06_パレードで輝く星-4年前の冬のこと-
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私が十四歳になった後だった。五年に一度の軍のパレードが、首都オルディンでおこなわれた。
戦の女神に感謝を捧げ、今後の国の繁栄を願う重要な儀式――というのが、パレードの発祥らしい。
まあ、今となっては、儀式というよりも軍部の宣伝兼ちょっとした祭りと化している。
オルディンの大通りから、ぐるりと中央地区を一周する大規模な行進は圧巻であるため、寒い中、遠くの地方からも多くの人間が集まっていた。
『お前の旦那、めっちゃカッコいいな!』
『まだ旦那様じゃないわ』
『来月入籍だし、もう一緒住んでんだろ?……それ、結婚してるようなもんじゃないか』
『何か言った?』
広場に設営された椅子に座っていた私の隣にやってきたのは、クリスだった。
彼は、『いいや、何でも』と返事したあとに、露店で買った料理をもしゃもしゃと食べている。
席は沢山あるのにも関わらず、わざわざ無情令嬢の私の隣を選んでくるあたり、相変わらず変な人間だなと思う。
あまり構い過ぎるのも良くないと思い、私は、クリスを放置してジッとパレードを見つめていた。
海のような色の帝国旗にはシャチをモチーフとした帝国章が刺繍されており、風によって大きく靡いている。その後ろから、真っ白な海軍服を着た、煌びやかな軍人たちが一致乱れぬ動きで行進を続け、音楽隊の明るい音色が周囲に響き渡っていた。
その中でも、ひときわ目を引くのが、クロノス様だ。
その頃の彼は、中佐に昇進したばかりで中堅クラスの現場指揮官となっていた。
雪のように真っ白な軍服に、煌びやかな紋章を沢山付けた彼は、いつもよりもずっと大人びて見える。
その輝きは、彼だけに太陽の光が降り注いでいる、と言われても納得するほどだ。いや、もしかしたら、彼自身が光を放っているのかもしれない。
私に気が付いた彼は厳しい表情を崩して、唇を緩めた。
『…………クロノス様が笑ったわ!』
『微笑む姿も美しいわね』
『今の微笑みは絶対私に向けたものだわ』
『いーや、私よ』
そんな令嬢たちの黄色い声が飛び交う中、私は何だか居た堪れない気分になった。……彼が微笑んだのは、紛れもなく私だったからだ。
なぜ、彼は私などに笑顔を向けたのだろう。他に可愛らしい令嬢は沢山いるというのに。
もしかして、婚約者のよしみだろうか。それなら、私も笑った方がいいのだろうか。
そんなことを思ってから、『笑うな、気持ち悪い』という両親の言葉を思い出して、緩みかけた口元をきゅっと絞めた。
代わりに、小さく手を振った。
『……っ!』
すると、クロノス様は陽の光を浴びた向日葵のように、ぱぁ、と顔を明るくさせた。
きゃあっと、令嬢たちの黄色い歓声が大きくなる。彼が笑えば、この冷たい空気すら温かさを帯びる気さえした。
良いのだろうか、パレード中にそんな緩みきった顔をしても。そんなことを思ったけれど、私もあまり悪い気はしなかった。
『仲良しじゃんね。お似合いだよ』
『……そう、なのかしら』
横の金髪の男子からそう突っ込まれて、私は考え込んだ。
お似合い、なのだろうか。私はクロノス様と釣り合っているのだろうか。
確かに、私は社交界では「無情令嬢」である欠点を除けば、そこそこ優良物件であると言われてはいたけれど。
それでも、あの輝きを放つ彼の隣に立つことが許されるのか、と言われれば答え難い。
そういうことをぐるぐる、と考えているうちに、パレードはいつの間にか終わってしまっていた。
さて移動するかと思っていた瞬間だった。私の前に影が落ちた。
『ねえ、貴方!』
見上げれば、私よりも少し年上の綺麗な女性が立っていた。
身に着けているのは我が国の軍服であるため、彼女は軍人なのだろう。
すっと通った鼻梁に、形のいい唇。くっきりとした二重ではあるが切れ長の瞳は、長いまつ毛に縁取られている。
だがしかし、彼女はその目を異常なほど吊り上げて私のことを見下ろしているのだ。
ひょっとして、怒っているのだろうか……? 私とは初対面なのに? いや、元々こういう顔の可能性もある。
何はともあれ、まずは挨拶だ。
