08_友人という肩書
「私じゃなければ、クロノス様は……」
「いい加減にしなさいよ!」
我慢ならない、と言った顔だった。感情を爆発させたように、シャイロ様は駆けてきたかと思うと、何度も私に切り込んできた。かんっ、と金属音が何度もぶつかる音がする。
「貴方の大荷物。旅に出るんでしょう!」
「ぐ……、そうですが」
何とか彼女の重い打撃を受け止め続けながら、言葉を返す。
「手紙を届けに行くんでしょう! 郵便局になんて頼まずに、自分の力で!」
ぐい、と右手首を捻ってシャイロ様の剣をいなしながら、考える。
もちろん、それだって私が旅に出る理由の一つだ。真っ白な手紙の宛先を見つけ、彼から頼まれたことを完璧に遂行したいという思いに嘘はない。
けれど、私の目的はきっとそれだけじゃないのだ。
シャイロ様の剥き出しの感情にあてられて、クリスと話していた時は言語化できなかった思いが、するすると口から紡がれていく。
「でも、それだけではないのです、きっと、私は!」
あまりに、不謹慎だ。こんな言葉は口にしたくない。軍部で発する言葉ではない。
でも、一度出かかった言葉は止められない。
「空っぽの棺桶に花を添えて、旦那様が死んだなんて思えないじゃないですか! 旦那様は、クロノス様は! もしかしたら!」
「……! まさか、貴方」
シャイロ様が目を見張った。彼女の真っ青な瞳が私をじっと見つめている。
「……どこかで、クロノス様が生きてるんじゃないかって思っているのです」
小さく口から零れたのは、あまりに『ありえない』希望だった。
クロノス様の訃報を聞いてからというもの、ずっとそうだった。
遺体が見つからなかったなんて、おかしいじゃないか。いくら爆死とはいえ、遺品も骨の一本も見つからないなんてそんなことがあるのだろうか。
事実としては受け入れていても、心のどこかでクロノス様の死を受け入れきれない自分がいる。
よりにもよって軍部の練習場で、元軍人の死を疑うなんて、軍部に対する反逆だと捉えられても仕方がない。
けれど、目の前の女軍人は諦めたように笑いながら、柔らかく言葉をかけてくれるのだ。
「――ああ、そうね。だから、クロノス様はあなたを選んだのね」
瞬間、私の剣が弾き飛ばされた。
驚いて、しりもちをついた私の喉元には剣先が突きつけられている。
「勝負あり、勝者シャイロ参謀長!」
私はぺたりと地面に座り込んだ。
強張った体から、一気に力が抜けていくようだった。
自分でも気が付いていなかった。
まさか、クロノス様が生きているかも、なんてそんな空想じみたことを現実主義な私が思っていたなんて。
「あー! 勝てないわ! こんな奴!」
「……私は負けましたが」
「っ! そういうところ!……ほんっと、可愛げが無い!」
シャイロ様の先ほどの優しげな声はどこへやら。恨めしそうに私のことを睨みながら、諦めたように息を吐くのだ。
「……でも、クロノス様にとって貴方は、きっと誰よりも可愛くて仕方がなかったんでしょうね。私との婚約を蹴るくらいには!」
「え?」
唐突に始まった私の知らない話に、思わず眉をひそめた。その様子をみたシャイロ様は、呆れ顔で話を続けるのだ。
「貴方、知らないの? 貴方と正式に婚約する前、私とクロノス様の婚約の話が持ち上がっていたのよ。明らかに私の方が条件は良かったのに、わざわざクロノス様が断ってきたの! 」
「えっ」
「どんなご令嬢かって顔を拝みにいったら、ただの小娘でびっくりしたわ。私の方が先に好きだったのに…………」
口がぽかんと開いたまま、塞がらなかった。
知らなかった。
てっきり、私とクロノス様が結婚したのは、両親が亡くなって後ろ盾が無くなったクロノス様が家柄を欲したからだと思っていた。
しかし、よく考えれば、家柄が欲しいだけなら私ではなく、もっと上位の貴族と結婚すればいいだけの話であるし、後ろ盾が欲しいならシャイロ様と結婚して彼女の実家に支えてもらった方が得策だったのではないか。ということは。
「つまり、クロノス様は、わざわざ私の方を選ばれた、ということでしょうか?」
「改めて傷をえぐらんでよろしい!」
シャイロ様は、顔をリンゴのように真っ赤にした。
