20_花嫁修業鬼教官
◇◇◇
「久々じゃないか、アレクシア嬢」
屋敷まで赴けば、なんとダミアン様直々に出迎えてくれた。
彼はもう七十歳を迎えているが、歳を感じさせないほど生き生きとしている。
退役軍人だとすぐにわかるほど厚い胸板と引き締まった体つき。太く吊り上がった眉に、鋭い一重は、睨まれただけでその場から動けなくなってしまうほどの凄みがある。
今回は、きちんと事前に手紙を送っていたため、エヴァンドラさんの時のように慌てられることはない。
さすがに、彼からは怒られたくなかった。
「さあ、上がって。ちょうどパウンドケーキが焼き上がったところだ」
耳に響くほど圧のある低い声から紡がれたのは『パウンドケーキ』という何とも可愛らしい単語である。
ダミアン様は元軍人であるが、別の肩書も存在する。
それは――『花嫁修業鬼教官』である。
その怖すぎる風貌からは考えられないくらい、彼は家事が得意なのだ。
軍人を辞めてからというもの、彼は国中の悩める嫁入り前の女子たちを集めては厳しくしごいている。
ダミアン様が今身に着けているのは――花柄の刺繍の入ったエプロンだ。
「それでは、失礼いたします……師匠」
そして、もちろん私も彼にしごかれた一人なのだ。私の家事スキル全般は彼によって身に付いたと言っても過言ではない。
師匠、と呼ばれた彼はふん、と笑うと私を中に促してくれた。
師匠の家は物があまり置かれておらず、すっきりと片付いている。ここは、元々別荘だったらしい。
なんでも、軍を辞める際にオルディンにある本宅はもう使わないからと売却してしまったと聞いた。
「はい、パウンドケーキだ。外側はプレーン。中の生地にはクリスタリウム・ホロウで採れたイチゴを使っている」
客間に通された私は、肘掛けのついたふわふわの椅子に腰掛けて、目の前に差し出されたケーキたちを見つめた。
パウンドケーキの断面はハートの模様になっており、ほんのり赤く色付いている。
「パウンドケーキに合うように、紅茶はすっきりした茶葉をブレンドしてみた」
「ありがとうございます」
「はい、召し上がれ」
パウンドケーキが載っている皿や、ティーカップもなんとも可愛らしい。
食器にピンク色で描かれている細かい花柄は、星の花である。
まるで乙女たちのアフタヌーンティーで出てきそうな食器だが、目の前に居るのは強面の元司令官だ。
「それで。私に、クロノスから手紙があると」
「……ええ」
「アイツと関わったのは、アレクシア嬢と新婚旅行に来た時だけじゃないか……死んでまで何の用なんだ」
文句を言いながらも、私が差し出した封筒を、見た目に似合わず優雅に受け取り、手早く開く。
そうして、本当に読んでいるのか疑ってしまうほど、素早く目を通す。
シャイロ様の時にも思ったが、やはり軍人様は手紙を読むのが早い。
「もう読み終わったのですか?」
「ああ。だが……まあ、なんとも一方的な文章だ。こんなこと、わざわざ言われなくても分かっとるわ」
ぱさり、と便箋を投げるようにテーブルに置いた師匠は、腕組みをしながら紅茶に口をつける。
「……それで、お嬢さんは私に何を聞きたいんだ?」
だからここまで来たのだろう、と言いたげな表情だった。
エヴァンドラさんといい、私の周囲は勘が良い人間たちばかりだから困る。
私は苦笑いを浮かべながら、現時点での疑問点を口にした。
「……私が聞きたいのは、二つです。一つが、旦那様の残した五通の手紙の宛先の共通点についてと空白の手紙の宛先です」
私は、クロノス様が準備していた手紙の宛先の人物たちと、最後の一通の宛先が分からないことを伝えた。
師匠はパウンドケーキを味わいながら、難しい顔をする。
「まず、私は他の宛先の人間と直接会ったことはない。全員名前と顔は知っているけれどね。だが、共通点も分からないし、空白の手紙の相手も検討が付かない……すまないな」
「そうですか……」
しゅんと項垂れた。
確かにそうだ。クリス、シャイロ様、エヴァンドラさん、師匠、そして四通目の医者のレオン様もお互い面識は無いはずである。
やはり、この取り合わせは本人たちからしてみても奇怪らしい。
情報が得られなかった私は、二つ目の話題に移る。
「二つ目は、旦那様の死についてです。戦場から死体が見つからなかったと言いますけど、それって本当に――――……」
言葉を口走る前に、ぎらりと厳しい視線が私に突き刺さった。
「やめときなさい。それを追うことは」
「……っ」
言葉が喉でつっかえたまま出てこなくなってしまった。それは、師匠が睨んでいるからというのが一つ。
そして、もう一つは。
「何かご存じなんですか!? 手紙に何か書いてあったのですか!」
「お、落ち着きなさい、はしたない」
「……申し訳ございません」
