28_優しくて甘い-1年前の冬のこと-
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私はベッドで荒い息を吐いていた。
クロノス様の海の向こうの北大陸への遠征が決まった。そして、私は完全に拒絶された。
ぐるぐると考え込んでいると、本当に気分が悪くなってしまったのである。
あろうとこか彼が旅立つ、その直前に私は高熱を出した。
だから、この出来事は、もしかしたら、これは高熱の時にみた――都合のいい夢だったのかもしれないとずっと思っている。
『アレクシア! 大丈夫か!』
ばたばたとベッドに駆け寄ってきたのはクロノス様だ。遠征の準備があるというのに、高熱を出したと聞いてわざわざ帰ってきてくれたらしい。
『あの……わたしは……だいじょうぶ、なので……』
『医者は?』
『おひるま……よびました』
ぴたり、と額に手が当てられてる。ひんやりとしていて、とっても気持ちよくて、私は目を細めた。
クロノス様は、ベッドサイドに置いてある処方薬をじっと見つめた。
『処方薬は、これだけか』
『ええ……そう、です』
『この、やぶ医者が』
私を診てくれたのは、カラマニス家で以前からお世話になっているお医者様で、断じてやぶ医者ではない。あまりに口が悪すぎる。
『この薬はただの風邪なら効くけど、この熱は普通じゃないだろ』
『くすり、わかるの、すごい……』
クロノス様は薬を見ただけでも効能がわかるのかと、しみじみ尊敬の眼差しを向けた。さすがエリート軍人様だ。
『……ちゃんとした病院で見てもらった方がいい。アレクシア、動けるか』
『もちろんです、だんなさ――――』
起き上がろうとして、くらりと眩暈が襲う。私はそのまま真後ろに倒れ込んだ。
ぽふん、と大きな枕が私の頭を受け止める。
『大丈夫。アレクシア、絶対に大丈夫だから、お願いだから死なないでくれ』
『うぅ……』
死にませんよ、と答えようとした言葉は呻き声になって紡がれた。確かに、これはちょっとまずいかもしれない。
『嫌かもしれないが、ちょっと我慢してくれよ』
毛布を一度剥がされた後、ネグリジェの上からぐるり、と毛布でくるまれたかと思うと、そのまま横抱きにされた。
『きついかもしれないが、腕を回せるか?』
小さく頷いた私は、彼の肩に遠慮がちに手を回した。以前、触るなと言われたけれども、今回は熱を免罪符にして許してもらえるのだろうか。
夢を見ているかのようだった。なんだか、懐かしいような、切ないような、嬉しいような、不思議な感覚に襲われる。
『あまいにおい……』
私は顔を彼の軍服に埋めた。そういえば、私が剣術の練習で倒れた時もこうやって抱えてくれたなと思い出す。
『すごく、あんしん、する』
『……っ』
彼の息を飲む音が聞こえたかと思うと、ぎゅっと私を抱きしめるようにして、少し体を持ち上げられる。直後――私の額に優しく唇が落とされた。
「……はぁ……ほんとに、君は……」
クロノス様は、今の行為の解説をすることもなく、「しっかり捕まっていろよ」と言いながら外に出た。寒いからなのか、彼の顔はずいぶんと赤く染まっていた。
ひゅうと海風が冷たく吹き付けているが、私は毛布とクロノス様の体温で、とっても温かかったのを鮮明に覚えている。
歩いて十分くらい経つと、きいと扉が開く音がした。
うとうとしかけていた私がハッと目を覚ませば、バニラの甘い香りに交じって消毒液の香りが鼻を刺した。……病院の匂いだ。
『おい久々に顔を見せたかと思えば……って、なんだこの子は』
『俺の妻だ、高熱を出している。今すぐ見てくれ』
『なんだ、挨拶も無しに。全く……』
『口じゃなくて手を動かしてくれ馬鹿!』
私は、ベッドに横にされた。
そうして、ふわふわの茶髪の男性が椅子ごと私の横にやってきた。丸眼鏡をかけており、穏やかそうな顔つきだ。エメラルドの瞳が優しく私を見下ろしていた。
不思議と、安心感が漂う人だ。
『こんばんは、アレクシアちゃん。担当医のレオンです。ちょっと診察させてもらうよ』
私が頷く前に、レオン様は目やら口やらを遠慮なく器具でいじっていく。完全にされるがままである。
『アレクシアちゃん。えーって言って』
『えー』
『そうそう偉い』
口に金属の棒を突っ込んで、喉の奥をまじまじと確認される。他人に口内を見せることなどそうそうないため、何だか恥ずかしい気持ちになる。
「なるほどー」と緩い声を上げた彼は、金属の棒をカランと箱に投げ捨てた。
『これはー……、最近流行のウイルス性の風邪を拗らせちゃった感じかな。ストレスか何かで免疫も下がってたんでしょ。悪化してますねー』
『治せるか?』
『当たり前でしょ。僕を誰だと思ってるの?』
まるで、親しい人間に話すかのような呆れた声だ。
レオン様は、かちゃかちゃと小瓶から小さめの器具に薬品を移し入れる。
『ちょっと痛いけど我慢してね』
私の腕がまくられたかと思うと、ぷすりと針が刺された。
痛みで思わず顔が歪んでしまう。その様子をみたクロノス様ががたん、と椅子から立ち上がった。
『おい、アレクシアに変なことしてないな』
『するわけないじゃない。これは注射。血管に直接お薬入れたの』
『……ああ、そう』
クロノス様は着席する。
なぜかニヤニヤしたレオン様がにじり寄ると、顔を真っ赤にしたクロノス様が、ぼこっと彼の腹部を殴った。結構いい音がした。
『やーい、早とちりしてやんの』
『……うるさい』
そしてもう一発。
果たして、クロノス様はレオン様と知り合いだっただろうかと記憶を巡らせてみる。けれども、パーティーでも、お茶会でも、軍部でも、彼らが親しそうにしているところは一度も見たことがなかった。
彼らが小競り合いしている様子をぼーっと見ていると、独り言のように言葉が零れ落ちた。
『クロノスさまと、レオンさまは、おともだち、なのですか』
『…………』
私が寝てしまっていると思ったのかもしれない。
二人して顔を見合わせて、黙り込んだ。
『………………いや、初対面だな』
なぜか、長めに含みを持たせたあとにクロノス様は答えた。
『どうしてだ?』
『いえ、とっても、なかよしだな、とおもって』
いいな、と羨ましく思ってしまったのだ。
私のことは拒絶したのに、どうしてクロノス様はレオン様に対しては気安く話しかけるのか、と。
熱も相まって最悪な気分だった。
どうして私は拒絶されてしまったのか。どこで間違えてしまったのだろう。
熱に浮かされた頭で、『どうして』という言葉を壊れたネジのようにクルクルと回し続けた。そうやって、答えの得られない問いを続けているうちに、私は薬の副作用なのか抗えない眠気に落ちて行く。
『アレクシア』
だんだんと、夢と現実の境が曖昧になる。
ふわりと、近づいてきた彼の気配に起き上がりたいけれど、私は眠気に負けてしまう。
『アレクシア、――――』
クロノス様の言葉なんて、どれも聞き逃したくなかったのに。
ただ、その言葉だけが、聞き取れなかった。




