13_空白の手紙の宛先は
◇◇◇
案内された屋敷は、四年前と内装が変わっていた。
客間は、深緑と栗皮色に統一されており、ぱちぱちと響く暖炉の音が時間を忘れてしまうほど心を落ち着かせてくれる。
お風呂に入らせてもらって、着替え終わったあとの暖炉の心地良さと言ったら無い。
体の芯まで温まりきった私は、三人掛けのソファに贅沢に一人で腰掛け、クッションを抱えながら、アリスと向き合って座っていた。
「……無茶なお願いでしたよね、わたしも。アレクシア様を困らせてしまったなぁって反省しているんです」
私は、かつてのアリスからの『お願い』を思い出して思わず苦笑いをした。
確かにあの時は、随分と困るお願いをされた。
しかし、十四歳になった彼女は、口調も別人のように異なっていて驚いた。
身長は伸び、今や私に追いつこうとする勢いだ。ミルクティー色の髪の毛は緩く巻き下ろされ、ずいぶんと大人っぽくなった。
「私、結婚式を挙げるんです」
「あら、そうなの」
「……明日」
「あした」
カタコトのようにそう呟けば、アリスは苦い顔をした。
「アレクシア様は、その……喪中だから、あまり式に呼ぶのは良くないかと思って」
アリスは、もごもごと言い訳をするように言葉を濁した。
我が国には、喪中という考え方はない。
けれども、確かに旦那を喪ったばかりの女を結婚式に呼ぶというのもなかなか勇気がいることだろう。
「急ではあるんですけど……明日、アレクシア様も出席してくださったら、本当に嬉しいです!」
「こら、アリス!」
いつの間にか、エヴァンドラさんも客間に入ってきたらしい。アリスの隣に腰掛けた彼女は目を釣り上げて、アリスを叱った。
急に結婚式に招待するなんて、非礼極まりないと思ったのだろう。
「申し訳ございません。アレクシア様……アリスも謝りなさい!」
「ごめんなさい、アレクシア様。でも、エヴァンドラおばさんは怒りすぎよ」
「なんですって」
なんだかエヴァンドラさんが噴火しそうな雰囲気を感じたので、私は慌てて肯定の返事を挟む。
「大丈夫ですよ。結婚式、出席させてください」
「……えっ、良いのですか!」
やったーと両手を小さく挙げるアリスを見て、エヴァンドラさんの顔はさらに鬼のように変化する。
「いい加減にしなさい! 全く、貴方は十四歳にもなって落ち着きも無く!」
「エヴァンドラおばさんも最近キリキリし過ぎよ!」
ばちっ、と両者の間に火花が飛んだ。
この伯母と姪っ子、決して仲は悪くないはずなのだが、どうやら今日はお互い虫の居所が良くないらしい。
「あの、本当に私は大丈夫なので、落ち着いてください。……私だって、エヴァンドラさんに頼みごとがあるので」
私の含みのある言葉で察してくれたらしい。
「頼みごと?」とエヴァンドラさんは首を傾げたあとに、「アリスはちょっと出てくれる?」と二人きりの空間を作ってくれた。
アリスとエヴァンドラさんの空気も良くなかったので、ちょうど良かったかもしれない。
何だか交換条件を突きつけているようで、申し訳ない気もしたが、彼女は商売人である。多少の打算込みでお願いを飲んでくれるだろう。アリスが部屋を出て行ったのを確認した私はバッグの中から手紙を取り出した。
「旦那様から、エヴァンドラさん宛に手紙を預かっているんです」
「……クロノス様から?」
エヴァンドラさんは不思議そうに手紙に視線を移した。
幼い頃から貴族としての付き合いがある私はともかく、クロノス様とエヴァンドラさんが顔を合わせたのは結婚指輪を作った際のたった一度だけ。
それ以降、手紙をやり取りしているといった話も特に聞いたことが無い。
「ともかく、読みましょう」
エヴァンドラさんは、受け取った手紙を開いた。
取り出した便箋は、クリスとシャイロ様の時と同じく五枚ほどある。
――やっぱり、私の手紙は事務的なものだったのね
差を嫌でも感じてしまって、心がざわざわと嫌な音を立てた。
