10_旦那様と訓練を-4年前の夏のこと-
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『君に剣術を教えようと思う』
『どうしてですか?』
この頃の私たちは、書類上は夫婦になった後だった。
屋敷の小さな庭にて。なぜかノリノリで木製の練習剣を持った彼は、私に一本押し付けてきたのだ。
『俺が出世したら、アレクシアも命を狙われることがあるかもしれない』
『それは大変ですね』
『……さすがに他人事すぎないか?』
最近は、少々呆れたような口調で言葉を投げかけられることにも慣れてしまった。
どうやら、私の対応は、クロノス様にとっては常識外のことのようで、少しだけ申し訳ないという気持ちに――――なりたいとは思っている。
『申し訳ございません』
『ほら、すぐに謝る。だいたい、アレクシアには謝罪の感情も無いんだろう? それなら、謝る必要はないと思わないか?』
『……』
『ほら、図星』
意地悪そうに微笑む彼は、ずいぶんとご機嫌だ。なぜ、そんなに楽しそうなのかは分からないが。
私は、目の前の綺麗な顔を見ながら『命が狙われることもあるかも』なんて物騒な彼の言葉を頭の中で反復させる。
この頃の軍の上層部は、権威主義の保守的な男性ばかりだった。クロノス様のような改革派が出世してしまえば、恨まれることも増えるかもしれない。
もしかすると、夜中にひっそりと忍び込まれて暗殺……なんて、小説じみたことも起こってしまう可能性だってあるのだ。それは、さすがに恐ろしい。
私は手渡された剣をまじまじと見つめる。
『君はずいぶんと背が伸びた。もともと剣術はそれなりに叩き込まれてはいるみたいだが、体の使い方をもう一度復習しておいた方がいい。成長は良いことだが、いざという時に、幼い頃の体の使い方のままだと、自分の体が上手く動かせない』
『なるほど』
妙に説得力のあるその言葉は、彼自身が体験したことなのだろう。
クロノス様の身長は、普通の男性と比べてもかなり高い。きっと成長期の身長の伸び方も凄まじかったに違いない。
『それならば、よろしくお願いいたします』
この日のワンピースは、深い赤色だった。
ふわりと広がった裾のフリルを持ち上げてぺこりと私は頭を下げると、彼に手渡された練習剣を握りしめる。
『まさか、君、そのふりふりのワンピースのままやるつもりなのか? 暑くないか?』
クロノス様は、私のワンピースをちらりと見る。
私の着ているフリルの多いワンピースは意外にもずっしりと重量感があるし、ふわふわとしたパニエは、動く際に邪魔になる。
それに、今は夕方とはいえ季節は七月。西日が照り付けて暑さが残っている。
『ですが、実際に襲われた時に着替える暇なんてありませんから』
『……まあ、確かに。実戦と同じ条件じゃないと意味が無いな』
納得したようにクロノス様は頷いて、訓練は始まった。
訓練は意外にもきつい物だった。
よく考えれば、軍事国家の精鋭軍人であるクロノス様から教わるのだから当然のことだったのかもしれない。
打ち込んでくるクロノス様の剣をひたすら打ち返すだけの練習。
反射神経と集中力が求められる上に、持久力も必要だ。休憩を挟みながらも、私は疲れ果てて段々と足がおぼつかなくなってきていた。
疲れていた。
けれど、それを口に出すことは無かった。辛さやしんどさを表に出すのは恥ずべきことであると両親から強く叩き込まれていたからだ。
笑わず、悲しまず、疲れを出さず、人形のように。そう振舞うのが、私に求められることだから。
『あっ』
剣を弾き返そうとした拍子に、思わず、ふらりと体が傾いた。
足が絡み合って体が後ろに倒れてしまったのだ。ぐらりと傾き、私の視界に真っ青な空が広がった。
このままでは、後頭部を強く打ってしまうだろうが、受け身を取るような余裕もない。なにせ、私は体力の限界なのだ。
『おっと!』
しかし、私の後頭部はいつまで経っても打ち付けられず、視界は真っ青から真っ白に切り替わった。
それは、軍服だった。
『危なかった……もしかして体力の限界だったのか。気が付かなくて、ごめん』
見上げれば、私はがっちりとクロノス様の腕の中に抱きかかえられていた。
ふわりと甘いバニラのような香りが鼻をくすぐる。
『甘い、香りがします』
『…………………香水をつけた。カッコつけて悪かったな』
『いいえ、良い香りです』
綺麗な人は香りまで完璧なのだ、と私は感心してしまう。
ぴったりと密着しているのも申し訳ない気分になり、私は彼から離れようと身じろいだ。が、その瞬間に支えを失ってがっくりと膝が折れた。
再び前かがみに倒れていく私は、先ほどよりも強く抱き留められる。
『……失礼、しました』
『君は立てないだろ。いいから俺に任せとけ』
軽々と私は横抱きにされて、屋敷まで連れていかれそうになる。
私は呼吸を整えながら、彼に告げる。
『重いですし、迷惑をかけるわけにはいきません』
『俺が君に無理をさせたせいだろ?』
『……』
『そう、大人しく抱っこされてろ』
そう言った彼は、歩みを止めることは無かった。
きっとこれは、世間一般では甘いシチュエーションであるはずなのに、私だけではなくクロノス様もまた、恋愛的な意識をしている様子は見受けられない。
旦那、というよりも兄の方が感覚としては近いのだろうか。私を見つめる眼差しは、まるで保護者のようなのだ。
『疲れたな。食事にしよう。今日はムサカだと料理人が零していた』
『ミートソースとホワイトソースと野菜の重ね焼きですね。美味しいので、好きです』
『そうか。良かった』
私が肯定的な発言をすれば、彼は嬉しそうに顔を綻ばせる。だから、最近は積極的にプラスの発言をするようにしていた。
ふと、抱え上げられた私の顔を覗き込むようにして、芸術品のような顔が近づいてくる。
『アレクシア。今度、カリスタまで行かないか』
『カリスタ? 港町ですか?』
唐突すぎる提案に私は、こてんと首を捻った。
『それは新婚旅行ですか?』
『新婚旅行にしては、距離が近すぎるだろ』
カリスタ港町は、運河を使えば一日もかからずにつく場所だ。
確かに、私が生まれ育ったパパス領よりは近い。けれど、それが一般的な旅行の距離なのかどうか私には分からない。だって、家族で旅行なんてしたことがないのだから。
『結婚指輪を作りに行くんだ。カリスタには、有名な宝石商がいると聞いた。エヴァンドラ・アステリスク男爵だ』
『ええ、存じ上げております。私の知り合いですので』
『なんだか淡泊な反応だな。結婚指輪だぞ? 嬉しくないのか?』
結婚指輪、と聞いても私にとってはあまり興味の湧くものではない。
結婚式は迫ってきているけれど、ドレスも指輪も誓いのキスも、私にとってはどうでもいいことだった。
『私は結婚指輪よりも、本日のムサカの方が嬉しいです』
『はは、花よりなんちゃらってやつか。確かに腹減ったもんな。……疲れさせてごめんな』
なんだか、クロノス様は他にも言いたいことがありそうだったけれど、くすりとも笑わない私の顔を見たら、ぐっと口を噤んでしまった。