だが、それなら、なおさら私は分からない。クロノス様は、なぜシャイロ様ではなく、わざわざ私を選んだのだろうか。
じっと考え込んでいると、横からクスクス、と楽し気な笑い声が聞こえてきた。
クリスである。
彼は、口元を手で押さえながら私たちに近付いてきた。
「シャイロ様が勝ったのに……、傷を抉られてて面白いですね、ふふっ」
「このガキんちょポンコツ行政官が! 今度からこき使ってやるからな!」
「うお、怖い怖い」
おどけたように数歩下がったクリスとシャイロ様とのやりとりを見ていると、なんだか考え込むことが無駄に思えてきた。
感情が無い私に、クロノス様の結婚の動機を推察しようなんて、土台無理な話なのだ。
シャイロ様はクリスとの口喧嘩に見切りをつけると、私の方をくるりと向いた。
「……全く、あんなにクロノス様への感情をむき出しにして。貴方が無感情なんて嘘だと思えてくるわね」
ぽつり、とシャイロ様が告げた言葉に、私は決闘に夢中になって思わず叫んでしまった言葉を思い出していた。
クロノス様が、どこかで生きているかも、なんて。
クロノス様への死を受け入れきれてない、とても人間臭くて、不謹慎で、夢見がちな希望的観測だ。今までの私だったら、絶対に口にしないことだったろうと思う。
シャイロ様は、私に一歩近寄ると、私の耳元に口を寄せて小さく呟く。
「私が言おうとしていたのはね、貴方が辿り着いた答えと同じよ、アレクシア。――クロノス様の死は不自然だと、私も思ってる」
「っ……」
私は目を見張って、シャイロ様を見つめた。
期待と不安が入り混じって、心臓がうるさいくらいに音を立て、全身から汗が吹き出してきた。
自分のただの妄想が現実味を帯びて、確かに輪郭を描き始めている。
「彼が生きているか断言はできないけれど……彼の死に関して誰かの意図が介入しているのは確かよ」
シャイロ様が私から離れると、地面に視線を落とした。酷く悲しげなその瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。
彼女にとっても、クロノス様は大切な人だったのだ。
「……私は負けたのに、どうして教えてくださったんですか」
「貴方は自分から答えにたどり着いたじゃない。それに」
シャイロ様は、陰のある表情をパッと明るくさせたかと思うと自信たっぷりの声で告げるのだ。
「私は始めから、『貴方が決闘勝ったら情報を提供する』なんて一言も、言ってないわよ」
私は決闘前のやり取りを思い返してみる。確かに、彼女はタダで情報は教えないとは言ったが、条件に『私の勝利』は無かった。
つまり、最初から彼女は私に自分の持ちうる情報を話すつもりだったのだろう。
「……な、シャイロ様のところ来てよかっただろ?」
話を纏めるかのようにクリスがそう言った。当然、私はその言葉を否定できない。
「まったく、俺たち友達なんだから頼れよな」
「……私と? 貴方たちが、友人?」
私は、首を捻った。
文脈からすると、クリスとシャイロ様と私が友人ということになる。一体いつから、私は彼らと友人になったのだろうか。
じっと黙り込んでいると、「おい、そこからか」という言葉が飛んできた。
「アレクシア、今まで俺らのことなんだと思ってたんだよ?」
クリスは、私と話してくれる奇特な知り合いである。シャイロ様に至っては、知り合い云々よりも、そもそも私のことが嫌いなのではないのだろうか。
ちらりとシャイロ様の方を見れば、呆れ半分怒り半分といった様子である。どうやら、私は失言をしてしまったらしい。
「あのね! 貴方、いちいち言葉にしないとわからないわけ!? 私たち、何度も決闘した仲でしょう!」
「それは、シャイロ様が私のことが嫌いだったから、決闘を申し込んでいたのでは……」
「はぁ!?」
中庭に大声が響き渡った。かと思うと、シャイロ様は額に手を当てて、今まで聞いたことの無いくらい小さな声で呟くのだ。
「私は、とっくの昔から貴方のこと……」
ぐっと唇を噛んだ彼女は、少しだけ潤んだ目で私のことを見つめた。
「と、ともだちって思ってたのに」
「とも、だち」
まるで、初めて言葉を話す子供のようなぎこちないオウム返しだった。
それなら、クリスが私によく構っていたのも。彼が、いつも変な気の遣い方をしていたのも。
