42_×年後のエピローグ
それから、クロノス様と私は、沢山の思い出を作った。
まずは、私の長いようで短い旅路を一緒に巡った。
カリスタ港町で、エヴァンドラさんに沢山アクセサリーを買わされて、クリスタリウム・ホロウで、星の雪を一緒に見た。
ルクシー村にいるレオン様は、失明してしばらく経ったこともあり、慣れた様子で元気そうに病院内を歩き回っていた。
『君らを見て、僕もまだまだ死ねないって思えたよ』
彼は、なんと再び研究に入れ込んでいるらしい。
病は気から、というのは本当かもしれないと笑い合った。
クロノス様の調子の良い時はハンデを付けて決闘をしたり、こっそり私のパレードを見に来たり、お忍びで一緒にケーキを食べたり。
今や、思い出そうとしても思い出せない程の沢山の思い出が、私とクロノス様の中に溢れているのだ。
私が戦地に赴いた時は少し家を空けてしまうこともあったけれど、シャイロ様を始めとした軍の上層部の働きかけと、世界情勢が落ち着いたこともあり、戦地に赴くことなんて数えるほどしかなかった。
だから、クロノス様と一緒に過ごす時間は十分にあった。
……そう、私たちはもう十分に一緒の時間を過ごしたのだ。
「意外と長生きできたと、そう思わないか?」
「ええ、そうですね。あと少ししか生きられない……なんて言っていたのが嘘みたいですね」
「……本当にな」
クロノス様の寿命が近づいたことが分かると、私たちは話し合って無理な延命治療を辞めた。彼が少しでも楽に旅立つことができるように、そう決めたのだ。
クロノス様は力なくベッドに横たわっている。
食事を摂ることをやめ、数日が経っていたのだ。
もう終わりの時が近づいていることは、私も彼自身もわかっていた。
「俺は、やっぱり君と結婚して正解だったな」
「はい、私もです」
今までの日々のことが、まるで昨日のことのように鮮やかに蘇ってくる。
ショートケーキを美味しそうに頬張る貴方も、パレードで黄色い歓声を浴びる貴方も、結婚式で私のために泣いてくれた貴方も。
貴方が私に愛をくれるたびに、私に目に映るものの彩度が上がっていった。
……私の世界を色付けたのは、間違いなく貴方だった。
「……アレクシア」
「何でしょうか、旦那様」
「手を、握ってくれるか」
彼の手は、まだ熱を持っていて温かい。
けれども、芯が冷えてきているような感覚がする。彼の手を握る力がだんだんと弱くなっていく。
こんな日がくることは、ずっと前から分かっていたはずなのに。
「ええ、いくらでも手を握ります」
上擦った声を隠すように、私は彼の手を握りこんだ。
もうきっと彼の視界に私は映っていないから、いくら涙を流したって構わなかった。
だけど、声だけは明るく、元気に振舞おう。そうしないと、クロノス様は安心して旅立つことができない。
クロノス様は、ぼんやりと私を見据え、夢を見ているかのように言葉を紡いでいく。
「……昔、君が高熱を出したことがあったな」
「懐かしいですね」
それは、クロノス様が北大陸に向かう直前に倒れた時の記憶だ。熱に浮かされた私を慌てて抱えてレオン様のところへ連れて行ってくれたっけ。
「その時に……君にちゃんと言えなかったことば。言ってもいい?」
「はい」
クロノス様の唇が震える。
「……君のことを、世界で……いちばん、あいして、るよ」
ああ、あの時だとすぐに分かった。
眠りに落ちかけた私が唯一聞き取れなかった言葉。
クロノス様がくれた言葉の正体は、私への真っすぐな愛だったんだ。
「あいし、てる……」
途切れ途切れで紡がれる愛の言葉は、この数年間で彼から数えきれないほど貰ったものだ。
それなのに、こんなにも心が震えて、涙が止まらないのはどうしてなのだろう。
私たちは、もう十分な時間を過ごしたはずだった。ずっと前から覚悟を決めていたはずだった。
それでも、今だけは、どうか時間が止まってくれと願ってしまう。
ベッドに横たわったクロノス様が目を瞑る。彼の睫毛が小刻みに震えた。
「ああ、アレクシア、すこし、ねむくなってきたな」
嫌だ。
寂しい。
いかないで。
こんなことなら、無理にでも延命治療をした方が良かったかもしれない。
苦しくても、私の傍で鼓動を刻んでいて欲しい。生きていて欲しい。
明るく送り出そうと決めたのに、愚かしくも、そんな言葉が口から零れそうになる。
