23_貴方を探すためなら-2年前の春のこと-
◇◆◇
クロノス様から与えられた焼き立ての肉を食べ終え、私は広がる星空をぼんやりと仰いでいた。星々は染みるほど鮮やかで、ずっと見ていられそうだった。
だが、穏やかな時間とは裏腹に、私は独りぽつんと夜市の中心部に座り込んでいた。
果たして、新婚旅行とはこういうものなのだろうか。……多分、違う気がする。
『アレクシア嬢、どうしてここに?』
ふいに耳に届いた懐かしい声に振り向くと、そこには懐かしい面影があった。
ダミアン・クレイン――私の花嫁修業の師匠だった。厳格な佇まいはそのままだが、どこか親しみのある微笑みを浮かべている。
『新婚旅行に来ています』
『いや、旦那はどこに行ったんだ』
『……ちょっと待っていて欲しいと』
一時間ほど前のことだ。
子どもが森の中に入って行方不明になったと一人の女性がクロノス様に泣きついてきた。彼が軍部の参謀長だと知っていたからだろう。
正義感が強いクロノス様は、断ることもせずに快く引き受けたのだ。
『旅行中にごめんな。すぐに戻るから』
短く言葉を残して、彼は走り去っていった。
『……にしても、放置しすぎだろう、あの男』
『どこまで行ってしまったのでしょう』
クリスタリウム・ホロウの森は、露店の立ち並ぶ街から徒歩十分程度の場所にあり、星の花畑の隣に位置している。目印も多く迷いにくいはずなのだが、一体どの森と勘違いしてしまったのだろうか。
『まあ、いい。して、アレクシア嬢』
『はい』
名前を呼ばれた私は、師匠に向き直った。
『クリスタリウム・ホロウに来た恋人には、女性からプレゼントを贈る習慣があるんだよ。もっとも、君たちは夫婦なわけだが』
『……へぇ』
『もっと、感心を持て!』
全く、師匠が怒るポイントはよく分からない。
『新婚旅行なのだろう。せっかくなら、待ちぼうけるんじゃなくて、ひとつサプライズでもしてみたらどうだ?』
『さぷ、らいず』
意味は分かるが、口馴染のない言葉だ。
サプライズとは、恋人がこっそりとプレゼントを準備して相手に渡すという何とも不可解な行動。……そう思っていたはずなのだが。
私が『サプライズ』とやらをしてみたら、クロノス様はどう思うのだろうか。なんだか、とても興味が湧いた。
驚いた顔をするだろうか。それともいつものように柔らかい笑みを浮かべてくれるのだろうか。はたまた、涙を流すのだろうか。
『クロノス様が欲しがるものと言えば、やはり剣でしょうか』
私は、目についた露店に並んだ木の練習剣を掴み上げる。すぐに壊れてしまう消耗品のため、プレゼントすればきっと喜んでくれるだろう。
しかし、隣にいた師匠は額に手を当てて溜息をついた。
『アレクシア嬢。プレゼントだぞ』
『それならば、洗濯石鹸などはいかがでしょうか。クリスタリウム・ホロウの石鹸は有名ですよね。旦那様は、軍服の汚れが落ちないと悩まれていたのです。あとは――』
『……わかったもういい。アレクシア嬢。君がプレゼントのセンスは絶望的だとよくわかったよ』
『……』
何が悪かったのだろうか。
私は不服だったけれど、師匠に逆らうことなどもってのほかであるため、黙っておいた。
『スカーフなんかはどうだ?』
師匠が指さしたのは、色とりどりのスカーフが売られている店だった。
素材はシルクなので、悪い物ではないだろう。
ファッションアイテムではあるが、海風の強いオルディンで暮らしていれば消耗品になるため気兼ねなく使ってもらえそうだ。
私は、一枚のスカーフを手に取った。そのスカーフは、内側からにじみ出るような綺麗な紫色だった。
『おー! お嬢さん、お目が高いねぇ。それは、巻貝から染料を作って染めた一級品だよ。職人から直接仕入れたから、お値段はリーズナブルさ』
店主の言葉にちらりと値札を見れば、確かにそんなに驚くような額でもない。むしろ、クロノス様が身に着けるにしては、いささか安価すぎる気もする。
『師匠、これは一般的なプレゼントでしょうか』
