11_カリスタ港町へ
◇◇◇
「美味しい」
船頭さま……もとい、強盗を追い払って、クヌギ林の中に足を踏み入れた私は、水に濡れずに無事だったパンをちまちまと齧っていた。
季節は冬だ。暖かいコートを着込んでいるとはいえ、夜の森は底冷えする。
まだ、凍死をするような気温じゃなかったことだけ幸いであるが。
――全く、濃すぎる一日だった。
本日、数度目の溜息をつきながら、私は空を見上げた。
冬の夜空は綺麗に星が見えるのだそうだ。気温が低いと、星の光が空気に揺らいで煌めいてみえるから……らしい。
「アズーラ帝国の星、なんて言いえて妙だわ」
私が星を見上げながら思い出したのは、クロノス様のことだ。
アズーラ帝国の太陽、と呼ばれる皇帝の対になるよう言葉遊びで付けられた二つ名。けれど、それは彼のことを良く表していると思う。
闇夜のような目に、煌めく銀髪。明るく爽やかではあるのに、どこかミステリアスな雰囲気が漂うクロノス様は、太陽というよりも星だ。
「もう、会うことはできないの、かしら」
死んだ人間は生き返らない。時間は巻き戻せない。それは、この世で一番残酷で、絶対的な事実である――昔、クロノス様が言っていた言葉だ。
あまり希望を持ちすぎるのは良くない、と理解はしている。
「それでも、私はやらなきゃいけない。たとえ、どんな結果になったとしても」
私が解決すべき問題点は、大きく分けて二つだ。
一つ目は、クロノス様の遺した手紙について。五通の手紙の共通点と、空白の手紙の宛先を調べなければならない。そうして、各宛先の相手に必ず無事に手紙を届ける。
二つ目は、クロノス様の生死についてだ。
これには、手掛かりすらもない状況だ。
判明しているのは、彼の遺体が見つかっていないことと、シャイロ様が『クロノス様の死は、軍部が絡んでいる気がする』と言ったことくらいだろうか。
「……この旅で、もし、クロノス様が見つからなかったら」
そう呟くと、急に心許ない気持ちが心の底から湧き出してくる。
もしも、この旅がクロノス様の死を裏付けることになってしまったらどうしよう。そう思うと、ただ胸がギリギリと痛んだ。
「駄目だわ。もう、寝よう」
今考えても仕方がない。
そう言い聞かせ続けながら、私は座ったまま後頭部をクヌギの幹に押し付けた。
両足をふかふかのパニエの中に押し込んだ上で、ケープコートの中に全てしまった。随分とコンパクトで滑稽な姿になったが、この状態が一番温かいのだから仕方ない。
逃げた盗賊は逃げおおせているため、襲われることはないだろうが、万が一のために剣を抱え込んで目を瞑った。
今晩はきっと冷える。風邪を引かないように、そうして急に気温が下がって凍死しないよう願いながら、私は眠りに落ちて行った。
◇◇◇
翌日。
日の出とともに目が覚めた私は、凍死していないことに小さく安堵の溜息をついた。
身体のあちこちが痛いけれど、幸い風邪は引いていないようだ。
立ち上がった私は、トランクケースからブラシを取り出すとボサボサの髪の毛をとかして髪を結び直した。
服も着替えたかったが、さすがにカリスタで宿を見つけてからにしようと思った。ここで下着姿になるのは自殺行為だ。
とはいえ、顔くらいは洗いたい。
サクサクと枯れ葉を踏みながら、私は林の中を散策していく。
少し歩けば、湖が見つかった。運河とは別の水脈のようで、澄んだ綺麗なものだ。
朝だからなのか、湖の上にうっすらと霧がかかっており、まるでミルクのように見える。
ちょっとだけ美味しそうだな、と思いながら私は顔を洗った。冷たい水が肌に染みて、ぶるりと震える。
「……あ」
湖に映った自分をみれば、首元のスカーフが曲がっていた。
今やこのスカーフだけが、クロノス様の温度を感じられる唯一のものなのだ。
私は、綺麗に首元に巻き直して、蝶結びをすると、気合いを入れるように両手で頬を叩いた。
クロノス様が朝に良くやっていた仕草だ。
けれど、頬を叩いてみてもただ痛いだけだった。
小舟はすっかり乾ききっていた。どすん、とトランクケースを載せ、自身も乗り込んだ。
ここから、カリスタまではプロが漕いだら一時間ほどでつくだろう。
ただ、私の力では昼に付くかどうかも怪しい。
「ふんっ」
小舟を漕ぐ。
中々力がいるけれども、首都オルディンからカリスタまでは、水の流れが下っていることもあり、放っておいてもゆっくり進んでいく。
度々休憩しながら、私は舟を進めた。
