24_お別れと白いマフラー
◇◇◇
あれから、三日間。
私は令嬢たちに裁縫の指導を続けた。最初は苦手そうにしていたセリナもいつの間にかすっかり手つきがこなれた。
令嬢たちは、編み物に関しては完璧に仕上がったと言っても過言ではないだろう。
「本当に行くのか」
「はい、行ってきます。本当にお世話になりました」
まだ日が昇り切っていない早朝に、私と師匠は向かい合っていた。
師匠は、まだ居てくれていいと言ってくれたが、言葉に甘えすぎるわけにもいかない。このままでは、居心地が良すぎて永遠に住み着く事態になりかねないのだ。
「お嬢さんの次の行先までの行程を作った」
ぴらり、と師匠から私に手渡されたのは、次の目的地までの休憩場所や宿泊場所、さらには舟の時間まで事細かに書かれた予定表だった。
「この先は田舎だ。小舟業者なんてものはいないから、公共の舟に乗り合わせることになる。一日に一本しか舟が出ない場所もあるから、時間厳守だぞ」
「……どうして、ここまで」
ただでさえ、私は彼に良くしてもらった。それなのに師匠は、面倒だろう行程まで組んでくれたのだ。
「どうして、か。不思議なことを聞くものだ。お嬢さんが今までお手紙を渡した相手は助けてくれなかったのかい?」
思い返せば、クリスもシャイロ様も。エヴァンドラさんも。私が次の目的地に行けるように手伝ってくれた。
心配そうな顔をしながら、剣や、食べ物や、果てにはお金まで押し付けられた。
「……全員、助けてくれました」
「そうだろう。それは、アレクシア嬢、君の人徳だよ。健気な君を応援したくなったんだよ。皆」
『人徳』『応援したくなった』
その言葉に、私は不思議な気持ちになった。
それは無情令嬢と呼ばれている私には、無関係に思えていた言葉だったからだ。
「お嬢さんを見ていると、妻のことを思い出したんだよ」
「師匠の、奥様……」
師匠の奥様が亡くなったのは、私が生まれるずっと前のことだったはずだ。
「彼女は病気でね。痩せこけていく自分の見た目に耐えかねて、ある日、もう見舞いに来ないで欲しいとそう言ったんだ」
師匠は、昔のことを思い出すかのように遠くの景色を眺める。視線の先には、キラキラと輝く雪があった。
「……けれど、実のところはどうだったんだろうなと今でも思ってしまうよ。口に出す言葉と心の内が同じだとは限らないからね」
少し前の私だったら、その言葉の意味が分からなかっただろう。口に出した言葉が全てであり、額面通りに全てを受け取るのが当たり前だと思っていたはずだ。
でも、今の私なら分かる。
師匠の奥様は、彼に迷惑を掛けたくなくて嘘をついたのかもしれないし、寂しさの裏返しでそんな言葉を吐いてしまったのかもしれない。
相手を思ってしまうからこそ、相手を傷つけてしまうことも……きっとある。
「師匠の奥様は、もしかして家事が得意な方だったんですか?」
「そうだよ。いつか花嫁修業のためのサロンを開きたいと言っていた」
師匠の言葉である「女性にも手に職を」は、もしかしたら奥様の信条だったのかもしれない。彼の肩に薄く光る雪が降り積もっていく。
「彼女はクリスタリウム・ホロウが好きでね。いつか、私が軍人を引退したら一緒に住もうと言っていたんだ」
「……」
「一緒に、この景色を、見たかった」
くるり、と背を向けた師匠のその声は震えていた。元軍人でもない、師匠でもない、ただ一人の夫としての後悔の言葉だった。
私は師匠の背中越しに、しばらく星の雪を眺めていた。一面に広がる雪の上で、手を繋いで歩く家族連れ、笑い合う恋人たち。
クリスタリウム・ホロウが美しいのは、雪や花だけではなく、そこに訪れる人々の姿があってこそなのかもしれない。
「私も、お嬢さんみたいに行動力があれば、変わっていたのかもしれないね」
ふっと自虐的に笑った彼の姿を見て、私は真剣に告げる。
