第10話 命を繋ぐスープ
朝霧が谷を包んでいた。
小鳥の声が遠くで響き、里の煙突からは薄い湯気が上がっている。
昨日の“夢果”の香りがまだ空気に残っているようで、胸の奥が温かくなった。
だが、静かな朝は長くは続かなかった。
慌ただしい足音とともに、里の外れから人々の叫び声が響いた。
「ルーナ先生! 南の畑で倒れた人が!」
俺とソラは顔を見合わせ、すぐに駆け出した。
畑の中には、青ざめた顔の老人が倒れていた。
息はあるが、唇は紫色に変色している。
手には、黒く変色した“根菜”が握られていた。
「……まさか、腐根草を口にしたのね。」
ルーナが苦い声を漏らす。
「それ、毒なのか?」
「ええ。保存に失敗すると毒化して、神経を麻痺させるの。
でも、捨てられない人が多いのよ……食料が少ないから。」
ソラが唇を噛む。
「……私たちが、“癒しの食”を広めなきゃいけない理由、これなんだね。」
ルーナは短く頷き、俺の方を向いた。
「蓮。あなたの“食感同調”で、毒の質を感じ取れる?」
「やってみます。」
老人の口元から微かに漂う苦味。
鼻をくすぐる匂いは、以前“毒の花”で嗅いだものに似ていた。
俺は少し舌を濡らし、土に落ちた根菜の欠片を舐めた。
【食感同調:腐根草】
【効果:神経麻痺(毒性)/微量の滋養成分を確認】
「毒は確かに強いけど……中に“まだ生きてる部分”がある。」
「“生きてる部分”?」
「完全に腐ってはいない。生き残ってる細胞が、微かに“命”を保ってる。」
ルーナの瞳が光る。
「――なら、それを煮て救うこともできるかもしれない。」
俺たちは小屋に戻り、治療のための“スープ作り”を始めた。
ルーナは夢果の一片を手渡しながら言う。
「この果実には“記憶を癒やす”力がある。
もし毒によって体が命のリズムを失っているなら、それを呼び戻せるかもしれない。」
ソラが鍋に火を灯し、俺が腐根草の“まだ生きている部分”を切り取っていく。
腐敗した部分と、まだ呼吸している部分――
刃を入れるたびに、命の境界を見極めているような気がした。
「……なあ、ソラ。」
「うん?」
「お前の料理って、こうやって“誰かを救う”ためにあるんだな。」
「そうだよ。でも、あなたの力がなきゃ完成しない。
“喰う者”と“癒す者”、その両方がそろって初めて“命を繋ぐ料理”になるの。」
彼女の笑顔は、火の光の中で小さく揺れた。
俺は頷き、鍋の中へ夢果と根菜を入れた。
ぐつぐつと煮える音が、まるで心臓の鼓動のように響く。
やがて、スープは柔らかな金色に変わった。
香りは甘く、しかしその奥にわずかな苦味がある。
毒と命、光と影がひとつになったような香り。
ルーナが木の匙で一口すくい、老人の唇へ運んだ。
少しの沈黙ののち、老人の喉がゆっくりと動く。
「……あったかい……」
掠れた声が漏れた。
その瞬間、ソラの目に涙が滲む。
「……生きてる。先生、呼吸が戻ってます!」
「ええ。毒が命の循環に変わったのよ。」
ルーナは微笑み、静かに言った。
「“命を繋ぐスープ”――完成ね。」
夜。
スープの残りを火にかけ直し、俺たちは小さな食卓に座った。
鍋の中で立ちのぼる湯気は柔らかく、森の香りが混ざっている。
「……これが、“命のレシピ”の次の一行になるのかな。」
ソラが呟く。
「“毒を煮て、命を戻す”……
まるで矛盾してるけど、今なら分かる気がする。」
俺はスープを口に含んだ。
舌の上に広がる苦味が、すぐに甘みに変わる。
それはまるで、人の弱さが希望に変わるようだった。
「食べることで、生き返る味……だな。」
「うん。だから“癒やす料理”って、誰かの痛みを受け入れる味なんだと思う。」
ソラの言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。
この世界で初めて、“食”が誰かを救う瞬間を見た。
それが、どんな魔法よりも美しいことを知った。
食後、ルーナが古びた本を開いた。
《命のレシピ》の次のページに、新たな文字が浮かび上がっている。
“食は、痛みを煮て、優しさに変える。”
まるで誰かの祈りが、書に刻まれたようだった。
ルーナは静かにページを閉じる。
「蓮、ソラ。
あなたたち二人が作ったスープが、この里の命を繋いだ。
それが医食師としての第一歩よ。」
ソラが微笑み、俺に視線を向ける。
「……これからも一緒に、食の意味を探そうね。」
「ああ。今度は“癒やすために食う”。それが、俺の進む道だ。」
夜の空に、星が瞬いていた。
焚き火の光が鍋の底を照らし、金色のスープが静かに揺れる。
その光はまるで、命そのものが燃えているようだった。
俺は匙をそっと鍋に沈め、ひと口すくう。
温かさが喉を通り、胸の奥に広がっていく。
生きることも、喰うことも、癒やすことも――
すべてはこの一匙の中にある。
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