たまにすれ違う船頭さんにギョッとした顔をされたが、気にせず進んだ。
結局カリスタに到着したのは、昼過ぎだった。水門兵に通行許可書を見せると、怪訝な顔をされた。
「お嬢さん、一人で小舟を漕いできたのかい?」
「……はい。船頭さまが盗賊だったもので」
「はぁ!?」
なんだか、とてつもなく大きな声を出されてしまった気がする。その声に反応してか、バタバタと誰かが走ってくる音が聞こえる。
「ああっ、アレクシアさまっ!」
深緑の落ち着いたドレスの裾を踏んで転げそうになりながら、一人の上品な中年の女性が私の元にやってきた。
「アレクシア様! ああっ、お迎えが遅れて申し訳ございません!」
私の前に現れたのは、エヴァンドラ・アステリスク男爵だ。
歳はたしか四十歳くらいだったはずだ。彼女は、ここカリスタ港町を領地とする女領主であり、宝石商であり――――クロノス様の二通目の手紙の宛先である。
エヴァンドラさんとは、貴族同士ということで幼い頃から度々付き合いがあった。
彼女は、商売をしているということもあり、打算込みで人と付き合う節がある。
両親は彼女のことを良く思っていないようだが、私は謎の優しさを見せられるよりも、商人魂の見えた打算的な優しさの方が素直に受け取れるため、個人的には付き合いやすい人だと思っている。
「なぜ、私の到着を?」
「シャイロ様から速達が届いたのですよ!」
エヴァンドラさんは、柄にもなく焦った様子で手紙を押し付けた。
そこには、私がエヴァンドラさんを訪ねる旨が、走り書きの綺麗な文字で簡潔に記載されている。
『どうせ貴方はアポのひとつも取らずに飛び出していったんでしょ! 冷静な顔して意外と衝動的なんだから、もっと私に感謝しなさいよね!』
手紙は、そんな言葉で締めくくられていた。
本当にその通りだった。なんだか、見抜かれているようで気まずいような、嬉しいような、こそばゆい妙な感覚に襲われる。
「アレクシア様、あの、なぜそんなにお洋服が汚れていらっしゃるのですか? それと船頭様は……」
小舟に乗っているのは、私だけである。ぽつんと舟に乗ったボロボロの女は、さぞ不思議な絵面だろう。
「実は、船頭様が盗賊でして。野宿したのです」
「はい!?」
「もちろん、盗賊は撃退いたしましたが」
「アレクシア様、まあ、その……ご冗談も言うようになったのですね」
苦笑いをしていたエヴァンドラさんだが、私が腰の剣を指さしながら微塵も動かない様子を見て、表情が段々と険しくなっていく。
「……ほんとうに?」
「嘘などつく理由がございません」
「……ああっ」
目をまんまるにしたエヴァンドラさんは口元に手を当てた。そうして、そのままふらりと後ろに倒れ込みそうになる。
すんでのところで、水門兵が彼女を抱き留めた。「領主様! しっかりなさってください!」と雪山で眠る人を起こすかのように体を揺さぶる。
「アレクシア様……ずいぶんとたくましくなられて……」
額に手を当てたまま、彼女は水門兵から離れた。
未だかつて彼女をここまで困らせたことは無かったため、私の中にとてつもない罪悪感が浮上してくる。
「とりあえず、我が家にいらっしゃってお湯を浴びてください。ああ、本当に申し訳ない……」
何を言うのか。申し訳ないのはこっちである。
「私は大丈夫なので、本当にお気になさらず……」
「いえ。これは私の不手際ですので、我が家にいらしてください」
「……では、お言葉に甘えて」
これ以上は押し問答になるのが目に見えていたため、私は素直に好意に甘えることにした。
私は、ひょいと小舟から下りる。
実際、私は疲れていたのだ。図々しいのは百も承知だが、今すぐにでもお湯を浴びてゆっくりと休みたかった。
舟を漕いだことで、じんじんと痛む腕をさすっていると、エヴァンドラさんとは違う若い少女の声が耳に入ってきた。
「アレクシア様? ……やっぱり、そうだ!」
ひょこっと、エヴァンドラさんの後ろから顔を出したのは、十四歳くらいの少女だった。
私と似たミルクティー色の髪に、エヴァンドラさんと同じ水色の瞳。ぱっちりとした大きな瞳には、鏡のように周囲の景色を映り込ませているのだろう。
口調も見た目も随分と変わったけれど、私は彼女のことを知っている。
「……もしかして、アリス?」
「わっ、覚えていてくれたんですね! アレクシア様」
アリスは、エヴァンドラさんの妹の娘――――つまり、姪っ子に当たる。
破顔したアリスの表情は、四年前とあまり変わっていない。




