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機長のリッキー・マッカーソンは副機長のリチャード・リック・デレイニーと、ナビゲーターのサミュエル・サム・オコネルと飛行コースの確認をしていた。現在リーガル・グローリー含む爆撃隊は高度6000mを時速340kmで飛行している。予定より7分ほど早く進んでいた。
「もう間もなくドイツ領空だ。」
「結局ドイツ軍はオランダでの迎撃は行わなかった。」
「制空隊の奮闘のお陰だ。」
開戦以来、ドイツ軍はオランダに多くの攻撃隊を送り込み、飛行場などを狙いオランダ上空の制空権を確保すべく展開している。オランダを制圧できれば、爆撃機が本土に入る遙か手前の洋上で迎撃できるからだ。現在、ドイツ軍の防衛線は何重にも引かれている。Fw190とBf109、110らからなる戦闘機隊の迎撃線と、大量の8.8cm対空砲からなる濃密な対空砲火網だ。この防衛ラインを突破するためにはほとんど運としか言いようがなかった。最初の防衛線である戦闘機隊は、爆撃機の進路を予測し、より高空で待ち構えている。
インターコムで機長リッキーが銃手達に問いかけた。
「銃手諸君、付近に友軍の戦闘機がそろそろ見えるはずだ。見つけ次第報告せよ。」
各銃手は了解の応答を送る。捜索において最も重要な役割を果たすのは、上部銃手と尾部銃手だ。彼らは広い上空視界と後方視界を持っている。上部銃手のウイリアム・ビリー・グレンガーは寒さに耐えながら上空を見渡した。まだ友軍戦闘機隊の姿はない。尾部銃手のクラレンス・クレン・トンプソンもまた、同じように空を監視している。
合流予定空域に入ってから約5分が経過した。
「ビリー、友軍は?」
「見当たらない。クレンそっちはどうだ。」
「こっちにも何も無いぞ。」
「下かもしれん。ジミー、何か見えるか?」
ボールタレットのジェーム・ズジミー・ノバックが下に広がる空を見ながら応答する。
「こちらには何も無い。」
リーガル・グローリーの乗員たちに不安が立ち込めた。高空まで上がってくるのには時間がかかる。その時間と燃料も計算に入れて合流空域は決定される。爆撃機が予定より速く進んでいたとしても、それはナビゲーターから無線で連絡が行くはずだ。仮に合流予定がズレたとしても戦闘機隊は追いつくことができる。しかしまた5分ほど経過しても、爆撃機隊の周囲には空っぽな空が広がるだけだった。
「どうなってるんだ。友軍の戦闘機はどこだ!」
リッキーは苛立ちを見せた。P-47は当時のアメリカ軍戦闘機の中でも高性能な機体で、その運用は多岐に渡った。強力なエンジンを搭載したことにより良好な上昇力、速度性能を誇った本機は、今回のように高高度を飛行する爆撃機の護衛任務に抜擢された。その他にも搭載量を生かした攻撃機運用、その他制空戦闘など様々な任務に使われていた傑作機だ。通常なら既にP-47は合流しているはずだ。
リーガル・グローリーは第307爆撃飛行隊に編成されてから4回目の出撃である。内、機長のリッキー、上部銃手のウィリアム、尾部銃手のクラレンスはこの機体に乗る前にも別の部隊での経験があった。その他の搭乗員も経験が0ではない。比較的熟練したチームで飛行している。そんな彼らにとって、これほどまでに戦闘機隊との合流に時間がかかることはなかった。爆撃機部隊の最先頭のリーダー機はそのまま進む。それに後続の機体も続いてゆく。リーガル・グローリーもその群れの中の一機だ。護衛戦闘機が無いのは、リッキーとクレランスが別部隊で同じ機体に乗った時に当たった任務で経験している。約95機で出撃したその作戦は、8機が生還したのみで失敗に終わった。彼らの乗機も墜落した。
「仕方ない。仮に遅れているとすればいずれ追いつく。そう願おう。」
「そうだな…。」
副機長のリチャードは不安を明らかにした。ここ数か月でドイツ軍の迎撃網はより強力になっている。Fw190は改修型が多く投入され、強力なエンジン、武装を搭載している。Bf109もまた、重武装でFw190と連携して襲ってくる。Bf110は双発の重戦闘機の強みを最大限活かして粘り強く攻撃してくる。彼はその恐ろしさを知っていた。そんなリチャードの気持ちを汲み取ったリックは明るい声色で言った。
「安心しろ。俺達の乗っている機体は前より格段に防御力があがってる。正面から来るナチ共も満足いくまで叩き落とせる。それにこれだけの数の爆撃機が入れば奴らも簡単には近づけない。」
彼らの乗る機体はB-17G型。それまでの機体と比べ、機首先端の下部にチン・ターレットとも言われる銃塔が増設されより強固な防御力を発揮できるようになっている。その他様々な面も強化された最新鋭の爆撃機だった。堅牢で防御火器をハリネズミの如く装備するまさしく空の要塞を体現したB-17の最終形態とも言える機体だ。
爆撃機隊の周囲には以前、凍てつく寒さの空っぽな空が広がっているだけだった。広大なヨーロッパの緑の大地に、所々霞んだ白い雲がかかり、上空には呑み込まれそうになるほどに澄んだ青一色の空が一面に広がる。この美しい光景も、"要塞"に乗り込んだ彼らにとって不穏な物だった。P-47の大編隊は、依然姿を表さない。彼らにとってこの広大な空は「孤独」を意味していた。戦闘機隊は来ない。その実感が、時計の針と景色が動く度に彼らの心に影を落としていく。実の所、戦闘機隊は離陸すらしていなかった。否、出来なかった。基地は稀に見る悪天候に見舞われ、とても離陸できる状況ではなかった。燃料を満載し、十分な空戦が行えるよう大量の弾薬を詰んだ戦闘機達は暴風が吹き荒れる中、エンジンに火が着くことも無くただ待っていることしか出来なかった。
「間もなく敵の迎撃が予測される。各機警戒を怠るな。機影を発見した場合、すぐ報告しろ。」
爆撃機隊のリーダーから全機体のインターコムに司令が入る。冷静に周囲と計器を交互に確認している機長「リッキー・マッカーソン」。
不安な心を落ち着かせながら操縦桿を強くにぎりしめる副機長「リチャード・リック・デレイニー」。
暖かいコーヒーを喉に流し鼻歌を歌う爆撃手「アンソニー・トニー・マリーノ」。
小刻みに揺れる机の上で地図に飛行詳細を書き込み、本部に無線を送るナビゲーター「サミュエル・サム・オコネル」。
防寒服の有難みに感謝し、空を監視する上部銃手「ウィリアム・ビリー・グレンジャー」。
ヨーロッパの大地を嗜む、ボールタレット銃手「ジェームズ・ジミー・ノバック」。
寒さに耐えながら二人で好きな女の話をする腰部銃手の「ヘンリー・ハンク・ドーソン」と「ロバート・ボビー・クライン」。
1人機体の奥で来るべき戦闘に備える尾部銃手「クラレンス・クレイ・トンプソン」。
数奇な運命の物語の登場人物として選ばれた9名は今、緊張の立ち込める戦争渦の上空で着々とそのページに文字を書き入れていく。爆撃機隊はやがて、ドイツの防空網へと侵入していった。