14_宝石工房と結婚前日のブルー
◇◇◇
昨日の野宿と打って変わって、ずいぶんと豪華な宿が用意されてしまったなと思う。
中央に鎮座している天蓋付きのベッドには、金糸で異国の刺繍が施されている上、寝具類は見たところ全てシルクだ。
下手をすれば、屋敷にある私の寝室よりも豪華かもしれない。さすが、貿易の町で宝石商として名を挙げるアステリスク男爵家の客室だ。
私は、窓際にある机に向かって腰掛けた。ここは三階であるため、町の様子が良く見えた。
カリスタ港町の風景は見ていると、ワクワクする。
建物は、アズーラ特有の白壁の建物と異国風のレンガ造りの建物が入り混じっているし、行き交う人々の服装も様々だ。軍人もいれば旅人もいるし、大道芸人のような不思議な格好をした人も歩いている。
けれど、皆、特異な目では見られない。それがこの街の日常風景なのだ。
私が歩いていても、きっと気に留める人間などいない。
遠くに広がる海辺には大きな帆船が停泊しており、その周囲を海鳥たちが飛び交っている。
とっても、気持ちのいい眺めだ。
「……文字に起こしてみる、か」
私はショルダーバッグの中から、万年筆とレターセットを取り出した。
きっと、エヴァンドラさんは日記帳なんかを想定したのだろうが、私はあいにく持ち合わせていない。
それに、日記に独り言を綴るよりも誰かに向けた言葉の方がずっと書きやすい気がしたのだ。
私は、万年筆を握る。
一行目に、『クロノス様へ』と書くと沢山の言葉が溢れだした。
クリスとシャイロ様と友達になったこと。カリスタ港町に来るまでに盗賊に襲われたこと。人生で初めての野宿をしたこと。エヴァンドラさんとアリスと再会したこと。そして、自分の心がよく分からなくなっていること。
思い出に浸りながら手紙を書いているうちに、一時間は経ってしまっただろうか。時計を見れば、時刻は夕方の四時だった。
「……確かに、少しすっきりした気がするわ」
私は、びっしりと文字で埋まった便箋を半分に折ると封筒に入れる。
テーブルの上に、ランタン用のマッチがあったので、封蝋用に拝借することにした。
マッチ棒をシャッと小箱にこすりつけ、オレンジ色の炎で封蝋を溶かす。
押し付けるシーリングスタンプはカラマニス家の家紋ではなく、花束が描かれたデザイン性のあるものだ。
「……完成、っと」
私が、その手紙をショルダーバッグにしまい込んだ時だった。
こんこん、と扉をノックする音が聞こえた。
黒檀の木材を使っているので、重厚感のある響きである。ともすれば、楽器の音のように聞こえるそのノック音の主を確かめるために、私は立ち上がって扉を開いた。
「アレクシア様、気分転換に宝石工房見学しませんか?」
扉の外にいたのは、明日の花嫁であるアリスだった。
◇◇◇
アステリスク家の宝石工房は、屋敷から徒歩数分の場所にある。
レンガ造りのその工房は、アズーラ帝国で一番の名を冠するに相応しい工房であると、宝石に縁の薄い私ですら思わずにはいられない。
決して、広さがあるわけでも、煌びやかな装飾が施されているわけでもない。
中央の作業台と奥の小さな炉だけが、この工房のすべてだ。
だが、それ以上の装飾など不要だと思えるほど、ここに漂う空気には独特の重みがある。
中央の作業台では、壮年の職人が一心に宝石を覗き込んでいた。彼の指先が微かに動くたび、宝石が僅かに光を反射し、辺りに柔らかな輝きを散らしている。
「あっ、アリス様! ……もしかしてお隣にいらっしゃるのはアレクシア様ではありませんか!」
炉の傍にいた若い助手が、ぱっと顔を上げたかと思うと、跳ねるように駆け寄ってきた。彼の切り揃えられた前髪と幼げな顔立ちには愛嬌があるが、確か今は十五歳。アリスよりも年上のはずだ。