シャイロ様が私に決闘を申し込んでいたのも。彼女が、クロノス様の情報をこっそり教えてくれたもの。
全部、友達だったから……なのだろうか。
今まで、私は友達なんていないと思って生きてきた。感情なんてない、冷たくて、大切なものが欠けてしまっている私には、友達なんてできるはずがなかったのに。
一体、いつから、私は。
「友達というのは、困ったことを相談したり、一緒にお茶をしたり、そういう友達でしょうか。それとも『トモダチ』という同音異義語でもあるのでしょうか」
「ばっかじゃないの、貴方! そんな同音異義語があってたまるか! いくらでも相談に乗るし、一緒に茶くらい飲んでやるわよ!」
シャイロ様の言葉に、ぶわりと瞳の奥から何かが零れ落ちそうになった。
彼女と並ぶと自分が惨めに思えていた。だから、苦手だった。
今更だ。私なんかがシャイロ様と横に並んで、友達だと言う権利なんて、そんな都合の良いことを言えるはずがない。
「友達、なんでしょうか。私は貴方のことを友達だって呼んでもいいんでしょうか、そんな権利が、私にあるのでしょうか……」
「当たり前でしょう。分かってるわよ、貴方が私のこと嫌ってるって。これでも、私は貴方のことを凄く、その……心配、していたんだから」
私はふるふると首を横に振る。そうして、少しだけ私より背の高い彼女を見上げた。
「シャイロ様のことは、嫌いではないのです。感情豊かな貴方が、とても羨ましかったのです。ただそれだけで……私が勝手に自己嫌悪に陥っていただけなのです」
「頭はいいのに、本当に馬鹿ね、貴方って」
とん、と背中を押された。驚いて私が振り返ると、なんだか泣きそうな顔をしたクリスが私のことを優しく見下ろしていた。
「俺は悲しいぞ。こちとら、クロノス様よりも付き合いの長い友達なのに」
「ご、ごめんなさい……」
肩を小さく丸めながら謝罪の言葉を吐くと、クリスは「なあ」と私に呼び掛けてきた。
「アレクシア。すっげぇ、失礼なこと聞いていい?」
「なに、クリス?」
タバコを吸い終わったのだろうか。空小箱を開けたり閉めたりしながら、彼はじっと私のことを見つめた。
ターコイズブルーの瞳が、私の心を覗くように見開かれる。
「再婚する気ってある?」
唐突すぎる質問に、私は、目をぱちぱちと何度か瞬いた。
もちろん、再婚は考えていなかったわけではない。
クロノス様が亡くなってすぐに、両親から『再婚のために軍部の人間と見合いをしろ!』と小うるさい手紙が届いていたのだ。
なんなら以前結婚を断ったクリスでもいい、なんて失礼なことまで書いてあった。
けれども。
「……再婚なんてする気なんて、ないわ」
「ん、良し。満点!」
何が、『良し』で『満点』なのか。
言葉の意味がわからず、私はクリスを見つめる。が、彼はどうやらその言葉の意味は教えてくれそうになかった。
「残念ね、ポンコツ行政官」
「は? 何がですか」
「別にぃ?」
にやにやしたシャイロ様が反撃するかのように、練習剣で彼の横腹をつついた。それを払いのけながら、「とにかく」とクリスが話を切り上げる。
「困ったら、何でも相談しろ。いつだって、俺たちはお前の味方だからな」
「……ありがとう」
その感謝の言葉を口にした時、これがパレードの日にクロノス様から教わったものだとふと気が付いた。
いつから、私はこの「ありがとう」を、打算なく口にできるようになっていたのだろう。
「私、頑張って、手紙全部届けてみます。そして……旦那様を探してみます」
宣誓するように告げれば、友人二人はにっこりと笑ってくれるのだ。
「しっかり宿を取って、休息を取りなさいね。貴方は、私たち軍人と違ってひ弱だから!」
「頑張って、行ってこい。どんな結果になっても、俺らは待ってる」
「いってらっしゃい、アレクシア」そう告げられた言葉に再び胸が締め付けられた。
でも、決してそれはマイナスな感情から来るものではない。
苦しいのに温かくて、心にじんわりと広がっていく甘ったるくて胸焼けするホットチョコレートのような感情だ。
もしかしたら、この感情のことを人は『嬉しい』だとか『喜び』だとかと表現するのかもしれないなと、そう思った。
(第一章・完)