16_魔法の歌を贈ろう
◇◇◇
結婚式だというのに、朝起きると雨が降っていた。
天気が悪いからか、少しだけ頭が痛い。ゆっくり起き上がると息を吐いた。
そうして、昨日のうちにハンガーに掛けておいたワンピースに袖を通す。袖にチュールが重ねられた薄水色のそれは、私が持ってきた中で、一番ドレッシーなものだ。
髪は丁寧に編み込み、クロノス様のスカーフをリボンにして後頭部に飾り付けた。
昨日は、偉そうにアリスを励ましたけれど、私にはそんな資格はあったのだろうかと身支度をしながら考える。
机に置かれた空白の手紙が視界に入った。
もしかしたら、この手紙を受け取る人は、クロノス様が一番信頼を寄せている人物なのかもしれない。……じゃあ、私は?
『君のことなんて愛していなかった』
「……っ!」
手紙の一文を思い出して、私は手に持ったリップスティックを取り落とした。
からん、とドレッサーの上に転がり落ちたそれを慌てて拾い上げる。鏡を見れば、そこに映った自分は、あまりに酷い顔をしていた。
さすがに、こんな沈んだ顔では結婚式を挙げるアリスに失礼すぎると頬を叩く。
少しだけ、気合いが入った気がした。
◇
結婚式は街にある小さな教会で行われた。近くに住んでいる街の人も沢山足を運んでいるのは、アリスの人柄だろう。
私は、聖堂に入ると邪魔にならないよう端の方に腰掛けた。隣に座っていたのは、気さくそうなご婦人である。
「楽しみですわね」
「……ええ」
「アリス様には、本当にお世話になったんです。お相手のリヴィオ様もいい人でねぇ……しかもイケメン! 個人的にはクロノス様レベルよぉ」
「……はは」
恐らく、私がアレクシア・カラマニスだと知らないのだろう。
変に名乗って、元参謀長の妻だとバレるのも面倒なので、私は黙ったまま彼女の話に耳を傾けていた。
話を聞く限り、アリスも相手の男性も良い人であり、どちらも人望があるのだと良く伝わってきた。
良かった。結婚したくない、なんて泣いた時はどうしようかと思ったけれど。
「それでは、新郎新婦の入場です」
入場してきたアリスは純白のドレスに身を包み、幸せそうに微笑んでいる。その隣には、彼女の結婚相手である青年が立っていた。
黒髪に穏やかな瞳を持ち、誠実そうな人柄が滲み出ている。
年齢はアリスより少し年上だろうか。きりり、とした表情からは、アリスを支えようという決意が感じられた。
式は滞りなく進んでいった。誓いの言葉も、誓いのキスも、全てが幸せに満ちていた。
だというのに、私の心はまるで窓の外の天気のようにどんよりと曇っていく一方だった。新郎新婦の輝きを一身に浴びると、なんだか自分が急に惨めに思えてきたのだ。
『嬉しさ』や『喜び』の感情を感じるたびに、もう一人の自分が囁くのだ。『お前なんて、感情もわからないくせに』と。『愛なんて、ただの錯覚だろう』と。
暗くて狭い場所に、ずんと引き込まれていく感覚がする。まるで呪いのように私の周りにまとわりついて離れてくれない。
「ピアニストが急遽来れなくなっただとぉ!?」
心の中で暗闇に引っ張られていた私は、その声で現実に戻された。
振り返れば、黒っぽいジャケットに身を包んだ人間が数人立っている。どうやら、結婚式のスタッフらしい。
「代役を用意しろ!」
「そ、そうは言いましても……お貴族様ですら、ピアノなんて弾けないご時世ですし……」
「どうにかしろ、もう式は始まっているんだぞ!」
この後は、ピアニストの演奏の演出があったあとに、新郎新婦が退場をする流れだ。
唐突に式の流れが滞り、会場も何事かとざわめきが起こる。
隣のおば様も「あらやだ」と私の肩を叩いた。
「大変ね。ピアニストが来れないなんて」
「そう、ですね……」
演出が一つ欠けてしまうとかもしれないという事実に、新婦のアリスの表情は不安げに曇り始めている。
なんとかしてあげたい、心からそう思った。今日という晴れの日を迎える彼女に、精一杯の楽しかった思い出抱えて帰って欲しい。
私は、胸に手を当てる。
『感情がわからない』それが何だというのだ。
『愛なんて、ただの錯覚だろう』それなら、私の胸に湧き上がっているこの感情の名前を教えて欲しい。
まとわりついてくる呪いが何だというのだ。私の耳の奥で響く意地悪な声たちは、一旦無視してやる。
気が付けば、私は右手を高く挙げていた。
「私が、ピアノを弾きます」
ざわり、とゲスト達が動揺したことが分かった。
即興でピアノを弾ける人間なんて、スタッフが言う通り、貴族でもそうそういない。皇族もしくは大変厳しく教育された貴族くらいだろう。
……たとえば、軍人と結婚するために教養を詰め込まれた令嬢とか。
「お嬢さん、あんた……」
先程までフランクに話しかけていたおばさんがまるっと目を見開いていた。まるで、私の正体を見定めるように上から下まで舐め回すように見つめる。
ピアノが置いてある聖堂の左前まで歩いた私は、さっと足を引いて一糸乱れぬお辞儀をした。
「アレクシア・カラマニスです。僭越ながら、演奏をさせていただきます」
『アズーラ帝国の星』と呼ばれた元参謀長の苗字を冠する女。旦那を喪ったばかりの女。感情のない「無情令嬢」と呼ばれる女。