『うん、いいんじゃないか』
あの師匠のお墨付きを貰ったのだ。
それならもう、私に怖い物はない。無敵だ。
『クロノス様の瞳の色に、よく似ています……これにします』
私は、その闇色のようなスカーフを迷わず購入した。
箱に入っただけの簡易的なラッピングだったが、急いで買ったプレゼントなのだから、目を瞑っていただきたいところだ。
ちょうど私の買い物が終わったタイミングだった。
クロノス様に助けを求めた母親が、私の元に駆けてきた。
『あのっ……私の息子、見つかりました! ありがとうございました!』
話を聞けば、どうやら、子どもは森の中には入っておらず木の陰に座り込んでいたらしい。母親の後ろで小さく男の子が手を振った。
良かった、と小さく手を振り返したのも束の間。クロノス様は帰ってきていないことに気が付いた。
『あの、師匠』
『どうした?』
『クリスタリウム・ホロウの森ってあそこしかないんですよね?』
『そうだな』
私が森の方角を指さすのを見ながら、師匠は頷いた。
私は、ショルダーバッグにスカーフの箱をしまった後に、ブーツの紐を結び直した。
『ちょっと見てきます。クロノス様が行き倒れてるかもしれません』
『いや、正気か? やめなさい! 夜だぞ!』
クロノス様は、ろくにご飯を食べていなかった。ひょっとしたら、空腹で動けなくなっているかもしれない。
小さく手を挙げて、師匠に別れを告げる。
『入口まで見に行くだけですから!』
『おい、アレクシア嬢!』
師匠の制止も聞かずに、私は走った。
スカートの中のパニエがゆさゆさと重そうな音を立てて揺れる。
クロノス様との訓練のおかげで、体力が付いたおかげか、少し走るくらいならば息切れはしなくなってきたのは良い傾向だ。
しばらく走ると森の入口が見えてきたので、私はそのまま森の中に入っていった。
――しかし、それは間違いだった。
『どうしましょう、真っ暗だわ』
当然である。
夜の森というのは、明かりが無いのだから暗い。すぐに方向感覚が無くなり、もはや自分がどの方角から来たのかすら分からなくなってしまった。
やってしまった、と思った。
けれど、私は運がいいらしい。ぼわんと足元を明るく照らすものが目に入る。
『星の花だわ』
花畑から距離が離れていない森には、星の花が自生しているようだった。星の花は、周囲をぼんやりと明るく照らしてくれる。
――ここがクリスタリウム・ホロウで、本当に助かった。
私は星の花をぷちぷちと摘んでは、明かりにしながら森の中を進んでいく。まるで小さな花束を作っているようだった。
両手に光る花を抱えてさくさくと歩いていると、足元に私より大きな足跡を見つけた。恐らくクロノス様のものだろう。
『……クロノスさま!』
私は、駆け足気味にその足跡を追いかける。
しかしながら、しばらく追っていくと、その足跡は突然途切れてしまっていた。足跡の先にあるものは――崖だった。
崩れたばかりなのだろう。
ぽろぽろ、と先端の部分からは、小石が崩れ落ちている。
『まさか、ここから落ちて……!?』
見たところ、そんなに高さはないようだが、落ちれば骨の一本くらいは折れてしまうかもしれない。
きょろきょろと周囲を見渡せば、右側に人がひとり通れるくらいの小道があるのを見つけた。どうやら、崖の下まで回り込む道が整備されているようだ。
私は転がり落ちるように、その道を走った。星の花が数本零れ落ちることも厭わない。
崖の下まで降りると、私の鼻に、ふわっとバニラの香りが漂ってきた。
もはや香水などではなく、彼自身から染み出している気さえする。
そこに彼がいると分かっただけで、駆けだす足が止まらなかった。
いる。そこに、人影が見えた。
『……クロノスさま!』
距離感が掴めず、どんっとぶつかった。その瞬間に、星の花の花束が弾けた。ぱらぱらと私たちの周囲に星の花が落ちて行く。
『ご無事、ですか!』
『は!? アレクシア? なんで、ここに……』
