の優しさ”に出会ったんだ。
小屋の中は温かかった。
木のテーブルの上には乾燥した草や果実が並び、棚には瓶詰めの薬草や香辛料がぎっしり。
それらが調和するように香りを放っていた。
「ここは……薬屋か何か?」
「ううん。“医食師”の家。食べ物で病を癒やす仕事をしてるの。」
“医食師”。
その言葉に、胸が妙にざわついた。
「食べ物で……病気を治すのか?」
「うん。食べるって、身体を作ることだから。正しく食べれば、薬になるんだよ。」
そう言いながら、少女は鍋を火から下ろし、スープを器に注いだ。
ふわりと、薬草と野菜の香りが広がる。
湯気の向こうで微笑む彼女が、まるで光そのもののように見えた。
「召し上がれ。あ、熱いから気をつけてね」
「……いただきます。」
一口。
温かい。優しい。
口に広がったのは、野菜の甘みと、ハーブの清涼感。
昨日の生肉とはまるで違う。
“生きるため”の味ではなく、“生かされる”味だ。
「……うまい。」
「ほんと? よかった!」
少女は嬉しそうに笑った。
その笑顔に、胸が詰まる。
「そういえば、あなた、名前は?」
「一ノ瀬 蓮。日本……いや、この世界じゃない場所から来た。」
「異界の人?」
「……たぶんな。」
少女は少し考え込んだあと、手を差し出した。
「私はソラ。ソラ・カロメリア。医食師見習いだよ。」
その手は小さくて、けれど確かに温かかった。
スープを飲みながら、俺は昨夜のことを話した。
獣に襲われ、食わなきゃ死ぬと思って、肉を喰ったこと。
そして、スキルが発動したこと。
ソラは黙って聞いていた。
そして、ぽつりと言った。
「……その獣、苦しかっただろうね。」
「え?」
「腐肉狼はね、病に侵された魔物。暴れるのは苦しみのせい。
でも、あなたが“食べて、生きた”なら……きっと少しは救われたと思う。」
その言葉に、胸が熱くなった。
俺は“生きるために喰った”だけなのに。
彼女はそれを、“命の繋がり”だと捉えてくれた。
「……ソラ。お前、食べることを祈りだって言えるのか?」
「うん。ごはんってね、命と命が手を取り合う瞬間なんだよ。」
その声は静かで、けれど確固としていた。
俺は言葉を失った。
昨日の俺は、ただ喰らうことで生き延びた。
でも、この少女は“食べることで癒やす”道を歩いている。
同じ“食”でも、こんなに違うのか。
「そうだ、これ。」
ソラが棚から小瓶を取り出した。
中には淡い緑色の粉末が入っている。
「“回復香草”をすりつぶしたもの。あなたの体に残ってる魔物の毒を中和できるよ。」
「毒?」
「腐肉狼を食べたなら、少しは残ってるはず。放っておくと、身体が狂っちゃう。」
彼女は俺の手を取って、粉を混ぜたスープを渡した。
ほんのり苦いけど、後から甘みが広がる不思議な味。
飲み干すと、体の芯がじんわりと温かくなった。
「……すげぇ。身体が軽い。」
「でしょ? 医食師のスープは薬より効くんだから!」
胸を張るソラの姿に、思わず笑ってしまった。
夜。
外では虫が鳴き、小屋の中は焚き火の光で淡く染まっている。
ソラは日記のようなノートを広げ、静かにペンを走らせていた。
「何を書いてるんだ?」
「今日出会った人の“味”を記録してるの。人ってね、食べる物にも味にも個性があるの。」
「……俺の味は?」
「うーん……まだ、少し苦いかな。」
そう言って笑う。
冗談のようで、どこか真剣な眼差し。
俺はその横顔を見ながら、思った。
この子の作る料理には、“優しさ”がある。
誰かを救いたいという祈りが、味になっている。
俺の“喰うための食”とは、まるで違う。
「ソラ。」
「なに?」
「俺、もっと知りたい。この世界の食のこと、医食師のこと、そして──お前の料理のこと。」
ソラは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑んだ。
「……じゃあ、明日から一緒に勉強しよう。食べることで強くなる、あなたの力。
それを“癒やすために使う”方法を、きっと見つけよう。」
焚き火が小さく爆ぜ、夜風が窓を揺らした。
その音が、まるで新しい旅の始まりの合図のように響いた。
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