41_今度は、私が
オルディンの屋敷に戻ってきてから二か月ほどが経った。
私は『とあること』に追われ、心苦しくもクロノス様の看病を執事に任せきりにせざるを得なかった。
せっかく家に戻られたクロノス様と共に過ごしたい気持ちは募る一方だったが、「これ」だけは避けられないことだったのだ。
ようやく慌ただしさが落ち着いたある日の午後、私はクロノス様の寝室にいた。
「はぁー……毎度のことながら、参謀長の私に買い物頼むって、どういう神経してるワケ?」
シャイロ様は、小言を零しながらもパンの入った紙袋を私の手に押し付けた。これは、クロノス様のパン粥用に買ってきていただいたものだ。
シャイロ様とクリスの二人は、忙しい私に代わってカラマニス家の身の回りの世話を手伝ってくれていた。
特にシャイロ様なんて、「クロノス様のお口に入れるものは私が選ぶ!」と誇らしげに宣言していたのだ。それで買い出しをお願いしたのだが、どうやら機嫌を損ねてしまったようだった。
「シャイロ様、嫌だったのでしたら、次からは私が――」
「別に嫌なんて一言も言ってないじゃない。いい? アンタのセンスは終わってるから、私が代わりに買ってきてあげるって言ってんの」
確かに私にはセンスという概念が欠如している。
項垂れながら、素直に反省の言葉を紡ぐ。
「では、私もセンスを磨けるように精進いたします」
「……はー! 貴方ね、いちいち全部説明しないとわからなわけ!? 私が好きで買ってきてるだけなの! 気にするな、バカっ!」
べしっと肩の辺りを強めに叩かれた。
なんだか、元気づけられているのか貶されているのか全く分からない。
ぽかんとした顔で見上げていれば、クリスのケラケラとした陽気な笑い声が響いた。
「シャイロ様も、ちょっとは素直になったら可愛いのになぁ。ツンデレなんてもう流行らないじゃん?」
「はぁー? 何よ、このポンコツ行政官!」
「今は役職上がって予算担当官でーす」
どたばたと賑やかに口論を始めた二人を眺めながら、ベッドに横たわった銀髪の美青年――クロノス様は、か細い手を額に当てた。
病に伏せっていてなお、彼には『アズーラ帝国の星』の異名に相応しい気品ある美しさが宿っている。
「ここ、俺の寝室なんだけどな……」
溜息をつきながらも、クロノス様の表情には穏やかな温もりが漂っていた。
私はベッド脇の椅子に静かに腰を下ろした。
「アレクシア、忙しいのは落ち着いたのか」
「はい、もう大丈夫です」
オルディンに戻ってからは目が回るような忙しさだった。
でも、それはきっとクロノス様も同じだったはずだ。
自宅療養を可能にするため、オルディン帝国立病院の医師との相談を重ね、幾度もの検査に耐えてこられたのだから。
その疲れがにじむように、彼の青白い頬には僅かな翳りが見えた。
「……なあ、アレクシア。俺の延命治療をするって言っても、かなりの額が掛かるだろ? 死亡宣言が取り消されたから見舞金は返納したし、我が家の財産を食い潰すわけにもいかないし」
クロノス様の懸念は的確だった。
実際、カラマニス家の財政状況は風前の灯火のように危うかった。
もちろん、クロノス様が残してくれていた財産はあったものの、彼の検査費用だけで儚く溶けていった。
「まさか、エヴァンドラ男爵に金を借りたわけじゃないだろうな。あの手紙に書いていたのは、君が本当に金銭的に困った時の支援であって……」
「当然です。まあ、エヴァンドラさんは支援を申し出てくれましたが」
宝石商の彼女はわざわざオルディンまで出向いて、金銭面の支援を申し出てくれた。
借金ではなく、無償での支援だと強調してくれたが、その善意の重さに耐えかね、私は丁重にお断りした。
『困ったらすぐに連絡してくださいね』
なんて言いながら、最後にちゃっかり新作のアクセサリーの宣伝を忘れなかったところが実にエヴァンドラさんらしいかったが。
「君の実家は何て言っているんだ。他の人間との縁談は?」
「まあ、あの後はちょっと大変なことにはなりましたが」
私を始めとした仲間たちにコテンパンにされて、プライドがへし折られた両親たちは一度領地に帰ったものの、うるさく屋敷を訪ねて来ては、私を連れ戻そうとしていた。
挙句の果てには、クリスの実家に『アレクシアと結婚してくれ』と何十通も手紙を送りつける始末だった。迷惑すぎる。
