02_託された手紙
◇◇◇
クロノス様の葬儀が執り行われたのは、その一週間後のことだった。喪主を務めた私は、彼の死を弔う暇もなく、慌しく葬儀の準備に追われた。
厳密に言うと、彼の遺体は見付からなかったため、生死は不明である。ただ、彼の置かれた状況から、死亡は確実であると軍部が死亡宣言を下したのだ。
だから、棺桶の中は空っぽだった。
軽すぎる白い棺の上には、沢山の花が添えられている。
参列者に倣って、私も優しく花を添えた。彼が好きだったという真っ白な薔薇の花だった。
「…………」
棺の前で手を組んで祈ってみる。
けれど、遺体が無いからなのだろうか。棺桶をじっと見つめてみても、クロノス様が死んでしまったという実感は全くわかなかった。
「さすが無感情のご令嬢ね」
「……酷いな、自分の旦那が亡くなったというのに」
そんな声が聞こえてくるくらいには、私は葬儀中、涙の一滴すら零れなかった。
つつがなく葬儀を終えた後、参列者を見送った私の元に一人の青年が駆けてきた。真っ白の軍服に身を包んだ――ちょうど一週間前に、私にクロノス様の死を伝えてくれた彼の部下だ。
「……ゼノ」
「…………カラマニス夫人、これ……」
ゼノはそれ以上言葉が出てこないのか、目を真っ赤にしながら俯いた。
そして、たどたどしく、私に紙の束を差し出した。
それは――手紙だった。
全部で六通。すべてに、違う色の蝋でカラマニス家の紋章が押されている。
「これは、参謀長から……自分が死んだら、渡して欲しいと言付かっていたものです」
ゼノの手から手紙を受け取る。
それらをよく見れば、それぞれの手紙には宛先が書いてあった。
妻である私、私と旧知の仲であるクリス、宝石商のエヴァンドラさん、退役軍人であるダミアン様、私がお世話になった医者のレオン様、そうして、最後に宛名のない手紙である。
きっと、彼は軍人として仕事をする以上、自分が死んだときの遺言を残していたのだろう。それにしても。
「……これは、どういう繋がりなのかしら」
「すみません、私は何も聞いておらず」
私は、まじまじと手紙を眺める。
不思議な取り合わせだったのだ。手紙の宛先は、クロノス様というより私と関係が深い人物たちなのだ。
私は疑問を抱きながらも、自分宛ての手紙を持ち歩いているレターナイフで開封する。
『手紙はすぐに開けること』
それは、クロノス様が口を酸っぱくして言っていたことだ。
もしかすると、それは自国の敗戦を知らせるものかもしれないし、自分の死を綴ったものかもしれない。
急ぎの場合もあるのだから、すぐに確認をするべきなのだ、と。
私宛の封筒の中には、たった一枚だけ便箋が入っていた。
『我が妻、アレクシアへ。この手紙を読んでいるということは、俺はもうこの世にはいないのだろう。最後にお願いがある。残り五枚の手紙を、確実に届けて欲しいんだ。死んでしまった俺は、もう軍部の人間ではなくなったから、もう君にしかお願いすることができない』
なるほど、と私は思う。
軍部の封蝋ではなく、カラマニス家の封蝋が押してあったのは、自分が死んでしまえば、彼は軍部の人間ではなくなるからである。
ゼノは妻である私に『彼の遺品を届ける』までは仕事であるけれども、『郵便局に手紙を出す』命令を聞く必要はないのだ。
私は手紙の続きを読むために、再び便箋に視線を落とした。
『アレクシア、君は若い。お金の心配ならしなくていい。カラマニス家の仕事も執事に任せている。煩わしい付き合いはしなくていい。もし、君が望むなら、実家に戻ってもいいし、どこか田舎でひっそりと暮らしてもいい。再婚をしてくれても構わない』
果たして遺言とは、こんなに感情のこもらないものなのだろうか。
淡々とした箇条書きのような、事務的な言葉を目で追いかけていく。
『そして、最後に』
なぜか、そこからインクが滲んでいた。まるで書くのを迷ったかのような筆跡で、言葉が綴られていく。
『俺は君のことを、少しも愛していなかった』
そんな言葉で、手紙は終わっていた。
思わず息を飲んで、言葉を紡ぐ代わりにふうと息を吐いた。
言葉が、出てこなかったのだ。
私は、彼のことを愛していなかった。そして、また彼も私のことを愛していなかった。
そんなこと分かり切った事実のはずなのに、インクが滲んだその手紙を見ていると、なぜか胸が締め付けられるように痛んだ。
「ゼノ、届けてくれてありがとう」
「……夫人。もし、よろしければ、残り五通の手紙は夫人が切手を貼った後、私が郵便局に行って配達を頼んできましょうか? 一通は……宛名がありませんので、返送されるでしょうが」
それは、ゼノの好意だろう。
しかし、手紙を受け取るために差し出された彼の右手を見つめながら、私は首を横に振った。
「いいえ」
なぜかすんなりと否定の言葉が出てきて、自分でも驚いた。顔を上げて真っすぐとゼノを見る。
「これは亡き夫から私に課せられた……仕事なの」
「いや、仕事って……! 参謀長は、夫人のことを信頼して頼んだのですよ?」
ゼノは呆れたような表情だ。理解できない、と言った顔で彼は目線を逸らした。
「信頼なんかじゃなくて、私が妻だったからでしょう? ゼノは、もう旦那様にとって部下ではないのだから安易に頼めない。だから私に頼んだだけよ」
あまりに冷め切った受け答えだったかもしれない。
表情ひとつ変えずにそう告げた私に、ゼノは俯いたまま言葉を紡ぐ。
「カラマニス夫人。私は、未だに参謀長が死んでしまったことが信じられなくて、涙が止まらないのです。夫人は、悲しくは、無いのですか」
少し睨むような眼差しが目に入り、ああ、責められているのだろうか、と思った。
ゼノは私に対して優しいけれど、それは私が尊敬する上司の妻だったからに過ぎない。
所詮、私は冷たい人間だ。
旦那が死んでも泣くこともなく、遺言を持ってきた旦那の部下に気の利いた言葉一つもかけてやることすらできない。葬儀中も、いや、きっと葬儀後も、私は酷い人間だと色々な人に噂されるのだろう。
そんな血の通っていない「無情令嬢」の私を、ゼノが責め立てるのは当然のことなのだ。
「自分の旦那が亡くなっているのですよ。夫人は……っ!」
困ったように視線を落としていたゼノだが、私と目が合った瞬間、驚いたように目を見開いた。
そうして、ぱちぱちと瞬きをした後、慌てたようにポケットをまさぐる。
「大変失礼いたしました。一番辛いのは、夫人、でした……よね」
差し出されたのは、葬式用の真っ白なハンカチだった。
私は、首を傾げながらおずおずとそれを受け取った。どうして、ゼノは急に私を責めるのをやめて、ハンカチなんてくれたのだろうか。
そのハンカチが差し出された理由に気が付いたのは、彼が立ち去って誰も聖堂からいなくなった後だった。
私の頬がしっとりと濡れていたのだ。
それに気が付いた瞬間、私の中で何かがぱちんと決壊してしまった気がした。弁の壊れてしまった蛇口のようにぼろぼろと、涙が零れ落ちていく。
「うっ……ぐ、っ……」
口から漏れ出るのは嗚咽というものだろうか。
私はぎゅうと手紙を抱きしめながらゼノのくれたハンカチで顔を覆った。
どうすれば、この胸の痛みも、壊れたように出てくる涙も、止まってくれるのか、私はわからない。
――だって、生まれて初めて私は泣いたのだから。