「ご機嫌麗しゅう、ダモス様、ネオス様」
私は、小さくワンピースの裾をつまんで礼儀正しく頭を下げた。ダモスというのが壮年の職人の名前で、ネオスが目の前の助手の名前である。
「一度お会いしただけなのに、僕の名前まで覚えていてくれたのですね……! あっ、結婚指輪、懐かしいなぁ!」
彼は私の左手を指差し、感動したように目を輝かせた。
「ええ、あの時はお世話になりました」
ダイヤモンドの輝きが、私の薬指で静かに息づいている。
特別なこだわりが無かった当時の私は、デザイン等をすべてクロノス様にお任せしてしまったのだけれど。
「これは、師匠が作られたものですね! あの頃、僕はまだ炉すら触らせてもらえなかったなぁ……ね、師匠!」
ネオスの明るい声が工房に響くが、呼びかけられたダモスは視線を動かすことすらせず、作業台の宝石に集中している。助手は苦笑し、肩をすくめた。
「師匠、一度集中するとこうなんです。申し訳ありません」
「それほど、作品に一生懸命なのは良いことだわ」
他人から話しかけられても気が付かないほど、何かにのめり込むことができるのは少し羨ましい。
「せっかくなので、完成したアクセサリーをぜひご覧ください。とっても綺麗なので!」
助手のネオスは、工房の奥に進むと、がらりと引き戸を開ける。
その先に広がる景色に、私は言葉を失った。
一面に並べられた加工済みの宝石が、光を受けて柔らかく輝いていたのだ。ネックレスや指輪、ブレスレット。サイズもデザインも違うけれども、なぜか統一感があるように見える。
「まるで、宝石のお花畑ですね……」
思わず漏れた言葉に、助手は目を細めて微笑んだ。
「ええ、ここにあるのは、僕が作らせてもらったものですよ」
「何が『僕が作った』だ。俺がだいぶん手を入れただろうが!」
背後から低い声が響いた。振り返ると、ようやく職人ダモスが作業台から顔を上げていた。私の方を見ると、怖い顔を崩して、ふっと笑った。
「お嬢さん、良かったら、一つ持っていかれませんか? いいでしょう、アリス様」
「ええ、もちろんです!」
予想外の申し出に、私は慌てて首を振る。
「こんな素敵な宝石をいただくなんて、できません。私は何も用意していないのに」
「明日、私のわがままで結婚式に出てもらうんですから、受け取ってください……それに」
「それに?」
「将来のお客様を逃すわけには、いかないですから!」
そのぎらり、とした眼差しはエヴァンドラさんにそっくりである。
アリスの中にも、彼女の商売魂が引き継がれているのだろう。
「ほらほらっ、選んでください。アレクシア様!」
ここまで言われては、断る方が逆に失礼にあたる。
アリスに勧められるまま、私はそっと手を伸ばし、エメラルドのブローチを手に取った。
エメラルドと金の細工が私の目の色と髪の色、そして周りを縁取るプラチナがクロノス様の銀色の髪を映しているように感じられる。
「……あら、そのデザインでは、紫が足りないですねぇ……? ね、アレクシア様」
「な、なにを……」
「だってこのブローチ、アレクシア様とクロノス様の目と髪の色でしょう? それで選ばれたのではないですか?」
「……」
何だか急に顔が熱くなってきて、私は右手で頬を押さえた。
結婚式の前日だというのに、熱でも出してしまったのだろうか。確かに、昨日は野宿だったため可能性としては十分にありうるが。
「なるほど。それなら、アメジストを足してやろう。ネオス、そのブローチ持ってこい」
「はぁい」
助手がふわふわとした声で返事をすると、私の手からブローチが取り上げられる。
すると、なぜか先ほどの熱がじわじわと下がってきて、どうやら風邪ではなかったらしいと思い至った。
「はい、アレクシア様、どうぞ」
