第12話 味を盗む影
夜の灰の街に、再び“味”が満ちていた。
焚き火の周りでは人々が笑い、スープを啜る音が絶えない。
あの日まで、死んだように沈黙していた場所とは思えないほどだった。
――けれど、それは束の間の平穏にすぎなかった。
街の北側、旧市場の跡地。
月の光に照らされた路地に、黒い影が一人、静かに立っていた。
長いコートの裾が風に揺れ、顔はフードに隠れている。
手に持つのは、黒い調理ナイフ。
刃先からは、どこか甘い――だが腐敗したような香りが漂っていた。
「“味”は、奪える。」
低くつぶやく声が、夜気を裂いた。
「奪い、混ぜ、練り直せば……魂ごと、支配できる。」
闇の料理人。
“影の味匠”と呼ばれる存在だった。
翌朝。
街の広場に異変が起きていた。
昨日まで笑っていた人々が、再び無表情になっている。
食卓には手を付けられていないスープの椀。
その香りからは、確かに“味”が抜けていた。
「また……味が、消えてる。」
ソラの声が震える。
俺はスプーンを口に運んだが、舌に何の刺激も感じなかった。
熱いのに、冷たい。甘くもなく、しょっぱくもない。
――無。
「蓮、感じる? この空気。」
ルーナが警戒の眼差しを向ける。
空気の中に、わずかに残る苦い匂い。
昨日、スープを作ったときに感じた“灰胞菌”の変質した香りだった。
「これは……何者かが“味”を奪った痕跡ね。」
その夜、街の外れで異様な音が響いた。
包丁がまな板を叩くような、乾いた連続音。
俺とソラはルーナと共に音の方へ駆け出した。
辿り着いた先――旧市場の中心で、黒い男が立っていた。
周囲には倒れた人々。
その胸元からは、淡い光が糸のように吸い上げられ、男の手元の器へと流れ込んでいた。
「お前……何をしてる!」
俺が叫ぶと、男はゆっくりとこちらを向いた。
フードの奥、赤黒い瞳がこちらを射抜く。
「味とは、魂の残滓だ。
人が“美味い”と感じる瞬間にこそ、最も純粋な命の力が宿る。
私はそれを抽出しているだけさ。」
「人の命を、食材にしてるってのか……!」
「ふふ……愚かだな。食とは、奪う行為だろう?」
その言葉に、ソラの目が怒りで燃えた。
「違う! 食べることは“分かち合う”ことよ!」
ノクスは笑う。
「理想論だ。
私が味を奪えば、世界は静かになる。誰も苦しまない。
味覚も、渇きも、欲もない“完全な沈黙の食卓”を作るのだ。」
ノクスがナイフを振る。
空気が裂け、黒い霧が一面に広がった。
霧の中で、幻のような料理が現れる。
焼き立ての肉、芳醇なスープ、光る果実――だが、どれも匂いがしない。
「これは……“偽りの味”……!」
ソラが呻く。
ノクスは嘲笑した。
「人は幻にすがる。心で味わうなど、幻想だ。」
俺は腰の短剣を抜き、霧を切り裂くように突き進む。
だが、ノクスの周囲には強烈な“無味の波動”が漂っていた。
足を一歩踏み出すたびに、味覚が鈍り、感覚が薄れていく。
「……ソラ、これじゃ戦えない!」
「蓮、下がって! “味”を思い出して!」
ソラが叫ぶ。
その声に、俺の脳裏に浮かんだのは――
初めてこの世界で食べた、あのスープの温かさ。
命を感じた“初めての一口”だった。
その瞬間、霧の中に光が走る。
俺の手から淡い緑の光が溢れ、短剣の刃を包んだ。
「……これが、“生の味”だ。」
俺は一気に間合いを詰め、ノクスの腕を弾いた。
器が砕け、吸い込まれていた“味の糸”が解き放たれる。
空気に香りが戻り、倒れていた人々が微かに息を吹き返した。
ノクスは後退しながらも、狂気の笑みを浮かべた。
「なるほど……“食うことで強くなる”か。お前が“喰者”か。」
「そうだ。だが俺は、奪うために喰うんじゃない。」
「……面白い。ならば証明してみろ。
この“世界の味”がどれほど脆いかを――」
ノクスの身体が霧となって消える。
残されたのは、冷たい風と、黒く焦げた器の破片だけだった。
戦いの後、ソラは静かに膝をついた。
「……味は、また奪われるかもしれない。でも、取り戻せる。」
ルーナが頷く。
「ええ。“心が生きている限り”ね。」
俺は空を見上げた。
夜の雲の隙間から、細い星の光が差し込んでいる。
「ノクス……。あいつ、ただの怪物じゃない。
“食”の本質を知ってる。だからこそ、歪んでる。」
「きっと、彼にも“食べる理由”があるのね。」
ソラの声には、悲しみが滲んでいた。
焚き火の炎が、灰の街の壁を照らす。
その光が、まるで“奪われた味”の残り香のように揺れていた。
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