アレクシア・カラマニスという女は、今やただの晒し者だ。
しかし、アリスの晴れ舞台を滞らせるわけにはいかない。参列者たちの好奇の視線を背に受け、用意されたピアノの前に座る。
鍵盤に触れた瞬間、私はあの日のことを思い出していた。
嘘つきの魔法使いになった日の、あの子守唄だ。優しい嘘とは言い難い、けれども、確かにアリスの母の想いが籠った嘘だった。
ピアノで音を紡ぎながら、自然と歌が口をついて出た。
ララ、海の星 静かな波に
眠りの舟が揺れるよ そっと揺れるよ
月が見守る 銀の光で
あなたを包む 夢の海へと
静かなメロディが会場に響き渡る。
参列者たちは皆、息を呑んだように私を見つめている。音楽に合わせて、あの日の記憶が鮮明によみがえる。
この子守歌は、母親が子どもへの健やかな成長を願う歌だ。
ララ、風の歌 優しいささやき
遠い空から響くよ 星の調べが
母の願いは 波間の宝石
あなたの瞳に 明日を映して
音の余韻が消えるたび、誰かが静かに涙を拭う気配を感じた。
ピアノを弾き終えて顔を上げると、会場に割れんばかりの拍手が巻き起こった。
なんだ、なにが起こっているんだときょろきょろと周囲を見渡した。
どうして、拍手なんか巻き起こるのだ。これは厳かな結婚式であって、決してピアノリサイタルなんかじゃ――――
「……アレクシア様っ!」
ドレスの裾を踏みそうになりながら、アリスは駆けだしてきた。拍手は起こるわ、花嫁は式次第を無視して駆け出すわで、もう段取りはめちゃくちゃだ。
「アリス、戻らないと式次第が……」
「……アレクシアお姉ちゃん!」
「わっ」
私の諫める声も無視して、四年前と同じように呼びながら、アリスは子どもの頃のように飛び込んできた。ぎゅっと苦しいくらいに抱き着かれる。
「ありがとう、ありがとう……!」
アリスは、ぶわりと涙を溢れさせた。湧き上がってきた感情を止めることができないのか、周囲の視線など何も気にしていないようだった。
「あの時、病気のお母様に魔法をかけてくれてありがとう! 本当はね、わたし、魔法なんて無いってわかっていたの! お母様がどうなるかも、本当はわかってたの!」
「……っ」
当時のアリスは十歳だ。
よく考えてみれば、そのくらいの年の子どもはある程度分別がついている。彼女は、魔法使いなんていないことも、母親の病気が不治であることも、とっくの昔に知っていたのだろう。
「わたしは悪い子だったから。お母様と少しでも一緒に過ごす口実が欲しくて。約束が欲しくて。だから、アレクシアお姉ちゃんに、酷い嘘、つかせちゃった……」
「ううん、いいの、いいのよ、アリス……」
病気で病に伏した母と過ごしたかった幼い少女は、どんな思いで私に『魔法をかけてくれ』と願ったのだろうか。
想像をするだけで、上手く息ができなくなってしまう。
アリスは「でもね」と続ける。
「あの日の、アレクシアお姉ちゃんと、クロノス様と、お母様の愛は、ずっと私の中で生き続けているの」
「……うん」
「私に、素敵な嘘、ついてくれて、ありがとう!」
その言葉に、私の中にほんのりと光が灯った気がした。
確かに温かいもので満たされていくのに、泣きそうな気持ちになってくる。下唇を緩く噛んで、私は何でもないような顔をした。
ふと、彼女が窓の外を指差した。
「見て!」
木枠の窓越しに見える雨上がりの空には、大きな虹が架かっていた。
その美しい光景に、教会にいた人たちだけではなく、私まで目を奪われた。
虹なんて、空気中の水滴に光が反射しただけの自然現象である。
だから、虹の端なんて存在しない。それでも、『この虹の端には、とびっきり素敵な宝物が埋まっているかもしれない』と思ってしまうくらいには、鮮やかで神秘的なものだった。
「……アレクシアお姉ちゃんは、やっぱり魔法使いだね」
「ええ、秘密よ。二人だけのね」
小さな嘘をついた私は、アリスの背中を優しく押した。向こう側にエヴァンドラさんが見えたからだ。
アリスは、小さく頷いて『母』の元へ駆け寄っていった。
「エヴァンドラおばさん」
「なあに、アリス」
涙を浮かべたエヴァンドラおばさんに、向き合うアリスは何だか緊張しているようで。ウエディングドレスを着た背を少し丸めながら、遠慮がちにアリスは覗き込む。
「あのね……あのね……お母さんって呼んでも、いいかな?」
震えた声を紡がれた直後、エヴァンドラさんはふわりと微笑んだ。
「当たり前でしょう! 聞かずとも、いくらでも呼べばいいわ。貴方は私のたった一人の大切な娘なんだから!」
ぎゅっと音が聞こえてくるくらい彼女たちは、強く抱き合った。母のドレスに顔をうずめたまま、アリスは愛を伝える。
「……お母さん、あのね」
「うん」
「いままで、育ててくれて、ありがとう……っ!」
アリスの旦那となる青年の眼差しも、領民たちの穏やかな声も、それを見守るスタッフたちも、皆等しく優しかった。
アリスに注がれた愛情が、この先、様々な人に受け継がれていくのだろう。
もしかすると、私はとっくの昔に気がついていたのかもしれない。
愛は錯覚などではないということを。愛は、きっとここにあって、受け継がれていくものだということを。
(第二章・完)