ぐっとこらえて、涙と共に飲み込んだ。
「……ええ、ゆっくりおやすみなさい。旦那様」
力が抜けていく手を強く握り締めながら、彼に届くように告げる。
「今までありがとうございました。貴方がいなくなっても、私は、ずっとずっと世界で一番愛しています」
◇◇◇
真っ青な絨毯が敷かれた廊下に、軍靴の音が静かに響く。
行政官棟に軍人が姿を見せることは稀有なことで、すれ違う行政官たちは皆、書類の不備を指摘されることを恐れるように背筋を伸ばしていた。
私は廊下の突き当たり、重厚な木製の扉の前で立ち止まる。扉に刻まれた銘板には「政務官室」の文字。
私は扉を優しくノックした。
「おう、アレクシア……いや、失礼。カラマニス中佐」
扉の向こうには、クリスの穏やかな笑顔があった。
彼は窓際に置かれた深緑のビロードのソファへと私を導いた。
陽の光が差し込む広々とした執務室。かつての小さな事務机とは別人のような立派な空間だ。
「普通に呼んでくれていいのに」と私が言うと、クリスは「一応な」と苦笑する。
彼と顔を合わせるのは、クロノス様の二度目の葬儀以来。
その時のことを思い出したのか、クリスは何か言いよどむような表情を浮かべながら、コーヒーを注いでくれた。こぽこぽと注がれる液体から立ち昇る香りが、重苦しい空気を少しずつ溶かしていく。
「あー、その……大丈夫なのか?」
言葉を選びながら発せられた彼の声には、相変わらず不器用な優しさが滲んでいた。私は思わず口元を緩ませる。
「ええ、大丈夫よ」
私は胸ポケットから一枚の封筒をクリスに差し出した。
「なんだ、またクロノス様からのお手紙かぁ……? って」
封筒を開いた彼は、目を真ん丸にして私の顔と書類を交互に見つめ、声が裏返った。
「は!? 退職願!?」
「提出先間違ってた?」
私の問いかけにクリスは首を振る。
「いいや、提出先は合ってる……けど……」
彼は顔を曇らせ、退職願から目を離さない。
「てっきり、お前は参謀長まで目指すものかと」
「もちろん、それも考えたわ。でも、私のやることはもう……」
言葉を選びながら、私は窓の外に目を向けた。
アズーラ帝国の街並みが、午後の陽光に照らされて輝いている。この数年で、街の表情は大きく変わった。
欠格軍人への扱いは改善され、各国との平和同盟もが結ばれた。
それも全て、クロノス様たちの築いた下地もあったことが大きい。平和な世の中というのは、案外早く実現してしまったのである。
つまるところ……軍部は暇になった。
「……死なないよな?」
「まさか!」
思わずコーヒーを噴き出しそうになって、ふるふると私は頭を振った。
その直後、ばあんという派手な音と共に扉が開いた。
「アレクシア!」
「……司令官」
そこには、司令官となったシャイロ様がいた。
彼女は、クロノス様の葬儀後、長かった水色の髪をバッサリと切ってしまった。
かつかつと歩み寄ってきた彼女は、私の前に立つとぐっと腰を落とした。
「辞めるって正気? まさか、貴方、自分も死ぬつもりじゃないでしょうね!」
「……私、自殺志願者だと思われてますか?」
クロノス様が亡くなったことは私の心に大きな穴を開けた。
思い出すだけで、胸が切なくなって涙が込み上がってくる。
けれども、私はクロノス様の後を追おうなんて思わない。
その胸の痛みすら愛することが、きっとクロノス様が生きていた証になると信じているからだ。
「私は死なないです。これからやりたいことが沢山あるので」
私はソファの隣に置いたトランクケースをぽんと優しく叩いた。
それを見たクリスが怪訝な顔をした。
「ごめん、アレクシア。ずっと聞こうと思っていたけど、なんだその荷物」
「……旅に出ようかと思って」
「はぁ!?」
テーブルから身を乗り出した彼の表情は、いつの日かと全く同じだった。私はそれを宥めながら、口を開く。
「クロノス様の生前、行けなかったところが沢山あるから巡ってみようかな、なんて」
「……ほんとにね、貴方、昔から思ってたけど、猪突猛進というか意外と無鉄砲というか」
その声の主はシャイロ様だ。
立ったままの彼女は、肩を震わせながら俯いた。
「……ほんとに、貴方のそういうところが腹立つ……。他人ができないことを簡単にやり遂げてしまうところが……!」