当のエヴァンドラさんはというと、手紙を読んでいくうちにだんだんと眉に込められた力が抜けていった。
「……なるほど」
エヴァンドラさんが緩く息を吐きながら、そう言った。
「これは、なるほど……まあ、なんとも、当然のことを……」
再び納得の言葉を零しながら、彼女は便箋を封筒にしまい込んだ。そうして、ぱっと顔を上げて何かを暴くように私の顔を見つめてきた。
「アレクシア様は……もしかして、他にもお手紙を預かっていますか?」
切り出そうと思っていたことを先に言われたものだから、私は思わず目を見開いた。
何度か瞬きをして、肯定に等しい質問を返す。
「……どうして分かったのですか。もしかして手紙に何か書いていたとか」
「いいえ。手紙には要件以外のことは一切書いてありませんでした」
エヴァンドラさんは、便箋を畳みながら続ける。
「私は、独身で男爵家を切り盛りして、宝石商までやっている女ですよ。商売人の観察眼を舐めないでいただきたいわ」
その声は、少し誇らしげだ。
もはや、ここまで来れば隠すことでもないため、全ての手紙の宛先を彼女に告げた。
「その通りです。私は、旦那様から五通の手紙を託されました。私の友人であるシャイロ様とクリス、エヴァンドラさん、退役軍人のダミアン様、お医者様のレオン様……」
「ふむ」
「そして、最後に宛先が空白の手紙です」
宛先も宛名もなし、というところでエヴァンドラさんの顔が少し難しくなった。顎に手を当てながら、彼女はじっくりと考え込むような素振りを見せる。
「なるほど、だからアレクシア様は、わざわざ直接いらっしゃったのですね。宛先の無い手紙の人物を探すために。私たちが何かしら知っているかもしれませんものね」
「……その通りです」
探偵かと思うほど的確なその推理に、私は舌を巻いた。
ころころと表情が変化するシャイロ様とは違って、私の考えていることが分かりやすいわけでもないだろう。
だとすれば、エヴァンドラさんが鋭過ぎるということだ。
彼女に隠し事など絶対にできないと、密かに決意を固める。
「恐らくですが、クロノス様はこの手紙を貴方が直接届けることを想定していないと思われます」
「……そうでしょうね。手紙を遺したクロノス様も、まさか私が手紙を届けるために長旅に出るなど思いもしなかったはずです」
「その上で、考えてみてください。クロノス・カラマニス様というお方は、何の考えも無しに宛先も宛名も空にして、遺言にも等しい手紙を託すでしょうか?」
「……それは」
クロノス様は、頭が良い人だ。
エヴァンドラさんの言う通り、届くはずもない手紙を考えもなしに私に預けたりしないだろう。
それならば。
「つまり、この手紙は、郵便局に預けても届く状態にしてある。そう考えるのが妥当ではないでしょうか?」
「……!」
「例えば、事前に郵便局に住所を連絡しておくなどして。制度としては可能ですよね?」
ずっと、この手紙を郵便局に預けても『宛所に尋ねあたりません』という文言とともに返送されるものだと思っていた。
けれど、もし事前にクロノス様が『カラマニス家の封蝋が押された空白の手紙は、この場所に届けて欲しい』と郵便局に前もって伝えていたらどうだろうか。
手紙は届くし、私や部下のゼノ……その他、彼の知り合いには宛名も宛先もバレずに、手紙を届けることが可能だ。
「クロノス様は……私に言えないことがあったのでしょうか」
そう口に出したあとに、はたと気がつく。
なんて、初歩的で馬鹿な疑問なのだろうかと。
「……間違えました。私たちは、決してなんでも話せるような関係ではなかったです」
思い返せば、クロノス様は私に対してたまに気を遣うように、何かを言いかけては口を噤む時があった。
私に対しての不満だったのか、何かを打ち明けようとしていたのか、今となっては確認のしようがないけれど。
「私はきっと、旦那様から一線を引かれていました。だから、当然なのです。この空白の手紙の相手には言えることが、きっと私には言えないのです」
