18_四日間の旅路
◇◇◇
ちゃぽん、ちゃぽんと舟を漕ぐ音が響く。
その音を聞きながら、私は沈んでいく太陽を見つめていた。日暮れ時の運河に反射するオレンジ色の光は、まるで絵画のように美しい。
「アレクシア様、ご気分はいかがですか?」
「大丈夫。お気遣いありがとう」
その言葉に急に現実に引き戻された私は、小さく溜息をついた。自力で手紙を届けるなんて豪語しておいて、結局、人に頼ることになってしまったのだから。
私の溜息が聞こえたのか、はきはきとした大声が私の耳に届く。
「……アレクシア様、カリスタ港町に来るときに盗賊に襲われたんでしょう? 一人で送り出すなんて、当然! エヴァンドラ様が許さないですよ」
そう言って船を漕ぐのは、昨日のアリスの結婚式で隣にいたおば様――エラさんだ。
その時には分からなかったものの、エラさんの腕はがっちりと太く、軍人顔負けの筋肉がみっちりと詰まっている。彼女は、プロの船頭さまだったのだ。
エヴァンドラさんの知り合いなので、身分も実力もお墨付きである。
「自分の力で旅をすると決めたのに、情けなくて」
「アレクシア様、他人に頼ることも大切なことなのですよ」
エヴァンドラさんは、エラさんを紹介してくれた上に、足りなかった時用にとお金まで押し付けていったのだ。
『いつか倍になって返ってくればいいんですよ』
なんて言っていたが、旅に持って行く金額にしては明らかに多すぎた。どんなリゾートホテルに泊まれというのか。
アリスに貰ったブローチを撫でながら、肺の息を吐きだす。
「アリスは宝石をくれたし、エヴァンドラさんはお金を押し付けてくるし」
「打算的だけど、お節介なところ。似てますよねぇ二人とも……さすが母娘」
「本当に、そう」
文句を漏らすように小さく笑みを浮かべる。
私が後押しなんてしなくたって、どこからどう見ても彼女たちは母娘である。主に商人気質の性格面が。
エラさんはランタンにぽっと火をつけた。辺りがずいぶんと暗くなってきた。
「しかし、アレクシア様のピアノの演奏は感動いたしました」
「まあ、これでも伯爵令嬢だったので」
ピアノのレッスンは、思い出すだけで背筋が凍るほど厳しかった。タッチミスをしただけで父親から張り手が飛んできたし、母親を感動させられないとご飯さえまともに食べることができなかった。
私がピアノを習っていたころは、まだ兄がいたというのも理由の一つだ。
両親は兄に期待を寄せていたから、私の扱いなんて結果を出さなければ家畜以下だった。私は完全にストレスの捌け口だったのだろう。
「……兄は上手かったので、そんなに怒られていませんでしたが」
「お兄さんがいらっしゃるのですか?」
いらないことを言ってしまったかもしれない。私は目を伏せ、手袋に目線を落としながら小さく呟く。
「……兄は、私が幼い頃に行方知れずになってしまいました」
「そうでしたか、寂しいでしょう。一人は」
確かに、寂しかった気持ちも当初はあったはずだ。
けれども、兄が出ていったおかげで私への暴力は減った。その事実が、どうしても『兄がいなくなって良かった』と思わせてしまうのだ。
なんて最悪なことを考えているのだろう、と自分が嫌いになりそうになる。
「お兄さんも、きっとアレクシア様を愛していたはずですよ」
「愛していた……?」
兄は失踪する直前、手袋をくれた。真っ白な可愛らしいそれは、当時の私には少し大きかった。
もう十年以上前でボロボロになってきているのに、なぜか捨てられずに今も私の手を温めてくれている。
「家族ですからね、愛情があって当然です」
「家族……」
ランタンの揺らめく光を見つめながら、口の中で何度か繰り返すものの、いまいちピンと来ない。