「シャイロ、様?」
私は立ちあがって、シャイロ様の顔を覗き込んだ。彼女の瞳からは、ぼろぼろと涙が零れ落ちていた。
「シャイロ様、なんで泣いて……」
「泣いてないわよ!」
弾かれたように顔を上げて叫んだ彼女の顔は、涙でぐちゃぐちゃなっていた。慌てたように軍服の袖で涙を拭う。
「別に寂しいとか思ってないんだから……置いていかれるなんて思ってないんだから!」
「シャイロ様……」
思わず、がばりとシャイロ様に抱き着く。驚いたように目を見開いた後、彼女は水色の瞳を細めた。
「……年に一回は帰ってこないと許さないんだから」
「もちろんです」
「手紙くらい出しなさいよ」
「はい」
ぐずぐずと上擦った声を出すシャイロ様を見ていると、じんわりと目の奥が熱くなってくる。
「おーい、二人の世界もいいいけど、俺のことも忘れるなよ」
「うるさいわね、空気読め、ポンコツ行政官。いっつも影が薄い癖に」
「もう行政官じゃなくて、政務官なんですけど! あと影薄いっていうな!」
くるりと振り返れば、シャイロ様に文句をクリスの顔もなんだか少し泣きそうになっていて。
「クリスもこっち」
「……ああ」
私が手招きで彼を呼び寄せる。シャイロ様と並ぶと、二人纏めてぎゅっと抱きしめた。
「気を付けて行ってくるんだぞ」
「困ったらすぐに連絡しなさいよ」
ああ、友人というものはこんなにも温かい。
「ありがとう、二人とも……大好きよ」
いつだって私の背中を優しく押してくれるのは、この二人だった。
クロノス様が一度死んでしまった時も、「生きているかもしれない」という私のことを笑わずに送り出してくれた。
私のことを否定せずに、最大限に尊重しながら手を差し伸べてくれる最高の友人たちだ。
私たちはしばらくの間、大人げなく三人でわあわあと声を上げて泣いた。
◇◇◇
クロノス様の墓は、オルディンの海辺にある軍部墓地の一角に存在する。彼が死亡宣言を下された時からずっとここに存在しているのだ。
私は白い薔薇の花束を墓に添えた。彼の好きな花だった。
「こんにちは。旦那様、私、軍部を辞めました。……あと、実家と縁も切ってきました」
先ほど、郵便局に寄った私は、実家に手紙を出した。
『今まで育ててくれてありがとうございました。どうかお元気で。私は自由に生きます』
家族に告げる言葉はそれだけで十分だった。
オルディンの屋敷も売り払ってしまった。彼らが私を探そうと思っても、もう無理だろうと思う。
「これから、旅に行ってきます、旦那様。貴方と過ごした時間に悔いはない。だけど、貴方ともっと一緒に行きたかった場所が山ほどあるんです」
今日から、どこに行こうか。
魔法の国に行こうか、それとも錬金術の発達した国に行こうか。
まだ、何も決めていない。
けれども。
「行ってきます、旦那様!」
私は立ちあがって、一歩を踏み出した。
無計画にふらふらと色々な国を回るのも、私らしいだろう。
これから、沢山旅をして、沢山の思い出を作ろう。
そうして、大好きな貴方に、両手に抱えきれないほどのラブレターの花束を贈ろう。
この先何十年後、貴方が迎えに来た時に、沢山の話ができるように。
あの空が綺麗で感動して涙を流しただとか、魔法使いは本当にいて驚いただとか、くだらない話を喉が枯れるまでできるように。
もう、私は無情令嬢なんかじゃない。
だから、この先の人生、何にも縛られずに好きなように生きてみることにするのだ。
色褪せた紫色のスカーフが海風に靡いた。
『無情令嬢から、ラブレターの花束を』 完
【あとがき】
「無情令嬢から、ラブレターの花束を」を最後までお読みいただきましてありがとうございました。
このお話ですが、執筆中に「愛とは?」を凄く考えさせられました。
それぞれのキャラクターによって愛との向き合い方は違っていて。
大切な気持ちを表に出すこともあれば、あえて隠すこともあるけれど……それでもきっと相手を思う気持ちは同じで。
群像劇化しそうだったので、なかなかサブキャラ達やクロノス様視点のお話を書けなかったのですが、時間があれば書きたいなぁ……と思っています。
お読みいただきまして、本当に本当にありがとうございました!
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