『ご機嫌麗しゅう。軍人様』
立ち上がって、パニエでふんわりと広がったワンピースの裾を小さく摘み上げる。
母親の趣味であるフリルが多い服ではあるが、我が国のドレスコードには違反していない。しかも、今日のパレードに合わせて藍色の服を身に着けてきたから、装いには問題ないはずだ。
となると、やはり私に彼女が腹を立てる理由がわからない。『もともとそんな顔説』が三割増で説得力を増してきた。
『貴方がクロノス中佐の婚約者?』
『あぁ……』
その言葉で、『もともとそんな顔説』は簡単に否定されてしまった。
クロノス様は人気者だ。
私のことを良く思っていない令嬢は多いらしく、陰口を言われることも、ここ最近かなり増えた。
もっとも、彼女のように面と向かって文句を言ってくる人間というのは出会ったことはないが。
『……はい。アレクシア・パパスと申します』
『私、絶対に認めないわ! こんな、こんな……っ』
私が淡々と答えれば、ぎりぎり、と目の前の女子は歯ぎしりをするように口元を歪めた。肩を震わせたかと思うと、ビシッと人差し指を私に向かって突き出してきた。
『いい!? アレクシアとかいう小娘! 私とクロノス様はね! 軍部も認めるほど、それはそれは深く愛し合ってるのよ!』
『……そうなのですか』
『なんで、そんなにどうでも良さそうな態度なわけ!?』
彼女は、拍子抜けしたように呆れて私のことを見つめたけれど。
『私とクロノス様は愛し合っている』
その言葉は、意外にもしっくりと腑に落ちてきた。
くるくると変化する彼女の表情は、実に可愛らしいものだったからだ。
私は何でもできた。
勉強もできるし、裁縫もできるし、料理もできる。頭の回転は悪くないし、客観的に見て容姿もある程度整っていることも理解している。令嬢としては完璧だった。
でも、私には人間として一番大事なものが欠けている。
私は、普通の人間のように笑ったり、泣いたり、腹を立てたり、そういった情緒面がまるっきり抜け落ちてしまっている。
だから、クロノス様は初対面で言ったのだろう。『君を愛さない』と。
愛なんて、所詮相手への期待の裏返しに過ぎないが、私なんかに期待するよりも、可愛らしい上に軍人として有望であろう彼女に期待した方がよっぽどいい。
『私は、クロノス様に恋人がいても構いません』
『はぁ!? いやいや、何言ってるの貴方!』
なぜそこで、彼女が怒るのだろうか。
私は、別に目の前の女性とクロノス様が愛し合っていることを否定しているわけではない。
『そんな覚悟で結婚するんじゃないわよ! 私は、シャイロ・メルクーリ。クロノス様のことは諦めないから、覚えておきなさいよ! 小娘!』
『はい、覚えておきます。それでは、ごきげんよう』
私が再び頭を下げて、ワンピースの裾を小さくつまむ。お別れのご挨拶である。
シャイロ様は『はい、ごきげんよう!』と吐き捨てたかと思うと、わざと足音を立てるようにして去っていった。
『なんか、変なのに絡まれてたな、お前』
『クリス、駄目よ。軍人様のことを変なの、だなんて』
『聞こえてるわよ! ガキどもが!』そんな声が聞こえた気もしたが、再び私の目の前に影が落ちた。
今度は、どんな人間から絡まれるのかと面倒な顔で振り向けば、そこにはにっこりと笑う美青年が立っていた。
『待たせたな、アレクシア』
『クロノス、さま』
夜空の星々を一箇所に集めたかのように輝く彼に、私は頭を下げる。
『……お待ちしておりました』
別に待ってなんかいない。
それなのに、そんな言葉がすらすらと出てきたのは、私も多少は世の中に馴染む努力が染みついてきたということなのだろうか。
隣にいたクリスは、クロノス様を見た瞬間、そっとその場を離れていった。相変わらず、気の遣い方がおかしな人間だ。
『アレクシア、せっかくの祭りだ。ちょっと露店でも見て回らないか?』
『クロノス様の様子を見るに、もう既に回られているのかと』
『いや、これは、貰い物だ……』
ため息をついた彼の両手には、沢山の食べ物が抱えられている。
差し入れという名目で、少しでも彼と話したい令嬢たちが群がっている様子がありありと目に浮かんだ。
『まあ、とりあえず、露店を回るのはこの食べ物たちを消費してからだな。貰い物を無駄にするわけにはいかない』