私に伝えられることなんて、便箋一枚に収まる事務的な言葉だけだ。
なら、誰にも知られたくないと思うほどの相手への手紙には、どんな言葉が詰まっているというのだろう。考えたって仕方がないのに、心は重くなっていく一方だ。
私は、ギュッとクッションを握りしめた。
ふかふかのそれが形を変えて、押しつぶされていく。
「……考えたところで仕方ないのです。旦那様は、私を大切になんて思っていなかったのですから」
ずん、と空気が重くなり、沈黙が落ちた。
クロノス様は優しい人だった。ただ、それは彼の義務感からくるものに他ならない。
別に彼は、私のことを大切にしていたわけでも、愛していたわけでもないのだ。
『君のことなんて、愛していなかった』
その手紙の一文が、真実であるのだと突きつけられた気分だった。胸の柔らかいところに、その言葉が刺さったまま抜けてくれない。
心地よく感じていたぱちぱち、という暖炉の音ですら、気持ちを俯かせていく。
「アレクシア様。大切だからこそ、話せない。そんなこともあるのでは?」
「っ……」
ぱっと顔を上げれば、穏やかな顔をしたエヴァンドラさんと目が合った。彼女は、少し自虐的な笑みを浮かべながら、そんなことを言うのだ。
「大切だからこそ、話せない……?」
それは、明らかに矛盾した言葉だ。こてん、と首を捻ればエヴァンドラさんは柔らかい表情を崩さないまま私に問いかける。
「アレクシア様は、大切な人に何でも話すことができますか。例えばご友人に、自分の思っていること、考えていること、過去のこと。洗いざらい全て話すことができますか?」
「それ、は……」
私は言葉に詰まった。
クリスやシャイロ様には、カリスタ港町の後の具体的な行程を伝えていない。それは、やいやい突っ込まれるのが面倒だからという理由が大きいが、それ以外にも彼らに『迷惑を掛けたくない』という思いがあるのも、また事実なのだ。
「私だって、そうなのですよ、アレクシア様。いつも素直になれない。いつだって大切な人には、言いたいことさえちゃんと言うことができないものです、人間というものは」
彼女の口ぶりは、まるで特定の誰かを指して言っているかのようである。
私の頭に浮かんだのは、無邪気な少女の姿だった。
「それは、アリスに対してですか?」
「ええ、お恥ずかしながら。明日、結婚する姪っ子を怒ってばかりで……素直にお祝いしてあげられない」
本当に紡ぎたい言葉があるのに、言葉にすることができないのは苦しいだろう。エヴァンドラさんは、視線を下の方に向けたまま、ぽつりと零すのだ。
「所詮、私は、あの子の伯母ですから」
その声は酷く寂し気だった。
まるで、アリスの世界の中には自分はいないものだと一線を引いているかのようである。
しかし、エヴァンドラさんが悲し気な雰囲気を醸し出していたのも一瞬のことで、すぐに声を明るく切り替える。
「アレクシア様、お部屋までご案内します。よろしければ、ゆっくり休まれてください」
「……いえ、宿は別で取るつもりですが」
「結婚式のゲストに宿を用意するのは当然のことでしょう。少々お待ちくださいね」
彼女が部屋を出ていってからしばらくすると、客間にアリスと一人の使用人が入ってきた。
「ご案内してあげて」というエヴァンドラさんの言葉と「はぁい」というアリスの気の抜けた返事で、重苦しい空気が破られた。
使用人によって私のトランクケースが持ち上げられ、部屋に運ばれていく。半ば押し切られるような形で、私は男爵家への宿泊が決まってしまった。
アリスを追いかけようと、私も客間を出ようとした時、エヴァンドラさんの声が耳に届いた。
「気持ちに整理が付かない時は、文字に起こしてみると良いですよ。私も日記を書いていますから」
私は、振り返って小さく頷く。こういう時に、告げる言葉は決まっているのだ。
「……ありがとうございます」
そう言い残して、離れていくアリスたちの背中を小走りで追いかけた。後ろから、くすりと笑い声が聞こえた気がした。




