40_無情令嬢から、ラブレターの花束を
◇◇◇
「愛して、いた、のに……」
ぐっと唇を噛んだ。
鼻と目の奥が痛くなって、ボロボロと涙が零れ落ちていく。手が震えて、便箋を持っていられなくて、机に置いた。
ひぐっという、可愛くもない嗚咽が引き攣ったように漏れ落ちる。
私は、ショルダーバッグからクロノス様からの手紙を取り出した。何回も見返したせいでシワの寄った便箋に書かれた、インクの滲んだその一文に視線を落とす。
『君のことなんて少しも愛していなかった』
ああ、その言葉にどれだけの愛が詰まっていたのだろうか。
どんなに、私のことを考えてその言葉を紡いでいたのだろうか。
それは、クロノス様なりの最上級の愛の言葉だったのに。
「ちゃんと愛していなかったのは、私の方です……」
クロノス様を見ることもせず、自分は感情が無いからと向けられる愛情も捨て置いた。自分の湧き上がってくる感情にも気が付かないフリをし続けた。
私という人間は、なんとわがままで、子どもっぽくて、自分勝手なのだろう。
「いいや、君はちゃんと俺のことを大切にしてくれていた。……わかるよ」
クロノス様の声は、今までかけられたどんな言葉よりも、ずっと柔らかい。
「クロノス様、おそばに行っても良いですか」
「……もちろん」
私は椅子から立ち上がると、クロノス様の座っている椅子の隣に膝をついた。椅子に座った彼を見上げる。
「私は、旦那様が歩けなくなっても、その視界に私を映すことができなくなっても、私の声を聞けなくなっても。もしも、その見た目が変わってしまったとしても……どんな貴方でも、ずっと傍にいます」
それは、恋というにはあまりに重く、愛というには幼すぎる感情だ。
ずっと傍にいたい、離れたくない。温かい感情であるはずなのに、胸が苦しくて切ない。
「アレクシア――もしかして、泣いているのか?」
「……はい、泣いています」
私には、ずっと感情が無いと思ってきた。
でも、いつの間にか、私は、嬉しさも悲しさも――人を愛するという感情も、全て知ってしまっていたのだ。
ケーキはとっても美味しいこと。他人の好意には謝罪ではなくて、感謝を伝えること。優しい嘘は存在すること。酷いことを言われたら親だとしても怒って良いこと。大好きな人と離れ離れになるのは、こんなにも切なくて辛いこと。
それは、全部、クロノス様が私に教えてくれたことだ。
私の暗闇の心には、今やいっぱいの光が差し込んでいる。
クロノス様の頬に触れて、顔を近付ける。
「見えますか? 泣いています」
「ああ、見えるよ」
じっと、クロノス様のことを見つめながら告げる。
「わたしが、泣いているのは――――貴方のことが、すきだからです」
見えているだろうか。聞こえているだろうか。
涙が喉に流れて、むせそうになりながら言葉を紡ぐ。
「すきだから、胸が苦しいのです。すきだから、涙が出るのです。すきだから、こんなところまで追いかけて来てしまったのです」
胸のボウタイリボンをぎゅっと握りしめながら、深紫の瞳を見つめる。
「貴方のことが、すきなのです。クロノス様」
私の言葉に、彼は瞳を見開いて――静かに涙を零した。
私の手を取って、彼は一緒に立ち上がる。
じっと紫色の瞳が私を見下ろした。
「ああ、俺も、すきだよ。だいすきだ、アレクシア」
自分の気持ちが、愛が、相手に届くというのは、なんと素晴らしくて、尊いことなのだろう。
思わず、彼に抱き着こうとした私だったが、足がもつれて体勢を崩す。
クロノス様が抱き留めてくれたものの、勢いよくどん、と窓枠にぶつかってしまい外の寒い風がひゅうと吹き込んだ。
「うおっ、危ないな」
「……すみません。ありがとうございます」
しかし、抱きついた勢いで私のショルダーバッグが思い切り開いて、中から沢山の手紙が飛び出していく。
風に乗って勢いよく舞い上がったそれらは、バサバサとクロノス様を攻撃するかのように降り積もった。
「うわっ、なんだ……これは、手紙?」
「それは……」
「君の字? 俺宛て?」
クロノス様は、持ち上げた手紙を近づけたり離したりして、目を細めている。
「あの、その……私からクロノス様宛てのお手紙です。クロノス様に伝えたいことを書いていたら、そのような量に……」
「……ふ」
言い訳をするかのようにもごもごと言葉を紡げば、クロノス様は思い切り噴き出した。
「あはははっ、なんだこの量のラブレター! こんなの今まで貰ったことないな!」
「そんなに笑うことでしょうか」
「あははは、いやいや、君がこれを一枚一枚……ふっ、あっはははは」
「そ、そこまで笑わなくていいではないですか!」
私は頬をむっと膨らませながら、風の吹き込む窓を閉めた。全く、この風が無ければ恥ずかしい手紙の存在もバレなかったというのに。
「ありがとう、本当に嬉しいよ。こんなラブレターの花束」
「……わっ」
今度こそ、ぎゅっと抱きすくめられる。甘い香りと温かな体温と正確に刻まれる鼓動が、私に伝わってくる。
「俺は、君と同じくらい長生きはできない。もしかしたら、もうじき死んでしまうかもしれない」
「…………」
「欠格軍人なんて、後ろ指をさされるばかりだ。それに毒の存在を隠すためにも、俺は表立って外を歩けない。君に迷惑が掛かる」
彼の言うことは正論だ。どこからどう見ても、何も間違いのないことを言っている。
「だから、俺は死んだんだ。俺なんかよりも、もっと良い人と再婚した方が君を守る後ろ盾になってくれる、それは間違いない」
「そんなこと!」
「――――けど、どうやらそれは間違っていたみたいだ」
私が反論する前に、被せるようにしてクロノス様が即答する。
はっとして、抱きしめられたまま彼のことを見上げた。
いつだって、『アズーラ帝国の星』はどんな星々よりも美しい。
「大好きだよ、アレクシア。どうか、この命が尽きるまで一緒にいてくれるか?」
頷く以外の選択肢があるわけがなかった。
だって、私は本当にどうしようもないくらい、この人のことが好きで堪らないのだ。




