07_決闘の手袋
◇◇◇
軍部の廊下には、海のように真っ青なカーペットが敷かれている。
そこを堂々と歩く長身の女性が一人。朝の空のように薄い水色の髪に軍帽を被り、真っ白なマントが翻っている。
その背中をみただけで、彼女が際立った美貌なのだとわかってしまう。
「シャイロ様!」
クリスが軽く手を挙げて、呼びかける。その声に振り返った彼女は、一瞬でその綺麗な顔を曇らせた。
「なんで、ポンコツ行政官だけじゃなくて、その小娘もいるわけ」
言葉の端々がトゲトゲと鋭い。
シャイロ様は、初めて会った時からずっと私のことを嫌っている。私のような人間がクロノス様を奪ってしまったからだろうと思う。
「……お手紙を預かってまいりました。シャイロ様宛です」
「はぁ? 手紙? 誰からよ」
「クロノス様からです」
その言葉に納得したように、シャイロ様は息を吐きだした。そうして、廊下に先にあった参謀長室を指さした彼女は、「こっちで話しましょう」と私たちを促した。
彼女の歩みに続きながら、私は改めて彼女の背中に目をやった。その凛々しい立ち居振る舞いに、軍部の誰もが畏敬を抱いている。
そう。シャイロ・メルクーリは、亡きクロノス様に代わり、軍部を支える参謀長となったのだ。
参謀長室は広かった。壁一面に大陸の地図が広がっており、そこに赤いペンで所々バツ印が描かれている。
先の戦争での戦闘情報が記録されているらしい。
「一応軍事機密だから、あんまりジロジロ見ないでね」
「申し訳ございません」
「謝らないで! ……ほんっと、いつもいつも、貴方のそういうところが嫌いよ!」
シャイロ様とは、クロノス様と出会ってからの五年間で、度々顔を合わせる機会があった。軍部のパーティーを始めとして、参謀長の妻は何かと軍部の人間と関わる必要があるのだ。
「突っ立てないで、座れば?」
そう言いながら、シャイロ様はどかり、とソファに腰掛けた。促されるまま、クリスと私も腰掛ける。皮張りだが、ふかふかのソファだ。背中が包まれるようで心地よい。
「それで、クロノス様から私にラブレターだって?」
「こちらです」
「……ちょっとは突っ込みなさいよ」
手紙を差し出したのは、私ではなく、先ほど手紙を受け取ったばかりのクリスだ。彼は自分の名前の下に書かれた、小さいシャイロ・メルクーリという文字を指さす。
「ほら、ここにシャイロ様の名前」
「なんで、私の名前がこんなに小さいのよ! これじゃ、クリスのついでじゃない。というか、手紙くらい個別に書いて欲しかったわ……しかも、開封済みだし!」
シャイロは手紙を取り上げるように、クリスの手から奪った。
そうして、五枚はあろうかという便箋に視線を落とすと、先ほどまで叫んでいたのが嘘かと思うくらい、静かに読み始めた。
「…………はぁ? なんなの、この手紙。私へのメッセージって、最後にチョロっと書いてあるだけじゃない」
数分と経たず、彼女は顔を上げた。手紙を読むスピードの速さは、さすが、軍の幹部である。
脚を組み、頬杖をつき、機嫌が悪そうに手紙をひらひらと振る姿は、まるで悪の組織の幹部だが。
「……宛名の小ささから察せると思いますけどね」
「うっさいわね、ポンコツ行政官! 自分宛の分量が多かったからって調子に乗るんじゃないわよ」
横槍を入れてきたクリスに、シャイロ様は叫んだ。軍帽から覗く額には、血管が浮かんでいるように見える。
「んで、アレクシア。貴方はこれ届けにきただけなの?」
「シャイロ様に聞きたいことがありまして」
「ふぅん、なに?」
怒りの表情から一転、彼女はやや得意げな表情になる。
意外なことであるが、シャイロ様は人に教えることは好きらしく、質問にはいつも機嫌よく答えてくれるのだ。
私は、クロノス様から、五通の手紙を預かっていること。それぞれの宛先はぱっと見、共通点は無さそうなこと。五通目の手紙には宛名も宛先もないこと。
それらを、つらつらとシャイロ様に話した。
話を聞いた彼女は、適当に相槌を打ったあと、脚を組み替えながら告げる。
「……普通に聞いて、私が教えると思う?」
「心当たりがあるんですか」
「秘密」
にやり、と笑った彼女は手袋を引き抜いてぺちん、と私に投げつけた。
「ねえ、アレクシア。久々に決闘しましょう!」
私が勝てば、シャイロ様の知っている情報を教えてくれるということだろうか。
ならば、断るという選択肢は私には無い。
私が迷わずにテーブルに落ちた手袋を拾えば、シャイロ様は涼しげな顔を破顔させて満足気に立ち上がるのだった。
◇◇◇