「奥様は、きっと喜んでいると思いますよ。今の師匠の姿をみて」
「そうか。そうかな」
師匠は、息を吐いた。その息は真っ白に染まって、澄んだ空気に溶けていく。
彼は、私に向き直った。鋭い一重の瞳が、覚悟を決めたように私を見下ろした。
「お嬢さん」
「……はい」
改まった様子に、思わず私まで緊張してしまい、両手をぴっちりと体の横につけた。
「私も司令官だった時代――いくつか死亡宣言を下したことがある。けれど、軍部とて、生死不明の人間をすぐに死亡扱いにすることは無い」
ざわ、と全身に嫌な空気が吹き抜けていった。
きっと師匠は、私に軍部の重要な情報を教えてくれようとしている。
私は師匠の言葉を一言一句聞き逃すまいと、耳に神経を集中させた。
「では、どういう時に死亡宣言を下すのか。それは大抵、本人が望んだ時だ。例えば、戦争で見るに堪えない姿になっている時。現地で別の愛する人間ができてしまった時。本人の功績にもよるが、大抵そのワガママを聞くことが多い」
「……っ」
喉の奥で、ひゅっと小さな音が漏れた。
「欠格軍人になるくらいなら、死んだことにする。そんな考えを持った人間も多い。特に幹部になればなるほどだ。つまり……」
深い海に沈んでしまったかのように息が苦しくなった。
つまり、クロノス様は自分の意思で「死んだ」と宣言したということだ。
どこかで生きている可能性は確かに高くなった。……けれど、それは「死ななければならない」理由があったということでもある。
「もし、クロノスが自分の意思でどこかで生きていたとして。君のことを忘れていたら? 見るに堪えない姿になっていたら? 別の女性を娶っていたら? 君はどうする?」
「それは……」
言葉が一瞬詰まり、私は視線を下げる。
だが次の瞬間、顔を上げてはっきりと言った。
「それでも、私はやっぱり旦那様に会いたいです」
「……そうか。君ならそう言うと思ったよ」
困ったような顔で笑った師匠は、私の肩にぽんと手を置いた。
「どういう結果になるか分からないが、それが君の答えだな。……困った時は遠慮なく頼るといい。私は必ずお嬢さんの助けになると誓おう」
「はい」
私が返事をして、トランクケースを持ち上げた時だった。淡く光る雪をサクサクと踏みながら駆けてくる少女たちが目に入った。
「シア様ぁーっ!」
「……セリナ、みんなも」
走り慣れていないからだろう。
息を切らしながら私の前で立ち止まった彼女たちは、ぜーぜーと息を荒げながら、手に持ったふわふわの塊をずいっと差し出してくる。
「あの、これ、みんなで編んだんです! よかったら、どうぞ!」
差し出されたものを受け取って広げてみると、それは毛糸のマフラーだった。少しほつれた箇所があるけれど、それがまた愛らしい。
真っ白な毛糸で編まれたそれを首に巻くと、じんわりと温かさが広がった。
「ありがとう。とっても温かいわ」
シャイロ様とクリスから押し付けられた剣、アリスからもらったブローチ、そして令嬢たちからの手編みのマフラー。
私の周りは、愛情のこもった贈り物で満たされていく。
マフラーに顔を埋め、そっと口元を隠した。たった三日間を一緒に過ごしただけなのに、師匠や彼女たちと別れるのが、こんなにも寂しいなんて。
令嬢たちがぼろぼろと涙を流しているのに、思わずつられそうになってしまう。
「わたす、シア様にたくさん迷惑をかけて……すみませんでした!」
一歩前に出て、深々と頭を下げたのはセリナだ。直角に折り曲げたお辞儀は、謝罪としては申し分ない完璧なものだろう。
その姿を見ていると、なんだか昔の自分を思い出してしまい、思わず笑みがこぼれる。
「セリナ、こういう時はね」
私は彼女の前にしゃがみ込み、目線を合わせた。
「……ありがとうって言うのよ」
(第三章・完)




