22_弟子、先生になる
「臨時講師を紹介する。私の弟子の――シアだ」
師匠の家の無駄に広い居間に、厚みがある声が響いた。
私はぺこりと頭を下げて、淑女らしくワンピースの裾を摘み上げる。
今日は煉瓦色のチェックのワンピースの上にお揃いのショートジャケットを羽織った。頭にはミニハットを乗せている。
相変わらず人形のような服ではあるが、ちょっとは先生らしくなったのではないか。
「シアです。よろしくお願いいたします」
私は、今から三日間「シア」と名乗ることにした。
アレクシア、というのは特別珍しい名前でもないが、私の容姿と無感情なこの性格、かつ名前が「アレクシア」となれば、元参謀長の妻を想起させてしまう。
さすがに、「アレクシア・カラマニス」が講師となれば様々な面で支障が出る。
これは今朝、師匠と話し合って決めたことだった。
「君たちは、今日から家事をみっちり叩き込ませてもらう」
私と師匠の前に並ぶのは、いかにも箱入りっぽい令嬢たちばかりだ。
五人並んだ彼女たちは、せいぜい十歳から十四歳くらいだろうか。
「家事なんてする必要あるんですの? すべて、使用人がやるでしょう?」
一番育ちの良さそうな少女が口を開いた。くるくるとコロネのように巻かれた赤髪は、高い位置でツインテールになっている。
ああ、師匠に向かって、この口の利き方ができるのは今の内だけかもしれない。
「……そうだな、良い質問だ。君たちの嫁ぐ先は、きっと軍人の家系、貴族、商人、まあいわゆる『使用人』のいる家だろう」
「それならば……」
「しかし、そんな甘っちょろい考えは捨てろ!」
目をかっと開く師匠。
ぴしり、と空気にヒビが入ったような衝撃が走った。私を含め、その場にいた全員がびくんと肩を震わせる。
「いいか、お嬢さんたち。今の時代、花嫁修業なんて古い。女だけが家事をする、そんな時代はもう終わりなんだ。現に講師は、この私……ゴリゴリの男だ」
しん、と空気が静まり返る。
「……今のは、笑うところだ」
誰が、この空気の中で笑えるというのか。
「こほん。だが、なぜ今、私が花嫁修業教室なんかをしているのか。それは……もし、お嬢さんたちが一人で放り出された時に、生きるすべを失わないためだ」
令嬢たちの方から、はっと息を飲む音がした。
「もし、結婚した相手が事業に失敗したら? もし、酷い離婚をされたら? その時、実家が頼れなければ? 男はどうにかなるかもしれないが、君たちはどうやって生きていくんだ?」
師匠の言葉は、当時も理解していたつもりだった。
だが、今の私にはあの時よりもずっと沁み込んでくる気がする。
「決して剣を握る必要はない。……この知識と技術が、女性が戦うための武器になる。頑張りなさい」
「はいっ」という少女たちの声が響く。
私はほっと息をついた。ここで泣くような少女たちじゃなくて良かった。きっと彼女たちは、成長するはずだとこっそりと心の中で応援旗を振った。
修業の第一歩は、裁縫の一環で編み物から始めることにした。
師匠の掛け声が響き、令嬢たちは次々と課題の手編みマフラーに取り組んでいる。
だが、私は講師としての役割を果たすことも無く、部屋の片隅で静かにその光景を見守っているだけだった。
裁縫というのは、他人が手伝えるものではない。
目の前で懸命に編み物をする少女たちを横目に、私も適当にリボンを編んで、静かに時間が過ぎるのを待っていた。
「そうだ、皆、上手いじゃないか」
課題は単純な繰り返し作業だ。
はじめて裁縫道具に触れる令嬢たちも、思いのほか難しくなさそうだ。そのせいか、少女たちは手を動かしつつ、自然と会話に花を咲かせていく。
婚約者の話や舞踏会の噂、まるで社交界のサロンのような賑わい方である。
「へえ!? では、マリアンナ様の婚約者様は行政官でいらっしゃるのね」
「そうなの。とっても格好良くて素敵な方よ」
「手! 手は繋がれましたの? そこ、一番重要なところですわよ!」
「……つ、繋ぎました」
「きゃー!」
完全に、女子会だった。
ちなみに、最後の「きゃー!」は師匠である。なんなんだ、この空間。
しかし、その輪の外に一人だけ取り残されている少女がいた。
田舎出身だという彼女――セリナは、周囲の華やかな雰囲気に溶け込めていない。長い前髪が目にかかったまま、ただ黙々と毛糸を編んでいた。