しばらくして、手元に戻ってきたブローチはエメラルドが一つ抜かれた代わりに、アメジストが嵌められている。
「わぁ……可愛い……!」
私らしくない感嘆の言葉が漏れた。
西日に当たると、ブローチは角度によって深い色から淡い色へと移ろい、永遠に眺めていたくなるような輝きを放つ。
ブローチを眺める私を見て、職人ダモスがぷっと噴き出した。
「結婚指輪を作った四年前は宝石なんて興味なさそうだったのになぁ」
「……確かに、そうでした」
四年前に結婚指輪を作った時は、ダイヤモンドの輝きを見て感嘆の息を漏らすクロノス様に、『輝くのは当然です。屈折率が高い石ですからね』なんて可愛げのないことを言って絶句させた思い出がある。
「でも、なぜかしら。今は、ここにあるものすべてが美しいと思えるんです」
並んでいる宝石はもちろんのこと、工房の温かい空気も、差し込む西日も、そして手元のブローチも。
きっと四年前と同じはずなのに、全部が素晴らしく綺麗なものに思える。
「そりゃあ良かった。情緒が育ったってことだな。きっとあの世でクロノス様も喜んでいるだろう」
「旦那様が?」
「そりゃそうさ、四年前に結婚指輪を作りに来た時も、ずっとお嬢さんのことを心配していたよ。『どうしたらあの子が笑ったり、泣いたり、そんな感情を知ってくれるだろう』ってな」
「……それ、は」
『アレクシア』という声が耳の奥で響いた気がした。優しく柔らかい声だ。
クロノス様は、ひょっとして、私のことを気にかけてくれていたのだろうか。
そんな淡い期待を抱いた後に私は首を振った。
……いや、そんなことがあるわけない。だって、私は彼から大切に思われていなかった。愛されていなかった。そもそも、愛なんてただの錯覚なのだ。
しかし、そんな思いとは裏腹に、確かに自分の中で息づく、今までに感じたことのない複雑な気持ちがあるのを感じていた。
それはクロノス様が亡くなってからか、あるいは――。
ふと気が付くと、外は薄暗く、日が落ち始めていた。私は、くるりとアリスの方を振り返る。
「アリス、明日は結婚式でしょう。そろそろ屋敷に戻りましょう」
しかし、アリスはどこか曇った表情を浮かべ、唇を噛んでいた――まるで何かを抑え込むように。
よく見れば、アリス俯いて肩を震わせていた。晴れの日を控えた花嫁らしくない、複雑な表情に心がざわつく。
「アリス?」
声をかけても、彼女はなかなか顔を上げない。
私は彼女の肩にそっと手を置いた。
「どうしたの?」
「……」
しばらくの沈黙の後、アリスがぽつりと呟いた。
「アレクシア様と工房に行こうって言ったのは、ただの口実なんです。アレクシア様を利用するような真似をして……すみません」
その声は震えていて、今にも泣き出しそうだった。
私は少し身を屈めて彼女の顔を覗き込む。
「……話してみて。何があったの?」
アリスは突然顔を覆い、わっと声を上げて泣き出した。
子どもが駄々をこねるような泣き声に、私は慌ててハンカチを取り出し、彼女に差し出す。
それを受け取った彼女は、鼻を啜りながら言った。
「わたし、結婚したくない!」
「えっ」
思わず、口から素っ頓狂な声が零れそうになった。
まさか明日の結婚は、アリスの同意を得られていないとでも言うのだろうか。
エヴァンドラさんは商人魂のある人であるが、さすがに娘のように育ててきた姪っ子を無理矢理結婚させるなんてあり得ない。
「お相手のリヴィオ様もとってもいい人だし、ちゃんと好きなんです。でも、明日から私はこの工房にもお屋敷にもお別れだって思うと……結婚したくないなって思ってしまうんです……! なんでか全然わからないけれど……」
しっとりと彼女の睫毛が濡れている。ぐずぐずと拙く自分の思いを吐露する彼女の気持ちには、なんだか思い当たる節があった。