兄も両親も、クロノス様も。全員家族のはずなのに、そこに愛情があったかと問われると難しい。
愛情って、わからない。
アリスの結婚式で少し分かった気になっていたが、やっぱり私にはまだ理解できない感情だったのかもしれない。
私は、少し冷えた空気の中、紫色のスカーフを握りしめた。
「毛布もご用意しています。寝ていてもいいですからね。四日後の夜には、目的地のクリスタリウム・ホロウに付きますので」
「……四日後の、夜」
「そうですとも。もちろん、途中で休憩は挟みますが」
私が驚いたのは、四日もかかるからではない。たった四日で、クリスタリウム・ホロウについてしまうからである。
以前、クリスタリウム・ホロウに赴いたのは、クロノス様と新婚旅行に行ったときだ。カリスタ港町からだと、確か十日はかかった気がする。……それが、四日である。
「なるべく早く着きたいとは言ったけれど、四日は流石に無理が――」
「さあ、私の腕の見せ所ですね!」
まさか、この船頭さまは、毎日休みなく船を漕ぐつもりなのだろうか。目を白黒させていると、意図が分かったのか、得意げに微笑まれた。
「私はその道、三十年のエラおばさんですよ」
「……無理はしないで」
「アレクシア様こそですよ。なるべき早く着きたいとおっしゃったので最短ルートで行きますからね。舟泊になりますから、しっかり寝てくださいね」
私は、エラさんから毛布を受け取ると舟の底に横になった。ざばん、ざばんという水流の音と舟の揺れが心地よい。
私は、うとうとまどろんでいく。そうして眠気がゆっくりと私を包み込んでいった。
寝ていたのが、まるで一瞬のことのように感じた。
日の出とともに目を開けば、まばゆい光が瞳孔を刺した。痛い。
「おはようございます。アレクシア様。一旦休憩です」
「……うぅん」
ゆっくりと起き上がれば、舟はいつの間にか停泊所に繋がれている。まだ働かない頭を動かして、街をぼんやりと眺める。
「ここは?」
「リデルフォードですね。観光地のクリスタリウム・ホロウに行くまでの中継休憩地点なので、人も多いです」
「ああ……新婚旅行の時、確かこの街で一泊したわ」
私が二年前の記憶を引っ張り出していると、隣の家族連れが、子どもを舟から下ろしていた。
「今回は、ミリアが小さいからゆっくり行こうな」
「そうね、せっかくの家族旅行だもの」
そんな会話を聞いた私は、ふと気が付く。
今回の四日間という行程はさすがに早すぎるけれど、本来はクリスタリウム・ホロウまで十日もかからないのではないかと。
もしかすると、クロノス様は、私のために疲れない行程を組んでくれたのではないかと。
「……もしかして、クロノス様は、私にずっと――」
舟を降りながら、そんな独り言が零れた。
もはや、夫としての責務だけではない。
彼自身の思いやりが、確かにあったはずだ。
初めて出会った日に、ケーキを勧めてくれたのも、感謝の言葉を教えてくれたのも、私のために剣の訓練の時間を作ってくれたのも、結婚式の日に彼が涙を流したことも――。
「……やめましょう。不確かな憶測をするのは」
死人に口なしなのだ。
もはや、確かめようがないことをあれこれ類推するのは良くない。
そんなことよりも、宛先が空白の手紙とクロノス様の生死の手がかりを見つけるべきなのである。
エラさんに軽く手を挙げて一旦分かれた私は、街を歩きながら考える。
結局、カリスタ港町で判明したのは、空白の手紙の宛先が『私に知られたくない人物』であることだけである。
エヴァンドラさんは、手紙の内容を話してくれなかったし(当然だが)、クロノス様と交流があったわけでも無いらしいし。
つまり、今のところ収穫は無いに等しい。
――ぐう
私のお腹が食事をくれと鳴いた。辺りを見渡せば、観光客向けの軽食が売られている露店が立ち並んでいる。
