民主主義という迷宮
ベルリン・クロイツベルクのTVスタジオ。今夜は人気政治討論番組『デア・フォルクスヴァール(民の選択)』の生放送日。スタジオにはドイツ各党の代表者たちが並んでいる。
「移民政策が我が国の財政を圧迫しているのは事実です。寛容にも限度がある」
「しかし、EUの理念は連帯です。国境に壁を築いてはならない!」
司会者は議論が白熱するのを見て満足げに笑った。視聴率が上がる音が聞こえる気がした。
だがそのとき、背後の非常扉が開いた。
コツ、コツ、コツ。
スタジオに不釣り合いな足音。重厚な軍靴の響き。皆が振り返ると、そこに立っていたのは……燕尾服の男。
「なんだ?」「誰か止めろ!」
スタッフが駆け寄るが、男は厳然と告げた。
「下がれ。貴様らにこの国を託した覚えはない。私は、宰相として発言する義務がある」
司会者が慌てて止めようとしたとき、カメラがその男の顔をとらえ、テレビに映し出す。
視聴者が凍りついた。誰もがその顔を知っていた。教科書で、銅像で、映画で。
画面のテロップがざわつく。
《速報:自称「ビスマルク」、生放送中のTV討論に乱入》
スタジオが騒然とする中、男――オットー・フォン・ビスマルクは、壇上に立ち、朗々と語り始めた。
「私は、この国の始祖としてひとこと申したい。今のドイツには、骨がない」
会場が静まり返る。
「綺麗事を並べて、民を導いた気になるな。政治とは“好かれること”ではない。“成し遂げること”だ。鉄と血――Ich sage euch(言っておこう)、国家は言葉ではなく行動によって築かれる」
野党議員が椅子から立ち上がる。
「あなたは誰だ! 独裁者の亡霊か? 民主主義を冒涜するつもりか!」
だがビスマルクは、微動だにせず応じた。
「民主主義とは、全員の声を聞くことではない。“誰の声に責任を託すか”を見極める制度だ。その責任を持たぬ者は、民の名を借りた詐欺師に過ぎん」
観客席の一部から、拍手が湧き始める。気づけば視聴率は急上昇し、SNSでは「#本物のビスマルク」がトレンド入りしていた。
司会者が恐る恐る尋ねた。
「では、閣下……現代ドイツに、必要なものは何だとお考えですか?」
ビスマルクは一瞬、天井を見上げ、短く答えた。
「誇りだよ」
その瞬間、ドイツ全国に、100年以上眠っていた“鉄血”の記憶が、確かによみがえった。