先ほど、エヴァンドラさんがちらりと漏らした言葉。そして、私がクロノス様の葬儀の時に、涙を流した時の気持ちだって――そうなのかもしれない。
「ねえ、アリス。それは、寂しいってことじゃないかしら」
「……!」
アリスは目を見開いた後、腑に落ちたような顔をした。
「寂しい……そうかもしれないです」
何度か頷いた後に、困ったような笑みを浮かべた。
「わたし、本当はエヴァンドラおばさんに、ずっと申し訳ないって思っているんです……」
「エヴァンドラさんに?」
「そう、です……」
彼女はぽつぽつと話し始めた。その声は独白のようで、途切れ途切れだ。
「……わたしのお母様が亡くなってから、エヴァンドラおばさんは、わたしを育てるために自分を犠牲にしてきたのに……っ」
アリスの母は病弱だった。
父がいないアリスとその病弱な母を幼い頃から支え続けたのは、伯母であるエヴァンドラさんだった。
アリスの母は病の悪化で命を落とし、その後はエヴァンドラおばさんが彼女の親代わりとなって面倒を見てきた。
「それなのに、わたしは宝石商の仕事を継がずに、貿易商のお家に嫁いでしまう……!」
アリスは声を詰まらせ、私のハンカチで涙を拭いながらすすり泣きを続ける。
「エヴァンドラさんは、きっと気にしないわ」
「分かっています。おばさんは、小うるさいし、怖いし、厳しいし……でも本当は誰よりも優しい人。誰よりも私の意思を大事にしてくれているって……分かっているんです。でも……」
アリスは目を伏せ、震える声で続けた。
「わたし……ずっと……エヴァンドラおばさんのことを『お母さん』って呼びたかったのに、言えなかった。もし嫌な顔をされたらどうしようって思って……怖くて……」
ギュッと握りこまれた拳には、一体どんな感情が篭っているのだろう。アリスの声は段々と小さくなっていく。
「お母様は、この世界に一人だけ。でも、エヴァンドラおばさんだって私にとってはお母さんなのに」
アリスの目から、涙がぽろぽろと流れ落ちた。伝えたい思いが胸に渦巻いているのに、口に出せない。
その状態は、きっとエヴァンドラおばさんと同じで。
「アリス、明日があるじゃない」
「え……?」
彼女は、弾かれたように顔を上げた。
「明日、結婚式が終わった後にエヴァンドラさんに『お母さん、ありがとう』って言えばいいの。何事も伝えるのは早い方がいいわ。……その言葉は、いつか伝えられなくなってしまうかもしれないから」
自分にも言い聞かせるようにそう告げれば、アリスはこくこくと何度も頷いた。
エヴァンドラさんは、生きている。話しかければ返事をしてくれるし、手を伸ばせば、触れることができる。――まだ、伝えられるのだ。
工房の入口に目を向けると、深緑のドレスが視界に入った。
肩を震わせて立つ女性――エヴァンドラさんは、戻りの遅い私たちを心配して迎えに来てくれたのだろう。ひょっとすると、私たちの会話を聞いてしまったのかもしれない。
私はアリスの手を取り、そっと裏口へと促した。
「お嬢さん、大人になったな」
「そうでしょうか」
職人のダモスが私の意図を察したように――エヴァンドラさんとアリスが会うことがないように――裏口へ案内しながらそう言った。
確かに、少なくとも四年前よりはずっと人間らしく振舞っている気もするけれど。
外に出た瞬間、ひんやりとした夕方の空気が頬を撫でた。
静かな街の通りを歩きながら、アリスはふと立ち止まり、小さな声で言った。
「……ありがとうございます。アレクシア様。明日、ちゃんと呼びます。お母さんって」
西の空が赤く染まり、家々の窓に夕日が映り込む。アリスの横顔はどこか穏やかで、けれども確かな決意が滲んでいた。