手軽に食べられるスイーツも多いが、今はご飯が食べたい。
私は、何軒か露店を見渡した。そうして目についた肉が刺さった串と、柔らかめのパンを買うと、縁石の端に腰掛けた。
「……美味しい」
口に入れた肉は、塩だけのシンプルな味付けなのに妙に美味しく感じる。
ずいぶんとお腹が空いていたのだろう。栄養を吸収した体が、喜んでいるのを感じた。
もぐもぐと食べ進めていると、ふと、ふわりと――バニラのような香りが鼻を掠めた。
「……くろのす、さま」
私は無意識のうちに立ち上がった。
クロノス様だ。間違いなくクロノス様の香りだ。シロップのように甘ったるい彼の香りは、近くから香っている。
「うっめ〜〜!」
ふと、隣を見ると真っ白の軍服を着た男たちが座り込んで私と同じものを食べていることに気が付いた。
どうやら香りの近さ的に、彼らがつけている香水の匂いらしかった。……どうやら、私の早とちりだったらしい。
私は、すとんと再び縁石に腰掛けた。
この香水は軍部の中で流行っていたものなのかもしれない。なんだか、寿命が縮んでしまった気すらする。
「やーっと、俺らも外に出られたよな」
「シャイロ様には感謝するしかないな。演習って名目でこんな旅行させてもらえるなんてな」
唐突に聞こえてきた、自分の友人の名前に肉を吹き出しそうになる。感覚がマヒしているが、彼女は軍の上層部の人間なのだと今更ながら気が付いた。
「俺らなんて戦場に出向けないし、書類仕事しかできない欠格軍人なのにさ……」
彼らをよく見れば、手の動きや脚の動かし方が少し不自然であることがわかった。
我が国で最も権力を持つのは軍人であるが、最も蔑まれるのも、また軍人だった。
――欠格軍人。
それは、怪我をしたことで二度と戦場に出向けなくなった軍人を指す言葉だ。生き残ってしまった恥さらしと呼ばれ、昔は差別の対象だった。
死んだ軍人には、多額の見舞金が出るが、欠格軍人には一銭も金が入ってこない。そんな決まりだって、昔の悪習を踏襲しているものだ。
「欠格軍人に俺らにも働く場所をくれた上に、息抜きまでさせてくれて」
「女神だよなぁ、シャイロ様」
そう。少しだけ口は悪いけれど、シャイロ様は良い人なのだ。彼女の褒め言葉が聞こえてきて、ぽかぽかと嬉しい気持ちになる。
私は、顔をスカーフで覆いながら、悪いと思いつつも彼らの話しに聞き耳を立てた。
「俺なんてさ、未だに後遺症で、右手が麻痺して使いモンになんないのよ。書類仕事さえままならないのにさあ……」
「……後遺症?」
片方がピンと来てないように眉をひそめた直後、「ああ!」との声を漏らす。
「……四年前のクーデターのか!」
瞬間、私の中に疑問と衝撃が走った。思わず肉を喉に詰まらせそうになる。
「馬鹿野郎! あんま大きい声出すんじゃねぇよ!」
もう一人が慌てたように相手の口を覆った。
四年前といえば、東国境反乱があった年だ。軍部の上層部が戦死し、クロノス様が参謀長になって、私たちの結婚式が延期になった。
思い返してみても、クーデターなんて新聞にも載っていなかったし、クロノス様から聞いたこともない。
どうやら、そのクーデターとやらは軍事機密らしかった。
声をひそめながら、彼らは話を続ける。
「……まあでも、俺なんてマシなもんよ。毒をもろ食らったの、上層部だけだし」
「確かに。あれで、だいぶ人死んだもんなぁ」
私は首を傾げた。
確か、東国境反乱では、軍の重鎮たちが果敢に先陣を切り、華々しく散ったという話だった。
しかし、それも良く考えればおかしいなとは思ってはいた。
当時の重鎮たちは、権威主義の保守派である。そんな人間たちが率先して先陣を切るのも変な話なのだ。
