39_空白の手紙のアンサー
『君を愛することはないし、君もまた俺のことなんて愛さなくてもいい』
その言葉の意味が変わってしまったのは、一体いつからだっただろうか。
俺が、アレクシアと出会ったのは、十八歳の時だった。
十三歳のまだ幼い少女を見て、『俺は、この子と結婚の話が持ち上がっているのか』と憂鬱な気分になった。
表情筋がぴくりともしない。感情のない「無情令嬢」という噂は本当だった。
けれども。
ケーキを美味しそうに食べ、コーヒーが苦手だと言った彼女は年相応で。
『愛なんて、錯覚です』
震えながらそう言ったアレクシアを見て、ああ、俺がこの子を守らなきゃならないんだと思った。彼女は、感情がないのではなくて、ただ表に出さないように無意識のうちに我慢をしているだけだ。
生育環境から、愛を知らず、感情を押さえつけて生きていたこの子に、無情令嬢なんて酷いあだ名で呼ばれているこの子に、楽しいことを沢山教えてあげたい。
――愛されるのが怖い君に、愛を教えてあげたい、そう思った。
だから、アレクシアが怖がらないように、こう告げたのだ。
『君を愛することはないし、君もまた俺のことなんて愛さなくてもいい』と。
それは、愛ゆえの言葉だった。
それから、美味しい物を沢山食べた。時間があれば訓練をした。
毎日が充実していて、俺も彼女と過ごす時間が楽しくなっていた。
そんな時に、事件は起こった。
俺は軍の上層部と揉め、結果としてクーデターを引き起こしてしまったのだ。そして、自分自身もまた毒をいっぱいに吸ってしまった。
毒は徐々に俺のことを蝕んでいった。
残された時間をアレクシアと過ごそうとした。結婚式を挙げて、新婚旅行にも赴いた。
けれど、気持ちが前向きだったのはそこまでだ。
新婚旅行中に、迷子を捜すために森の中に赴いた時、急激に体調が悪くなった俺は、咳き込んだとともに血を吐いた。
頭がくらくらして、崩れかけの崖にも気づかないで、そこから落っこちた。我ながら、馬鹿だと思った。
薄々気が付いていたんだ。
もう、レオンの解毒薬を飲んでも毒の進行を止めることはできないのだと。
このまま死んでしまってもいいと思っていたところに、星の花を馬鹿みたいに抱えて、迎えに来たのはアレクシアだった。
『クロノス様が、どこかで倒れて居るんじゃないかって思うと居てもたってもいられなくなったのです!』
そう言った彼女を見て、俺の中の何かがはじけた音がした。
最初は兄のような愛情だったはずなのに、いつしか俺が抱く感情はずっと邪なものに変わってしまっていて。
それに気が付いてしまうと辛かった。
彼女から向けられる視線が、だんだんと温かなものに変わっていると気が付くたびに、彼女からの不器用な愛を感じるたびに、いつか自分が居なくなってしまう時のことを考えた。
『君を愛することはないし、君もまた俺のことなんて愛さなくてもいい』
アレクシアを怖がらせないためのその言葉の意味は、いつの間にか、彼女を突き放すものに変わってしまった。
冷たく振舞うのは、彼女のためなんかじゃなく、結局、自分が楽になりたかっただけなのかもしれない。
迫りくる死と、大好きな人との別れから現実逃避しないと、死ぬよりも先に気が狂ってしまいそうだったのだ。
そうして、北大陸への遠征が決まった日。俺は、手紙を書いたのだ。
たったひとりになってしまうアレクシアのことを任せられる大切な人たちへ。
クリス・アエトス。
彼は、アレクシアの友人だ。旧知の仲で、彼女のことも良く知っている。実家も軍人の家系だし、彼女を支えてくれるだろう。そう思った。
『アレクシアの友人として支えてくれ。そうして、もしお互いが望めば結婚して欲しい』
そう頼んだ。
シャイロ・メルクーリ。
彼女は、優秀な軍人だ。仮に生き残った際の俺の死亡宣言は彼女に任せてある。
俺が死んだら参謀長になるのは、きっと彼女だ。事情を知っている彼女には、クリスの手紙の中で、
『アレクシアの友人になって欲しい』そう頼んだ。
エヴァンドラ・アステリスク。
彼女は、俺たちの結婚指輪を作った宝石商だ。
幼い頃からアレクシアを知る彼女は、まるで母親のような温かさがあった。一度懐に入れた人間は決して裏切らない。そんな昔ながらの商売魂を掲げた彼女には、
『アレクシアに何かあれば、金銭的に力を貸して欲しい』そう頼んだ。
ダミアン・クレイン。
彼は退役軍人だ。アレクシアの花嫁修業の師匠である彼は、元司令官で軍への影響力もさることながら、本人も驚くほど強い。
アレクシアを気にかけて、新年には律義に挨拶の手紙が届いていた。
『アレクシアがピンチに陥った時に、その武力を貸して欲しい』そう頼んだ。
レオン・ロス。
彼は俺の親友であり、共犯者だ。彼が生きていれば、間違いなく、アレクシアのことを助けてくれるだろうと思った。
『アレクシアが真実を知ることがないよう力を貸してほしい』そう頼んだ。
彼らが力を貸したとしても見返りのない、子どもっぽい遺言だった。
それでも、ズルい俺はわかっていたのだ。彼らがアレクシアに接する態度から、絶対に彼女を見捨てたりしないと。
他人の好意に付け込むようで申し訳なかったが、俺はもういなくなってしまう。信頼できる人間に、彼女のことを任せたかったのだ。
俺は、今、自分宛ての手紙を書いている。
この手紙という名の日記は、仮に生き残った際の俺宛てに送ることにする。
送付場所は、我が親友レオンのいるルクシー村からさらに奥地のサイレーナ山村にある小さな家だ。
じいさん世代が作ったカラマニスの家だが、きっとアレクシアも、場所を知らないだろう。
……なあ、俺。これを読んでるってことは生き残ってしまったんだよな。
俺は、この選択に納得しているか。
俺は、今この手紙を書きながら、凄く後悔している。
冷たい態度を取ってしまった時に傷ついた顔をしたアレクシアを、優しく抱きしめたかった。便箋一枚の簡素な手紙なんかじゃなくて、何百枚もの『好き』を綴った手紙をあげたかった。
本当は、感情豊かで、誰よりも優しくて、思いやりがあって、意外と衝動的で。
そんなアレクシアと最期の時まで、ずっと一緒にいたいと思っている。
それなのに、俺は、この期に及んでまだ迷っているんだよ。
俺は、ずっとアレクシアのことを――――




