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無情令嬢から、ラブレターの花束を【完結】  作者: 甘夏 みみ子
◇4章 医者と「たった一人の共犯者」

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26_離れていく心-2年前の秋のこと-

 

 ◇◆◇


 新婚旅行の後からだろうか。

 だんだんと、私とクロノス様の関係は変わってしまった。

 ……もちろん悪い意味で、である。


『クロノス様、コーヒーを入れました』

『ああ、ありがとう』


 毎朝の日課のコーヒーを入れても、クロノス様はこちらを見ることがなく、常に考え事をしていた。


 東国境反乱が終わって参謀長になってから常に疲れのようなものが滲んでいたものの、特に新婚旅行が終わってからは顕著だった。

 ぼんやりと考えごとをすることが増え、私を見ると苦し気に顔を歪めることもあった。


 今日のクロノス様もそうだ。

 彼は、コーヒーカップを手に持ったまま虚空を見つめたかと思うと、数度目かの溜息をついた。


『アレクシア』

『何でしょう?』

『明日からはもっと早く出ることにする。コーヒーの準備はいらないよ』


 冷たい氷柱が飛んでくるような感覚だった。

 十三歳の時に彼と出会ってから三年間。こんな物言いをされたことは、ただの一度も無かった。

 何かに苛立ったような態度に、不安な気持ちが湧き上がってくる。


『クロノス様、ではお見送りだけでも!』

『もう、見送りもいらない』


 ぴしゃりと告げられたのは、私への拒絶だった。

 どうして、というその一言が喉のずっと奥に引っ掛かって出てこない。


『それに、帰りも遅くなる。これから剣の訓練に付き合うこともできない』

『……それは、仕方ありませんね』


 がらがら、と私の日常が崩れていく音がした。

 朝にコーヒーを入れて、夕方に彼と訓練をして、一緒に夕食の時間を過ごす。当たり前のことが、たった彼の態度ひとつで崩壊していく。


『アレクシア。君も、他に好きなことを見つけると良い』


 コーヒーを飲み切ることもなく、彼は立ち上がった。『行ってきます』という言葉すらなく、彼は屋敷を後にした。


 結局、その日は、いくら待ってもクロノス様は帰ってこなかった。そして、次の日も、その次の日も。

 やっと帰ってきたかと思うと、死んだ魚のような目で一瞥されたあとに去っていくだけだった。声なんてかけられるわけがなかった。


 そうして、私はクロノス様と顔すら合わせることがないまま、春から秋を迎え、そして季節巡って冬になった。

 出産はいつなのか両親からうるさく聞かれたけれど、私は無視をした。

 そうして、私は、いつの間にか十六歳から十七歳に年を重ねていた。


『俺は君を愛さないし、君もまた俺を愛さなくていい』


 その言葉は本当だったし、愛なんて錯覚だったのだと改めて分かった。私たちは、ただの政略結婚で、そこに他意など存在しない。

 だから、次に彼と次会うことがあったとしても声をかけないでおこうと、そう思っていたのに。


 その日の夜は、大層冷え込んだ。

 温暖な首都オルディンでも少しだけ雪が積もったほどだ。冷え込んだ夜の空気に耐え切れなくなった私は、ごそごそと夜中に起き出した。


『あ……この香り……』


 廊下を歩くと、私の鼻をくすぐる甘い香りがあった。バニラのようなその香りは、以前よりも一層強くなっている気がする。

 私は、香りにつられた虫のようにぱたぱたと廊下を駆けていく。


 そこには、酷く冷め切った顔をしたクロノス様がいた。私に気が付くと、その冷め切った瞳をさらに細めて私を見た。


「こんな時間に何をやっている」

「……たまたま目が醒めて。その……クロノス様がいたものですから」


 言い訳をする子どものようにぼそぼそと言葉を紡いだ。やましいことなんて、何もないのに責められている気がして視線を逸らしてしまう。


『そうか。早く寝ろよ』


 言い聞かせるような口調だった。

 外套をはためかせるように、くるりと私に背を向けたと同時に、彼は突然その背を丸め込んだのだ。そうして、ごほごほと数回咳をした。

 空咳ではなく、まるで肺炎になってしまった時のような深い咳だ。

 私は慌てて彼に駆け寄った。


『旦那様、どこか体調が悪いのですか。顔色も悪いですし、ここ最近は冷え込みますし――――』


 外套を引っ張って、彼の顔を覗き込んだ。そうして、彼の手に触れた。芯まで冷え切ったかのように、冷たかった。


『やはり、風邪をひかれているのでは』

『……さわら、ないでくれ』


 ぱしん、と私の手が払われた。その瞬間、軽い力だったはずなのに私の手は鉛のようにずん、と重くなる。


『やめてくれ、お願いだ……』


 掠れた、冷たい声だった。もともと冷たい空気が、さらに冷え込んだ気がした。


『そうは言っても、心配で――』


 私の言葉を遮るように、クロノス様は、私を囲うと、どんと壁に押し付けた。私の体は、クロノス様と壁に挟まって動けなくなってしまう。


『君は俺のことが好きなのか?』

『……っ』


 甘い香りに頭がくらくらと震えた。体温が急に上がると同時に、何も考えられなくなってしまうのだ。

 返事ができないまま、俯いていると、深いため息が降ってきた。


『……違うだろう?』


 勝手に返事を決めつけられたあと、彼の体が離れる。


『遠征に出ることになった。三日後だ』

『そんな、急な……!』

『……海の向こう側に行くから。ちょっと帰りが遅くなるかもしれない』

『北大陸ですか?』


 最近、アズーラ帝国からは、少し離れた海の向こう側で戦争が起こっていると聞いた。同盟国の支援に我が帝国の海軍が駆り出されるらしい。


『そうだ。戦地に直接赴くから、今回は危ないかもしれないな……なんて』


 冗談だと分かっている。いつもの彼の軽口だ。

 けれども、重い空気の中言われてしまえば本当に死んでしまうのではないかと不安になってしまう。

 体が震えてきたから、ぐっと唇を結んだ。


『……お願いだ。そんな顔をしないでくれ』


 優しく私の頬が撫でられた。

 迷惑そうな物言いなのに、クロノス様の顔は以前のような優しい笑みに戻っている。

 久々に見たその笑顔は懐かしいはずなのに、なぜか私の中の不安な気持ちは剥がれてくれない。


『俺は軍人だ。良い死に方はしない。俺を気にかけるよりも、俺が死んだ後のことを考えた方がよっぽど有意義だとは思わないか』

『……クロノス様が死ぬなんて考えたくありません。旦那様は、素敵なお方ですから。それに貴方は、強いです。死ぬなんて、あり得ません』


 まるで自分に言い聞かせるようだった。

 彼がいなくなるなんて絶対にあり得ないことなのだ。東国境反乱が起こって軍の上層部がごっそり死んだときも、生き残ったのだ。


 だから、精一杯にクロノス様のことを褒めたつもりだった。


『アレクシア』


 けれども、彼は喜ぶことはなかった。声は、わずかに震えていて、私の肩を持つとゆっくりと押し返して、距離を取らせた。


『ごめんな、アレクシア』


 なんで『ありがとう』じゃないんだ、と思った。褒められたら、感謝の言葉を言えと教えたのはクロノス様じゃないか。


『俺は君のことを愛さないし、君も俺のことを愛さなくていい』


 合言葉を確認するかのように彼は言った。

 その晩、私は疲れなのか、はたまたショックからなのか高熱を出すこととなった。


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