クロノス様は私の口に、もぎゅっと小さなケーキを押し込んだ。
ラヴァニと呼ばれるシロップがかかった激甘のケーキである。
私は表情を変えずにもぐもぐと咀嚼する。噛むたびにスポンジから、じゅわと甘いシロップが溢れてきた。
『甘い物、好きだろ?』
『……まあ、はい』
特別甘い物が好きという訳ではなかったが、一応頷いておいた。
せっかくの好意を無下にするわけにはいかないからだ。
『……美味しいです』
私がそう言えば、なぜかクロノス様は嬉しそうに顔をほころばせるのだ。
あまりに眩しくて、思わず私は目を細めた。
この顔をパレード中に振りまいていたら、数人は気絶者が出ていたかもしれない。
『隣、座っても?』
『どうぞ』
私は、先ほどまでクリスが座っていた席にクロノス様を促した。座った彼は、両手に抱えた食べ物たちをサイドテーブルに置いた。
クロノス様は、やっと一息つけた、という表情でマグカップに入っているコーヒーに口を付けている。気温の低い今日は、温かい飲み物が染みるのだろう。
『そういえば、シャイロ様とクロノス様は、恋仲なのですか?』
『ぶっ……はぁ!?』
コーヒーを吹き出した彼は、ごほごほと咽ながら胸のあたりをさすった。大きな声だったが、周囲の人がまばらだったため、特に注目を浴びることもなかったのが不幸中の幸いだろう。
『何なんだ、突然』
『シャイロ様が、そう仰っておりましたが』
『アイツ……』
喉から絞り出すような、大きなため息だった。
苦しくなったのか、首元のホックをパチンと外して、彼は私に向き直った。
『アイツとは、恋仲でもなんでもない。俺の部下で、俺への尊敬の念が……なんというか爆発して、たまに暴走しがちなだけだ』
『そうですか』
『部下が迷惑をかけた。心配しなくても、俺は、君のことを――――』
そう言いかけて、クロノス様は口を噤んだ。彼は、その言葉の続きを口にすることはなく、苦い笑みを口元に浮かべた。
『君こそ』
言いにくそうに、自身が座っている椅子とトントンと叩く。そこは、先ほどまで金髪の知り合いが座っていた席だ。
『クリスといったか。随分と仲が良さそうだが』
『彼に対して、そういった感情はございません。ただの知り合いです』
『知り合いって……』
『私は、クロノス様以外と結婚する気などございませんが』
そう口にしてしまってハッとした。
別に、目の前の婚約者は、私がクリスと親しくしているから怒っているわけではないかもしれないのに。一体何を弁明しようとしたのだろうか。
彼は、本当はシャイロ様のことが好きで、私とクリスがくっついた方が良いと思っていたのかもしれない。婚約破棄をしてほしかったのかもしれない。
反省会を始めた私だったが、どうやら間違っていなかったらしい。
彼は、口元を緩めて機嫌が良さそうに微笑むのだ。
その笑顔が、あまりに白い軍服に映えていて、ぽろりと口から言葉が零れる。
『よくお似合いですね、軍服』
『……君も、そのワンピース。良く似合っているよ』
『…………』
私は言葉に詰まった。私の普段着が、人形のように装飾が多くてフリルの付いたものばかりなのは、母親の好みだった。
『アレクシアは、お人形さんみたいだから、こういう服が似合うのよ』
私が違う服を選ぼうとするたびに、そんな言葉を押し付けられた。だから、そんなにこの服は好きなわけではなかったけれど。
『……すみません』
『おい、それは禁止って言っただろ』
ぴとり、と私の口元に人差し指が添えられる。
『では、こういう時、なんと返答するのが正解なのでしょうか』
『……ありがとう、とそう言えばいいんじゃないか?』
クロノス様は、ふっと笑みを浮かべてそう言った。
『ありがとう』という言葉の意味は分かるけれども、私は今まで他人に向かって言ったことが無かったかもしれない。
『では、ありがとうございます』
いつも口にしてしまう謝罪の言葉ではない、感謝の意を示す言葉は不思議な響きだった。心がじんわりと温かくなるような感覚に、思わず目を細めた。
『……嬉しいです』
嬉しい、なんて感情は私には分からないはずなのに。
ついでに、そんな言葉が零れ落ちるくらいには、なぜか私は自分の恰好が嫌ではなくなっていた。