「あっ……!」
小さな声が漏れる。見れば、セリナの編針に毛糸が絡まり、どうにも手が動かせなくなっている。
「……!」
私の視線を感じてか、セリナの肩がびくりと震えた。彼女は申し訳なさそうに顔を俯かせ、小さな声で呟く。
「ゴメンナサイ……」
「いいのよ、解けば大丈夫だから」
「ハイ……」
絡まった糸を解く手伝いをする。セリナはそれでも申し訳なさそうに俯いたままだった。
「シアサマは、ジョウズなんですね、編み物」
なぜか所々カタコトになりながら、彼女は私の手元を見る。私のリボンは、もう編み上がる寸前だった。
「……ワタシには、できない、のに」
「当たり前よ。歴が違うもの」
「ワタシ、裁縫はじめて五年は経って、マス」
まずい、地雷を踏んでしまった。
「……ええと、向き、不向きがあるもの……仕方ないわ」
彼女は私から視線を逸らした。
これ以上何か言えば、さらに彼女を傷つけてしまいそうだった。何と言葉を掛けていいのかわからなかった私は、黙々と絡まった毛糸を解く。
「解けたわ」と声を掛けると、再び「ゴメンナサイ」と小さく謝罪の言葉が返ってきた。口癖なのだろう。
「ねえ、セリナ。貴方の婚約者のお話も聞かせてよ!」
毛糸がほどけ終わった瞬間だった。
輪の中の一人がセリナに話を振った。すると、他の令嬢たちも口々に同調する。
「そうよ! さっきから私たちばかり話してるじゃない!」
「聞きたいわ、セリナの恋のお話!」
ぐいぐいと尋問をするかのごとく詰め寄られ、セリナは顔を真っ赤にして首を振った。
その首の振り方は段々早くなっていく。
「……わ、わ、わ……っ」
そうして、唐突に爆発したかのように大声を上げた。
「わたすには、やっぱり無理ですぅ!」
その場の空気がシンと静まり返る。
驚く程に彼女の言葉は訛っていた。おそらく、東部の国境付近の方言だろう。
動揺した様子で、セリナがぽつりぽつりと呟き始めた。
「あうぅ……わたす、言葉もこんなだし、編み物ひとつもできねぇんです……たまたま、一年前に村に来た貴族の養子になって……でも、どうすりゃいいかわかんねくて……」
村では無能の烙印を押されていた、とセリナは語った。仕事を任されても要領が悪く、コミュニケーション積極的ではない。周囲からは浮いていた。
彼女はそう言ったものの、実際は違うだろう。おそらく、周囲は優しく文句を言わない彼女に体よく仕事を押し付けていただけだ。
そんな彼女の様子を見かねた貴族の夫妻が、養子にしようと申し出てくれたらしい。
「……わたす、シア様みたいに可愛くないし、何もできないし」
「そんなことは……」
ありきたりな慰めの言葉をかけようとして、ずっと黙っていた師匠と目が合った。
敢えて口を挟まなかったらしい彼は、私に「やってみなさい」と言わんばかりに口元を緩めた。
「セリナ、少し待っていて」
そう言った私は、裁縫道具箱に入っていたヘアピンを、今し方編んだばかりのリボンに引っ付けた。髪飾りの完成だ。
セリナの目にかかった前髪をサイドで留めて、綺麗に結った後、そのリボンで飾っていく。最後に、手鏡を彼女に手渡す。
「これで、どうかしら?」
セリナは鏡を見つめ、ぽつりと呟いた。
「……これが、わたす……?」
地味に見えたその顔も、俯きがちな顔と長い前髪によるものだ。顔が見えれば、彼女は化粧などしなくても華やかな美人であるとわかる。
手鏡を持ったまま、彼女はふるふると顔を横に振った。
「わ、わたすのこんな顔を晒すわけには……。それにリボンの方に申し訳ねぇというか……」
「何言ってるの。とっても可愛いわよ、貴方は」
セリナはぴしりと固まった。
その直後、ぶわりと両目から滝のように涙を溢れさせる。零れ落ちる水滴が、彼女の紺色のスカートに染みをつくっていった。
私は、ぎょっとして彼女を覗き込む。
「わ、私、何かまずいことを言ってしまったかしら」
自分の行いを振り返ってみる。勝手に髪を触ったからか。それともリボンが気に入らなかったのか。
おろおろと慌てふためく私に、違うんです、と言いながら彼女はぼろぼろと泣き続ける。
「わたす、ずっと可愛くなんかねぇって馬鹿にされてきたんです……」
「そう、なの」
「でも、こんなわたすでも、ちゃんと顔を上げて生きて、いいんでしょうか」