「ま、でも俺は良かったと思ってるぜ? 当時の上層部が洗いざらい死んでくれたおかげで、軍の体質もだいぶ変わったし!」
「間違いない。クロノス様が参謀長になってくれたおかげで、下っ端もやりやすくなったよな。ちゃんと下級兵も人間として扱ってくれて感動したわ……!」
二人はまるで恋する乙女のようにクロノス様の武勇伝を語ってはしゃいでいく。
しかし、しばらく経ってぽつりと言葉を落とすのだ。
「まあ、でも今回の戦いで亡くなられたのは残念だったよな。いつ人が死ぬかってわかんないもんだな」
「……そうだな」
悲しそうに声を沈ませる二人に気付かれないように、そっと私は立ち上がった。
散々盗み聞きをしたから今更であるが、罪悪感が湧き出てきたのだ。
「最期までカッコよかったよな。参謀長」
「いつまでも憧れだよな」
その言葉を背中で聞きながら、私は改めて決意するのだ。
やはり、私は『アズーラ帝国の星』の死の真実を明らかにしなければならないと。
小舟に戻ると、エラさんは仮眠をとっていた。彼女は私に気が付くと、すくりと立ち上がる。
「腹ごしらえはできましたか?」
「……ええ」
お腹をさすりながら、そう答えると彼女は満足げに頷いた。
私たちは、再び出発した。
そうして、小舟に揺られて、寝て、休憩して。
時たま私は、手紙を綴った。
届ける予定もないクロノス様への手紙だ。
日記の代わりに、その日の出来事や言語化の難しい私の気持ちをつらつらと書いていった。
「おや、ラブレターですか」なんて冷やかされた日は、私が慌てたあまり、小舟が転覆しそうにもなったけれど。
そんなことを繰り返して四日間。短いようで長い旅は、ついに終わりを迎えることになる。
「到着しましたよ! アレクシア様!」
いつものように、朝の陽ざしで私が目を覚ます。すると、そこには息を飲む光景が広がっていた。
「わあ……、きれい……!」
ぱりっと乾燥した澄んだ空気の中、ほんのりと淡く発光する雪が街全体を覆いつくしている。
これは、決して比喩などではない。
クリスタリウム・ホロウに積もる雪は、不思議なことに淡く発光するのである。
なんでも、この地には蓄光成分が染みわたっているらしい。
つまり、そこから蒸発してできる雲から降ってくる雪にも蓄光成分が含まれている。
詳しいことは分かっていないのだが、特定条件で、その蓄光成分が発現して光を放つ。
その条件のひとつが、雪となって降り積もることなのだ。
これらは『星の雪』と呼ばれ、観光資源のひとつになっている。
「運河が凍っていなくて良かったです」
クリスタリウム・ホロウに流れる運河も雪が溶け込み、ほんのりと発光しているように見える。私は小舟から降り立つと、エラさんからトランクケースを受け取った。
これから会いに行くのは、三通目の宛先である、退役軍人のダミアン・クレイン様だ。
彼は元軍部の最高司令官だが、ずいぶんと前に退役されているため、クロノス様とは直接の接点はない。
「それでは、私はここで。気を付けて行ってきてくださいね」
「ええ、本当に……」
たった四日間。
それなのに、彼女との別れも名残惜しく感じてしまう。
ありがとう、という言葉が喉につっかえてしまって中々出てこない。
そうしている間に、とん、とエラさんは岸から離れていく。私は上擦った声を絞り出して叫んだ。
「……ありがとう、必ず、また貴方に会いに行くわ!」
「ええ、また会いましょう!」
ぶんぶん、と大きく手を振ればエラさんもまた元気いっぱいに振り返してくれるのだ。
エラさんの背中が徐々に小さくなるのを見送った私は、「よし」と小さく呟いて、降り積もった雪の中一歩を踏み出した。
足元からきしきしと音が響くたびに、私は決意が固まっていくような気がした。




