皇帝なき帝国
ドイツ連邦共和国――
それは「首相」と「大統領」という二つの制度的柱に支えられた議会制民主主義国家。
だが今、世論はかつてないほど「象徴」となる存在を求めていた。
移民問題、エネルギー危機、国際不安、経済減速……現実の前に、制度は空回りし、政治家たちは人気取りの言葉しか発せなくなっていた。
そのとき、人々の記憶に浮かび上がったのが――
「かつて、我らには“帝”がいた」
「皇帝なき帝国」
ベルリンの大聖堂前で開かれた市民集会。かつてのプロイセン軍服を模したコスプレ集団が並び、ドイツ帝国旗を模したデザインのバナーがはためく。
壇上に現れたビスマルクは、重々しく語り始めた。
「帝政を復活させるべきか、否か――その問いは、過去を懐かしむだけの幻想ではない。“未来に、誰が責任を負うのか”という問いだ」
「我が国は、共和国として歩んできた。だが今や、民意は散乱し、国家は重みを失った。議論の果てに残るのは、“誰も決めぬ政治”だ」
静まり返った群衆。
「私は言おう。“君臨すれど統治せず”ではなく、“責任を背負って象徴たれ”と。帝政とは支配の道具ではない。“民の記憶と誇り”の継承である」
拍手が、嵐のように湧き上がる。
その日、「#新帝国構想」がドイツ全土のSNSを駆け巡った。
ドイツ王家の末裔たち
一方、ホーエンツォレルン家の末裔たちが、にわかにメディアの注目を集める。
彼らの多くは公的役職を持たず、文化財管理や教育活動に従事していたが、ビスマルクの提案を受け、ある若者が脚光を浴びた。
ゲオルク・フリードリヒ・フェルディナンド・プリンツ・フォン・プロイセン(49歳)
穏健かつ現実的な姿勢で知られる。
あるインタビューで彼はこう語った。
「帝政復古は権威主義ではありません。人々が“つながる拠点”を必要としている。それが国王であるならば、我々はその責を果たします」
与党内部では、すでに現首相に対する「統治能力の欠如」が議論されていた。国会では、野党が提出した不信任案に与党若手が造反。政権は崩壊寸前となる。
その混乱の中、国家大統領は異例の談話を発表。
「ビスマルク閣下の提案を、“国の形を問い直す憲法的議論”として受け止める時が来たかもしれない」
そしてついに――
臨時帝国会議の開催が決定される。
その議題はただ一つ。
「象徴としての帝位、国家元首の制度的再定義」
国民投票の実施が決定される。
その問いは単純だった。
「ドイツ連邦共和国は、民主的制度に基づいた象徴的君主制を導入すべきか?」
反発も根強かった。旧東独出身者や戦後世代の間には、「再び国家が“父”を求めること」への嫌悪が渦巻いた。
一方で、若い世代ほど賛成に傾いていた。「現実に責任を持つリーダー」が政治ではなく象徴に宿るなら、それも一つの“理想のかたち”だと。
そして投票日――
賛成:58.3%
反対:41.2%
無効・棄権:0.5%
僅差ではあったが、民意は「帝政の復活」――ただし“象徴帝”という形で――を選んだ。
制度設計、国家機構の整理が急ピッチで進められる中、ビスマルクはただ一人静かに語る。
「私は国王ではない。ただの“整地者”だ」
「帝国とは、建てるものではない。“立ち戻る場所”として育てるものだ」
その目に浮かぶのは、かつてのプロイセンではない。
混迷する現代の世界の中で、“道標”となる国家の姿だった。