軍部の中庭は、ぐるりと石壁に囲まれている作りで、決闘場がモチーフになっている。
昔は、ここで軍人同士が命を懸けて決闘をしたこともあったらしいが、現在はただの練習場と化している。
ちなみに、シャイロ様との決闘はこれが初めてではない。軍部を度々訪れていた私は、シャイロ様と顔を合わせる度に、手合わせをしていた。
昔のシャイロ様は今よりも血気盛んだったため、手袋を投げつけるためだけに軍部の廊下を全力で追いかけられたものだ。その時の彼女の鬼のような形相を思い出して、私は軽く身震いをした。
あれは、今でも軽いトラウマである。
「アレクシアの剣術を見るの、何だかんだ初めてだな」
「そうね。クリスに見せる機会は無かったもの」
「しっかし、本当に大丈夫なのか? 相手は、現役参謀長サマだぞ?」
中庭までの道すがら、クリスが少し心配そうに尋ねてくる。
「……さすがに、ハンデはあるわよ」
私は教育の一環で、剣術も学んでいた。
昔から剣の成績はそこそこ良かったため、貴族の戯れの決闘ごっこくらいなら、お手のものである。
とはいえ、まともに戦って現役の軍人に勝てるはずもない。
中庭に着いた私はクリスと別れて、石壁に囲まれた決闘場の中央に進む。先に到着していたシャイロ様がくるり、と振り返る。
「今回は、私は左手だけ。貴方は両手を使って良いわよ。相変わらず、貴方はふりふりのお洋服のままだし」
「わかりました」
シャイロ様に手渡されたのは、練習用の鉄剣だ。刃は付いていないものの、ずっしりと重い。
シャイロ様が右手を背中に回して、左手のみで剣を構えた。それに合わせて私も、しっかりとブレないように握り込む。
両者の準備が整ったのを見て、審判役の軍人がゆっくりと旗を降ろした。旗が上がれば、試合開始の合図だ。
「それでは、準備はよろしいでしょうか」
私はこくり、と頷いた。試合が始まる前のひりついた空気の中、シャイロ様の視線が鋭く私を捕えている。
そうして旗が――
「はじめ!」
――上がった。
先に動いたのはシャイロ様だ。私の方に一歩踏み込み、素早く剣を振り下ろしてくる。利き腕ではないのに、このスピード感。さすが、現役軍人だ。
しかし、私は、咄嗟にその攻撃を受け止める。
「……あら、腕に青あざくらいつけてやろうと思ったのに」
「私だって、それなりに訓練しておりましたので」
かんっ、という金属音と共にシャイロ様の剣を弾き返す。そうして、今度は私が逆サイドから反撃の一撃。当然、止められる。そんなことは想定内だ。
だから、裏をついてすぐに下から切るように剣を振り上げる。
「おっ、と危なかったわ、この小娘が」
ひょいっと、シャイロ様が飛びのいて、私たちの間に少し距離が生まれた。また試合が始まって一分も経っていないだろう。
だというのに、私の額にはじんわりと汗が滲み始めていた。
――完全に押されている。シャイロ様の本気には叶わない。
やっぱり私では、クロノス様の最期のお願いすら聞くことすらできないのかもしれない。彼にとって、私はあまりに役立たずだ。
顔を上げれば、好戦的な笑みを浮かべる綺麗な女性が視界に映る。彼女の薄水色の束ねた髪がさらりと揺れたのをみて、私は憂鬱に駆られた。
私は、シャイロ様が苦手だ。
それは、彼女がクロノス様を好きだからでも、私に突っかかってくるからでもない。
彼女の表情が豊かで、行動力があって、快活なところが、自分の無感情を引き立たせている気がして……自分のことが嫌いになるからだ。
「シャイロ様は、素敵な女性だと思います」
「は、唐突に何よ」
シャイロ様は鉄の剣を下ろして、目を細めた。私は、今日何度彼女を呆れさせているのだろう。
それでも、私は言葉を続ける。
「ずっと思っていました。クロノス様は私じゃなくて、シャイロ様と結婚したら良かったのかもしれないって。私みたいな感情も分からない人間じゃなくて――」
「…………」
シャイロ様の表情が歪んだ。それは、明らかに私の言葉に不快を感じている表情で。
「シャイロ様のような、強くて明るくて、活発な女性と結婚したら、そうしたら、クロノス様はっ」
胸がぐっと詰まる。息が苦しくなる。せり上がってくる、きりきりとした痛みを抑えることができない。
私じゃなければ、彼はもっと楽しく毎日を過ごせたのに。
私じゃなければ、彼はもっと別の階級に就いたかもしれないのに。
私じゃなければ、一年前に戦地に出向くため、『行ってくる』と告げた彼に、『絶対に帰ってきて』と言えたかもしれないのに。
私じゃなければ。
何度もそう思ってしまうのだ。