驚いたように目をパチパチと瞬きする。そうして、やっと事態が飲みこめたかのように溜息をつくと、眉間にシワを寄せた。
『まさか、君ひとりで来たのか?』
『そうですが』
『……君は馬鹿なのか!?』
びくっと肩が震えてしまうくらい、彼は大声を出した。
今まで私が見てきた中で一番怖い顔だった。けれど、私は反抗する。
『……だって』
『だっても何もあるか!』
私はぐっと唇を噛んだ。
『だって……だって、だって! クロノス様が、どこかで倒れて居るんじゃないかって思うと居てもたってもいられなくなったのです!』
『俺は軍人だぞ……? 暗い森じゃ方向感覚がわからなくなるから、明るくなるまで待ってたに決まってるだろ!』
『……そう、ですね。そうでした』
そこで、やっと私は気が動転していたのだと気が付いた。
衝動的に飛び出した挙句に、こんな暗い森の中で武器も持っていない令嬢がうろうろするのは客観的に見てもかなり危ない行動だ。
反省の意を込めて下を向いていると、クロノス様の右手のひらが真っ赤に染まっているのが視界に入る。
『クロノス様!? 出血されているのですか?』
『違う、これは怪我ではなくて――――』
私は再び、気が動転してしまった。
居ても立っても居られなくなり、ショルダーバッグから箱を取り出した。
『ごめんなさい。これはプレゼントだったんですが、応急処置のために使わせてもらいます』
『……プレゼント?』
『クリスタリウム・ホロウにきた恋人は、女性から男性にプレゼントを送るという風習があるらしいのです』
包帯のようにグルグルとスカーフを巻き付けていく私を、なんだか信じられないものをみるような目で見つめてくる。
『スカーフは清潔なので大丈夫ですよ』
『そういうことではないんだが』
『他に怪我はありませんか?』
『いや、ないけど……』
状況を受け入れきれていない様子で、彼はじいっと私がスカーフを巻くのを見つめ続ける。確かに、包帯にしてはずいぶん高級なものになってしまったが。
『プレゼントは買い直します。これは、急遽買ってしまったものですし』
巻き終えた私は、きゅっと方結びをした。
クロノス様は、その結び目を、ぎこちなく撫でている。スカーフを見つめる視線は、なぜか愛おし気だ。
『これがいい……』
小さくて弱々しい声だった。ともすれば、泣いていそうな声だったものだから、私はなんと答えればいいのか分からなくなってしまう。
『気を遣っていただかなくても大丈夫です』
こんなプレゼントより上質なものは沢山ある。
センスだって、私よりもクロノス様の方が数倍上だろう。彼が選んだ方が、もっと良いものを贈ることができる。
『俺は……アレクシアが巻いてくれた、これがいいんだ』
彼は俯いていた顔を上げた。
その瞬間、私に向けられる視線が変わったのを感じた。
クロノス・カラマニスという男は、いつもの兄のような、保護者のような、優しげな眼差しを向けていた。
けれども、今は違う。
私を見つめるのは、獲物を狙う猛獣のようにぎらりと光る、熱が籠った瞳だ。
『君が、悪い』
少々乱暴に肩を掴まれた。
ぐっと腰を引き寄せられたかと思うと、唇に柔らかいものが押し当てられる。それは、一回ではなかった。
何度か角度を変え、ついばむように合わさっていく。
それが――キスなのだと気付くのに、しばらく時間がかかってしまった。
『……っ』
唇が離れる。息が荒くなる。そして、呼吸の仕方を忘れる。どきどき、と胸が大きく脈打って頭がぼおっとする。
私は、ひょっとして、風邪を引いてしまったのだろうか。
『クロ、ノス、さ――――』
『……ごめん。こんなこと、もうしないから』
言葉を遮り、息を吐きながらそう言われた。
なぜか彼の瞳は酷く寂し気で、先ほどまでの眼差しとはうって変わって私のことを拒絶しているような気がした。
その後、慌てて追ってきた師匠に私はこっぴどく叱られ、なぜかクロノス様もこってり絞られたのだった。