「俺に選択権が無い、酷い手紙だったよな、あれ。まともに読んでもないけど」
「こんのポンコツ行政官、まんざらでもなさそうだったけどね?」
「いらんこと言わないでもらえますかねー」
しかし、そんな両親の嵐のような暴走も、突如として静まり返ったのだ。
私は、にっこりと微笑んでクロノス様を見つめる。
「……実は、金銭面も、実家の問題も、旦那様の懸念も全て引き飛ばす解決策があったのですよ」
「なんだ、その凄い解決策」
「少々お待ちください」
私はクロノス様の寝室を出ていく。
そうして、やっと昨日受け取ったばかりの新品の服に袖を通した後に、再び寝室に戻った。
クロノス様は私が近づいていくにつれて、じわじわと目を見開いた。
「フリルのワンピースではないから似合いませんか?」
「……まさか、君!」
私が纏っているのは――真っ白な軍服だった。
とはいえ、まだ下っ端の身ゆえ、シャイロ様やかつてのクロノス様のような華やかな装飾は一切ない。
くるり、とその場で一回転すると、外套が風を切って優雅に広がった。
「はい、軍人になりました。それが一番手っ取り早かったので。先日研修が終わりまして、やっと解放されました」
これこそが、私が二か月もの間、慌ただしく過ごしていた理由だ。
かなり辛い研修だったけれども、クロノス様のためだと思えば、むしろ心地よさすら覚えた。
「……ちょっと、待ってくれ。コネじゃ……ないんだよな」
「はい。才能があったんですよね、それが」
軍人になるには、二つの道がある。
一つは、クロノス様やシャイロ様のように士官学校を卒業するエリートコース。もう一つが、試験による登用という道だ。
試験を受けるのは、元傭兵上がりの者たちが多いのだが、なんと私はなかなか好成績で試験を突破することができた。
シャイロ様は「ワンピースで訓練していたのが、良い負荷になってたみたいね」と講評してくれた。
「私も出世して、クロノス様たちが目指したかった平和な世の中を築こうかな……なんて」
クロノス様とレオン様が目指した理不尽の無い世の中。
夢半ばで折れてしまった彼ら意思を受け継いで、今度は私が叶えてみたいと思ったのだ。
「それに実家も私が軍人になったと言ったら黙りました」
「そりゃそうだろうよ……」
クロノス様は、まるで降参するように頭を抱えた。
やっぱり、私は普通の人間と感性がズレているのだろうか。
どう考えても、これが最善の選択肢なのだが。
「……はあ、君には敵わないな」
呆れたように溜息をつかれたため、シャイロ様とクリスに助けを求めるように振り返った。しかし、彼らも生暖かい笑みを浮かべながら、私のことを見つめているだけだった。
「ほんっと、どこに旦那助けるために、自分が軍人になる女がいるんだか」
「ホントにな」
残念ながら味方はいなかった。
「でもさ」とクリスが続ける。
「これで、アレクシアも無事、俺らと同僚ってわけだ」
私はハッとした。
クリスは事務面でお世話になるだろうし、シャイロ様に至っては上官だ。どちらも軍部の大先輩である。
慌てて直立の姿勢で腰を直角に折り曲げ、深々と頭を下げた。
「これから、よろしくお願いします。メルクーリ参謀長、アエトス予算担当官」
「うわっ、気持ち悪。俺、自分の苗字忘れかけてたわ」
「奇遇ね。私もよ」
彼らは苦い顔をしたけれども、その表情の裏に籠っている感情が何なのかを私は知っている。
小さく笑った私は、軍服を靡かせて再びベッドの横に腰掛けた。
「ねぇ、クロノス様」
「なんだ?」
紫の瞳が優しく私を見据える。
「……世界ってこんなに愛に溢れているんですね」
それは、友人同士の愛であり、親子同士の愛であり、師弟の愛であり、夫婦の愛であり、親友との愛である。
きっとこの世界の誰もが、誰かからの愛を受け取って暮らしているのだろう。
けれど、愛は、ままならないものだ。
時に傷つけ合うことだってある。相手を想うからこそ、嘘をつくこともあれば、自分の意に反して厳しい言葉を投げかけてしまうこともある。
だから、見失ってしまいそうにもなるけれども、私が感じた愛はもう二度と手放すことは無い。
「今度は、私の受け取った沢山の愛を、皆に――そして貴方に、返していきたいです」
もう、感情を押さえつけるようなことはしない。私はクロノス様に向かって、満面の笑みを浮かべた。
明日、最終話です。
最後までよろしくお願いします。