彼女は、まだ子どもだ。そんな少女が、なぜこんな劣等感に苛まれなければならないのか。きっと、周囲は彼女が俯いて顔を上げられなくなるくらい、否定してきたのだろう。
「……良いに決まっているわ」
だから、今度は大人の私が全力で肯定しよう。
セリナが顔を上げて、未来を向いていけるように。
「私は知っているわ。セリナ、貴方はとても可愛い。そして、貴方の手元から生まれるものも、きっと素敵になる」
「シア……さま」
セリナの瞳には、少しだけ光が宿ったように見えた。その瞬間、私に続いて、令嬢たちがセリナに詰め寄っていく。
「そーよ! 貴方は可愛いわよ!」
「どこ出身なの? 可愛らしい方言だわ」
令嬢たちが笑顔でセリナに声をかける。彼女も少しだけ恥ずかしそうに笑みを浮かべ、ぽつりと答えた。
「ルクシー村です」
その瞬間、凍り付いた表情をしたのは、私と師匠だ。言葉を失ったように互いの顔を見合わせる。
ルクシー村は、私の次の目的地だ。
三年前、帝国全土を震撼させた東国境反乱の戦地となってしまった場所。現在は復興しているが、当時は、村が焼かれ、罪の無い住民たちも命を落としたと聞いている。
「……あの辺りは、四年前に戦争があって、大変だったでしょう?」
しかし、私の問いにセリナは不思議そうに、こてんと首を傾げた。
「戦争? 反乱? ……そんなのあったっけぇな」
私と師匠は再び顔を見合わせる。しかし、師匠は何かを察したような表情で言うのだ。
「まあ、反乱の場所は、軍部から公式に発表が出たわけではないだろう。……あまり詮索するのも良くない」
彼の言う通りである。
あくまで、反乱は東部一帯であり、『ルクシー村付近だろう』と噂されていただけに過ぎない。
差別につながることを危惧した軍部はその噂を肯定も否定もしていなかった。
「……そんなことよりも、もっと楽しい話をしようじゃないか」
「はーい!」
令嬢たちの明るい声が響く。
私も曖昧に笑みを浮かべてその場を収めたが、胸の中にはどこか靄がかかったような感覚が残っていた。
ふと、クリスタリウム・ホロウへの旅の道中で軍人たちが離していた言葉が蘇る。牛串を美味しそうに食いちぎっていた欠格軍人の二人組である。
『四年前のクーデターのか!』
――――クーデター
クロノス様の大出世のきっかけになった戦争と、軍事機密のクーデターがたまたま同じ年に起こることがあるだろうか。
上層部が一斉に死んでしまったのも、何か理由があるんじゃないだろうか。
しかし、そんなことまで考えていたのは私だけだったらしい。
結局、誰もルクシー村の話題を深掘りすることはなかった。教室には再び笑い声が戻り、その後も令嬢たちの会話は続いた。
セリナも少しずつ輪に加わるようになり、彼女の婚約者の話題で盛り上がり始めた。
「こ、こんなわたすでも、婚約者様にかわいい、とそう言ってもらえるでしょうか」
「当たり前よ!」
「絶対に大丈夫だ!」
なぜか強面師匠も話に加わりながら、キャッキャウフフと桃色の空気に染まっていく。そうして、話の流れはやがて私に向けられた。
「シア様はどうなんですか? 結婚指輪があるってことは、ご結婚されているのですよね!」
「あ、わたすもずっと気になっていました!」
その言葉に、一瞬だけぎゅっと胸が締め付けられるような感覚があった。
「……私は、」
私は、クロノス様のことを思い出していた。
『アズーラ帝国の星』というあだ名に負けないくらいの美しい容姿と、その容姿に見合った優しさを持ち合わせている、旦那様。
私を否定した親に怒ってくれた。こんな私のことも『可愛い』と言ってくれた。
今なら分かるのだ。独りぼっちだった私を――きっと救ってくれていた。
「旦那様は……とても優しくて、素敵な方でした」
私がそう告げれば、ニヤニヤした表情の令嬢たちと師匠の姿が目に入った。その笑顔には、きっとからかいの感情も含まれている気がする。
「シアは、本当に旦那様のことが大好きだな」
師匠は、何かを思い出すように告げる。
「――――夜中の森の中に探しにいくくらいには」
「師匠、その話は……」
ぎくり、と肩を震わせて目線を逸らす。
忘れもしない二年前の新婚旅行での私のやらかしを思い出して、ふうっと溜息をついた。