思わず立ち上がって師匠に詰め寄っていた私は、大人しく座りなおす。
私が驚いたのは、他でもない。
彼の物言い的に、何かを知っている様子だったからだ。
「まず、手紙には、お嬢さんの知りたがっていることは何も書いていないよ。この手紙の内容は、あくまで私に向けたものだ」
師匠はテーブルに置きっぱなしにしていた手紙を回収すると、胸ポケットに突っ込んだ。
「君のやろうとしていることは死者の墓を暴くようなことだ。仮にクロノスが生きているとして、君はどうするんだ?」
「どうする……」
そう言われて初めて、がむしゃらに走っていた旅路の途中で――ふと足をとめた。
ただひたすらに、何も考えずにクロノス様をただ追い続けていた。
けれども、私はクロノス様に会って何がしたいのだろう。
「軍部が死亡宣言を下した。それが全てなんだよ、お嬢さん。軍部が死亡宣言を下すには、それ相応の理由があるんだ」
「…………」
「追いかけ続ければ、色んな人間に迷惑が掛かる。君は他人に迷惑をかけることを最も嫌うだろう?」
確かに、今までの私ならその言葉で引っ込んだ。私という人間は、他人に迷惑を掛けたくないその一心で生きてきたようなものである。
でも、私は「はいそうですか」と頷くことなんてできなかった。
「申し訳ございません。私は師匠にも迷惑を掛けていることは重々承知しているのです」
声が震えた。
私は、これまですでに沢山の人に迷惑を掛けている。……それが、答えだった。
「それでも、私は旦那様に会いたい。生きていても死んでいても、どういうお姿になっていようと良いです。私のことを愛していなくとも、嫌っていても良いです」
顔を上げる。
引き締まった顔の師匠の鋭い瞳に負けないように、じっと見つめた。
「ただ、彼の姿を……ただ、一目見られればそれでいいのです。それだけでいいのです」
別に、クロノス様に会って一世一代の告白をしたいとか、今までの恨みをぶちまけたいとか、そんな大それたことをしたいわけじゃない。
ただ、彼が生きているのであれば、会いたかった。
それだけのことで、私はたった一人で考え無しに飛び出してしまったのだ。
「はあ……お嬢さんってやつは」
すう、と師匠の口から息が漏れる。
怒られるのだろうかと、身構える。しかし、私に飛んできたのは怒号ではない。
「だが、可愛い弟子の我儘なら、私は止めることはできないな」
「師匠……!」
根負けしたような笑顔と優しい声色が落とされた。怒られるかとドキドキと鳴っていた心臓が少しだけなりを潜める。
「だが、アレクシア嬢。全く、酷い顔色だ。オルディンを旅立ってから何日でここまで来たんだ」
「ええと、約一週間です」
指折りで数えてみるが、ちょうど六日と半日だろうか。
冷静にそう言えば、師匠の目が、がばっと開かれる。
「一週間!? 軍人だってもっとマシな行程を組むぞ。お嬢さん、冷静な顔をしておいて意外と思い付きで行動するところがあるからな……」
呆れた声。溜息。
なんだか、オルディンでもカリスタ港町でも聞いた気がする。
「お湯を浴びて、夜まで寝てなさい。夕食は私がつくっておく」
「でも……!」
「淑女たるもの、口答えしない!」
ついに、ぴしゃりと叱られて私はぐっと唇を閉じる。
さすが、軍の元司令官だ。威圧感から、もう次の言葉を紡げなくなってしまった。
そうして、諦めた私は、師匠の客室に荷物を運びこんだ。
舟泊というのは、やはり疲れるものらしい。
机に座って、ショルダーバッグと剣を肩から下ろせば、体が溶けていくようだった。
「ふぅ……」
ずっと使っていなかった部屋だからなのか、空気がひんやりとしている。バッグから便箋を出して、私は日課になった手紙を書く。
「クロノス様へ。今日は、やっとクリスタリウム・ホロウにつきました。久々に会った師匠は、元気そうでした。それで――」
書くことは絶えないし、話題も尽きない。つらつらと手紙を綴ったあと、私は、数枚にまたがった便箋を一旦封筒にしまい込んだ。
ちょうどその時、ドアがノックされる。
「失礼いたします。アレクシア様。お布団をお持ちいたしました」
「どうもありがとう」
お手伝いさんの手に抱えられているのは、ふかふかの毛布だ。
彼女は、手慣れた様子でシーツを敷き込み、枕にカバーをかぶせていく。ベッドメイキングまでしてもらえるらしい。
本当に、ありがたいことだ。
「それでは、ゆっくりお休みください。明るさが気になるなら、カーテンを閉めてもいいですからね」
「お気遣い感謝いたします」
ぱたん、と扉が閉まると同時に私はベッドにダイブした。体力が限界を迎えていたのかもしれない。
私は、着替えることもせず、カーテンを閉めることもせず、枕に頭を乗せた直後から――――眠りについた。




