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無情令嬢から、ラブレターの花束を【完結】  作者: 甘夏 みみ子
◇4章 医者と「たった一人の共犯者」

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31/42

31_優しい医者との関係性-1年前の冬のこと-

 

 ◇◆◇


 走りながら、ふいに思い出したのは一年前のことだった。


 高熱にうなされ、病院に担ぎ込まれた私は、気がつけばすやすやと眠り続けていたらしい。ぼんやりとした意識の中で、ゆっくりと目を開けると、そこには見慣れない天井が広がっていた。


 ベッドからゆっくりと頭をもたげ、あたりを見回す。部屋は静かで朝日が差し込んでいた。


 ふと視線を横に向けると、机に向かってペンを走らせる人物の背中が見えた。――レオン様だ。

 彼は熱心にカルテらしきものに書き込んでいる。


「……旦那様は?」


 か細い声で問いかけると、彼はペンを止めて振り返った。その顔には明らかに疲れが滲んでいた。目の下には濃いクマがあり、顔色も青白い。


「もう帰ったよ」


 短くそう告げる彼の声は、どこか掠れていた。まるで一晩中起きていたのではないかと思わせるほどだ。


「調子はどう? アレクシアちゃん」

「……はい、ずいぶんと良くなりました」


 ゆっくりと上半身を起こし、ぐるりと部屋を見渡す。病室ではない。

 それどころか、どこか家庭的な雰囲気すら漂っている。壁一面に並ぶ医学や薬学の専門書が目に入った。


「ここは……」

「ああ、僕の当直室だよ」

「と、当直室……」


 つまり、このベッドは本来彼が眠るためのものだったということだろう。自分が占拠してしまったことに気づき、慌てて申し訳なさを口にする。


「すみません、レオン様のベッドだったんですよね」

「あー……いいのいいの」


 彼は大きなあくびをしながら、手をひらひらと振った。その仕草はどこか子供っぽい。


「さて、君も起きたことだし、ちょっと診察させてねー」


 立ち上がって近づいてきた彼から、ふわりとバニラの香りが漂ってきた。甘ったるい香りはクロノス様とお揃いだ。


「あ……旦那様の、香り……」

「あー……この匂い?」


 レオン様は、なぜか困ったような笑みを浮かべた。


「何の香りなんですか? 旦那様に聞いても、この香水の売っている場所を教えてもらえなくて」


 以前、私はクロノス様に香水の銘柄を教えて欲しいと懇願したことがあった。だけれども、彼は「秘密」と言って教えてくれなかったのだ。



「……まあ、非売品だからねー。はーい、おくちあけてー」


 適当にはぐらかされてしまい、私は口を噤んだ。



 診察は手際が良く、優しかった。冷たい器具が肌に触れる感覚に少し緊張しながらも、彼の柔らかい声にほっとする。


「うん、しばらく通院はしてもらうけど、もうおうちに帰っても大丈夫だよ。いやぁ、若者ってすごいね」

「……レオン様もお若いと思いますが」

「え? 僕、もう二十三歳だけど」

「十分お若いじゃないですか……」


 二十三歳というのは旦那様と同い年だろうか。そう思いながら、改めて彼を見つめた。


 ふわふわのパーマがかかった茶髪、少し垂れている少しくすんだ緑色の瞳。優しく柔和な印象を持った彼は、クロノス様の見た目とは正反対の印象を受ける。

 だが、穏やかで明るい性格は自分の旦那とよく似ているなと思った。

 初対面だと言っていたが、きっと彼らは良い友人になるのではないか。


「さすがに歩けないだろうから、馬車を手配しようか」

「そんな大げさな……」

「大丈夫、馬車代は僕持ちだから」


 舟の移動が基本であるアズーラ帝国において、馬車を使うなどよっぽどの要人しかいない。街中を貨物以外の馬車が走っていたら何事かと注目を浴びてしまう。

 それに、なによりお金がかかる。


「馬車を手配する」「いらないです」という私とレオン様の攻防戦が続く最中、不意に彼が咳き込む音がした。


「ごほっ、ごほっ」


 机に手をつき、咄嗟に口に手を当てる。口元から離れたその手には、べっとりと鮮血がついているではないか。


「だ、大丈夫ですか?」


 驚いて声をかけると、彼は苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。


「ああ、咳のし過ぎで喉が切れただけだよ。まったく、医者の不養生ってやつだよな」


 彼はハンカチで手を拭きながら、からからと笑い声を上げる。全く笑いごとではないと思うのは、私だけなのだろうか。


「……じゃ、馬車手配しとくから。クロノスによろしくね」


 ぱたん、と部屋を出ていった直後、別の職員がやってきて私を馬車まで案内してくれた。

 案の定、街ゆく人に物凄い注目を浴びながら私は屋敷まで帰宅することになったのだが。


「『クロノスによろしくね』か」


 レオン様の言葉に何とも言えない違和感を覚えた。

 クロノス様のことを「参謀長」とは呼ばず、名前で呼び捨てにする人間など、上官くらいしか見たことがない。


 まるで彼らが以前から知り合いであるかのような気安い言葉だった。


 本当に、彼らは初対面だったのだろうか――。

 ふとそんな疑問が頭をよぎったことを覚えている。



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