35_秘密と感謝と白手袋
◇◇◇
話終わったレオン様は、唇を噛みしめながら静かに俯いていた。そのまま眼鏡を外し、両手で顔を覆ったかと思うと、深い息を吐き出す。
「......話してくださって、ありがとうございます」
心の底から、そう思った。
レオン様の中には、私には到底想像もつかない葛藤や苦しみがあったはずだ。クロノス様との約束を守るために、軍部を守るために――。彼はずっと、孤独に秘密を抱え込んでいたのだ。
そんな秘密を、いま私に打ち明けてくれた。
「本当に、ありがとうございます......!」
どれだけ頭を下げても、この感謝は到底伝えきれない。
「本当に、本当に......っ!」
胸がいっぱいで、とても言葉にならない。
今までの旅で出会ってきた人たちの姿が次々と頭に浮かぶ。
私はこんなにも素敵な人たちに囲まれていたのに、どうして気づかなかったのだろう。
......ねえ、クロノス様。
一年前。
体調を崩した私がレオン様の馬車で屋敷に帰ってきた朝、ちょうど遠征に出発するクロノス様とばったりと鉢合わせた。
相変わらず、冷たい態度だった彼は私を一瞥して言った。
『……体調は?』
良くなったと返すと、厳しい顔を少し緩ませたクロノス様は私に背を向けた。
『行ってくるよ』
いつもと何一つ変わらない。少し長めの遠征だと思っていた。
その時にどうして。
『ちょっと帰りが遅くなるかもしれない』
それを聞いていたのならなんで。
『じゃあな』
それが最後だと、クロノス様だけは知っていたのに。
『……アレクシア』
クロノス様は、私のことを最後にそう呼んだ。
瞳に籠った熱は、確かに私を映していたのに。
彼がどんな気持ちで私を呼んでいたのか、今なら痛いほど分かるのに。
呆れたような声も。優しい声も。嬉しそうな声も。
怒った声も。悪戯っぽい声も。愛おしげな声も。
その声たちは、二度と私を呼んでくれない。
あの時、もし私がもし彼を引き止めていたら?
絶対帰ってきてくれと泣いて約束していたら?
『……はい、お気を付けて』
違う、そんなことが言いたかったわけじゃないのに。
今すぐ一年前に戻って、自分の頬を引っぱたいてやりたかった。
本当は。私は―――
「……大好きでした」
自覚したこの感情は、突然芽生えてきたものなんかじゃない。
「ずっと、今日この日までずっと。クロノス様のことが大好きで堪らない!」
目を瞑った。
いつだって瞼の裏に映るのは、優しく微笑む彼の姿だった。
「気が付いていなかっただけなのです。私は、クロノス様のことがこんなに大切だったのに、私が愚かな人間だから……」
上手く息ができない。
苦しんでいたクロノス様を支えることができなかった。その後悔が、重く心にのしかかってくる。
「クロノス様の苦しみにも気が付くことができなくて。私は何も知らない顔で過ごしていて、ずっとずっとクロノス様の瞳は私を映していたのに……っ」
ぎゅっとスカートを握りしめる。
すると、ふわりと優しい声が響いて、私は顔を上げた。
「アレクシアちゃん」
レオン様は、きっと私のことは見えていないのに、その瞳は間違いなく私を捉えていて。
覚悟を決めたように震える唇を開いた。
「もし、クロノスが――生きてるって言ったら?」
時が、止まった。
「……それ、は」
我慢できなかった。
今までずっと堪えていたものが、溢れだすように流れ出した。熱い雫が頬を伝って落ちていく。
「生きて、いるんですか」
聞かなくてもわかった。
だって、レオン様はきっと人を傷つけるような嘘を付く人間ではない。
「本当に、生きて、いるんですね……!」
胸元の紫色のスカーフを強く握りしめた。
ああ、こういう時の感情を人は何と呼ぶのだろう。
喜びでも切なさでもない。感動なんて陳腐な言葉でも言い表せられないくらい大きな波が私の心を覆いつくす。
「北大陸大戦でアイツは死に損ねた。瀕死になっているところを同盟国に拾われたんだよ」
「じゃ、じゃあ……旦那様は今どこに。まさか同盟国に――」
「いいや。アズーラ帝国に帰ってきてるよ」
思わずソファから立ち上がって、レオン様に詰め寄った。彼の肩に両手を置くと、大声を上げる。
「旦那様はどこですか!」
「うわっ、びっくりした」
レオン様はぎゅっと目を瞑り、困ったように下を向いた。
「……正直、行かないほうがいいと思う。アイツ体は強いけど、僕より毒を吸っているはずだよ、それにしばらく解毒薬も飲んでいない。……今、どうなっているのかなんて」
「構いません!」
びくっと、彼は肩を震わせる。
「クロノス様がどんな状態でも構いません!」
失明していても、失聴していても。体が動かなくても。心が壊れていても。仮に私のことを忘れてしまっていても。
どんなクロノス様だって、会いたい。会って伝えたいことが山ほどある。
「全く、他人は見かけによらない……を体現したような子だな」
呆れた笑い声とともに、彼は一度席を外した。
しばらくして戻ってきた彼から、一枚の紙が差し出される。レオン様の渡してきた紙には、簡易的な地図が描かれていた。
「サイレーナに行けば、クロノスに会えると思う」
「……サイレーナ?」
地図を見つめてみると、山の奥地に小さく『サイレーナ』と記載されている。
「ルクシー村の先にある山間部の集落だ。集落、といっても林業で生計を立てる数世帯が住んでいるだけの場所だけどね」
「どうしてそんなところに……」
「人里離れたところで余生を迎えたかったからじゃないかな」
情報を全て伝えて満足したのか、レオン様の顔色は少し良くなっている気がした。
そして、紙袋から、白い手袋を取り出すと、私に差し出した。
手袋は柔らかな羊革で作られており、ふかふかの白いファーがあしらわれている。シンプルながらも上品で、手首には小さな銀色の飾りが付いていた。
「寒いだろう? 持って行きなよ」
「……あ、ありがとうございます」
「もしかして、既に手袋、持ってた?」
困ったような顔で、紙袋に直そうとする彼に私は慌てて声をかけた。
「いえ、もう十年以上使っているもので、ボロボロなんです。なので、ちょうど良かったです」
「物持ちがいいんだね」
「兄から貰ったものなので……」
その言葉に、レオン様は少し目を見開いた後に目を伏せた。
「そっか……そっか。まだ使ってたんだ……」
「えっ?」
言葉の意味が分からず、聞き返したけれども、彼は「なんでもない」と緩く頭を振った。
「クロノスによろしくね、アレクシアちゃん」
私は、剣とショルダーバッグをクロスして肩にかける。ブローチのついたケープコートを羽織ったあと、レオン様に貰った手袋を手にはめた。
「必ず、レオン様のもとにも連れて帰ってきてみせます。……だって、旦那様はレオン様のたった一人の親友ですから」
レオン様は驚いたように眉を上げて、口元を綻ばせた。
「もし、クロノスに会ったら伝えてよ。『解毒薬は随分と改良した。早く戻って来い、馬鹿』ってね」
「ええ、必ず」
そうして、レオン様は声を震わせながら、「気を付けて」と私を見送った。
(第四章・完)




