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01_旦那様の死

 


『笑うな。気持ち悪い』


 幼い頃、両親にそう言われてから、私は笑うことをやめた。


 笑えないと辛いので、次は悲しみを閉じ込めた。怒りを忘れ、期待を捨て、喜びを失った。そうして、私の感情は迷子になった郵便物のように行き先を無くし、どこにも尋ねあたらなくなった。


 私は、この先の長い人生の中で、喜びも悲しみも、そして人を愛するという感情も――きっと、理解できる日はこないのだろう。


 少なくとも。


『君のことなんて、少しも愛していなかった』


 最期までそう告げられるくらいには、私は旦那様を愛していなかったし、また、愛されてもいなかった。


 ◇◇◇


 アズーラ帝国は、国境の半分以上が海に面している大国だ。


 首都オルディンは、その青い海に映えるような白壁の建物が立ち並び、街には運河が張り巡らされている。その運河をせわしなく行き来する小舟は、荷物や手紙を運び、実用だけではなく観光にも一役買っていた。


 しかし、アズーラ帝国は、決して観光国などではない。この国は、強大な海軍を有する軍事国家なのである。


 帝国である以上、皇帝が頂点として君臨してはいるものの、実質権力を握っているのは軍部であり、皇帝は完全に軍部の言いなりである。


 皇帝ですらお飾りなのだから、まして貴族の地位なんて知れている。貴族領地を実質支配しているのはもちろん軍部であり、貴族たちは名ばかりの領主だ。


 そんな肩書のみの貴族、パパス伯爵家に生まれた一人娘が、私、アレクシア・パパスであった。

 軍人教育を受けていた兄が家出をしてからというもの、私は我が家の権力のために軍人と結婚させられることが決定しており、厳しい教育を受けた。


『お前は、十四歳になったらすぐに軍人と結婚しろ! それが仮に少女趣味のあるジジイであってもだ!』


 父親は、私と目が合うたびにそう告げた。


『アレクシア、貴方は私の言いなりになっておけばいいんだからね。軍人さんと結婚することが貴方の幸せなのよ』


 母は私の意思を許さず、習い事から服装に至るまで、全てを彼女が決めた。


 私の存在価値は、パパス伯爵家の権力のための道具になることなのだと、幼い頃から理解せざるを得なかった。


 そうして、私が法的に婚姻可能になった十四歳の時に結婚したのが、五歳上のクロノス・カラマニスという軍人だった。


 綺麗な人だった。


 淡く発光するような銀色の髪に、深い紫の瞳。『アズーラ帝国の星』と呼ばれていた彼との結婚は、周囲から大層羨ましがられたものだった。


 しかし、当時十四歳だった私は、五歳上のクロノス様からすれば、可愛げのない子どもにしか見えなかったことだろう。


『アレクシア、君を愛することはないし、君もまた俺のことなんて愛さなくてもいい』


 クロノス様は、口癖のように度々その言葉を口にした。


 愛のない夫婦なんて、アズーラ帝国では良くある話だ。


 私は全く悲しくなんてなかった。浮気をしてくれても構わなかったし、我慢ならなければ離婚してくれても良かった。


 事実、彼は途中から家を空けることが多くなったし、夜中に帰ってくることも増えた。

 愛のない政略結婚。それが、私と彼との結婚生活だったはずだった。


 ◇


 私は、新聞紙を捲りながら、ホットチョコレートに口を付ける。

 首都オルディンは海洋性気候のため比較的温暖なはずなのだが、新年を迎えてからというもの、めっきり冷え込んだのだ。

 窓の外には、珍しく雨が降っているため、その影響もあるかもしれない。


「奥様、ご心配でしょう。終戦が近いとはいえ、旦那様がずっと戦地に赴いたままでは」

「ええ、そうね」

「早く帰ってきてくださるといいですね」


 ホットチョコレートのお代わりを持ってきてくれたメイドが、私の読んでいた新聞に目を落としながらそう言った。


 新聞には、『北大陸大戦、我が国の多大なる支援により同盟国の勝利確実!』と掠れた文字で印刷されている。


 私の旦那様――クロノス様が、海の向こうにある同盟国の応援のために首都オルディンを旅立ってから、ちょうど一年が経とうとしていた。


 新聞によれば、アズーラ帝国が介入したことにより、同盟国の勝利はほぼ確定的となったらしい。もう、終戦もそろそろではないかという話も街中で噂になっていた。


「旦那様が帰って来られたら、凱旋パレードが開催されますね! ……ああ、奥様の分のドレスも用意しなければ!」

「いいわよ、手持ちのドレスで」

「贅沢をして経済を回すのも、大切なことなのですよ。もうっ、奥様はこんなにお綺麗なのに」


 頬を膨らませて苦言を呈すメイドに視線を向けながら、私は甘ったるいチョコレートを飲む。


 ちなみに、私はチョコレートが特別好きなわけではない。

 これは、私が甘い物が好きだと勘違いしたクロノス様が定期購入しているものだ。使用人たちが、せっせと入れてくれるため、私は仕方なく口にしている。


「本当にいいのよ。何も用意しなくて」


 私にとっては、凱旋パレードも、ドレスも、旦那様が帰ってくることも、大した問題ではない。だから、表情筋が動くことは無いし、当然心が躍ることもない。


 私がクロノス様を愛していたら、少しは感情も揺れ動いたのだろうか。なんて、自嘲的にぼんやりと考えていると、居間の入り口の扉がコンコンと優しくノックされた。


 グレーの髪をきっちりと撫でつけた男が、恭しく頭を下げる。


「奥様、お客様が来ております」

「あら、夜も遅いのに」


 居間にやってきたのは、執事である。

 もう六十歳を過ぎの彼は、長くカラマニス家に仕えており、家の仕事は全て任せられる頼りになる使用人だ。


 普段は余裕のある笑みを浮かべているのだが、彼の表情にはどこか困惑が浮かんでいる。その顔に首を傾げながら、私は口元を拭って立ち上がった。


「客間にお通しして」

「奥様、それが……」


 執事は、眉をさらに下げて深く溜息をつくのだ。その理由は、私が玄関に赴けば、すぐにわかった。


「……カラマニス夫人」


 こちらを一瞥して、ぽつりと呟いた青年は、玄関の中にも入らず、開いたドアの外でずぶ濡れになって立っていたのだ。

 真っ白な軍服は、汚れているからなのか、はたまた陽が無いからなのか、くすんだ灰色にしか見えない。


「中に入ったらどう? ゼノ」

「いえ、自分はここで……」


 大雨の中に佇んでいたのは、旦那様――クロノス様の部下のゼノだ。少尉である彼は、今回の戦いで現場の指揮官を任されていると聞いている。

 彼は明るく快活で、愛想が無い私にも良く話しかけてくれる好青年である。しかし、その顔は伏せられており、表情は良く見えない。


 彼の後ろには、鞍のついた馬が一頭繋がれていた。舟を使わず、港から陸路を休みなく走り続けてきたなんて、ずいぶんと急いで来たに違いない。

 ただごとではない雰囲気を感じ取ったので、ひとまず、このまま話をしようと私は口を開いた。


「おかえりなさい、ゼノ。現場指揮官の貴方が帰ってきたということは、戦争は終わったのかしら」

「………ええ。終戦の調停が先ほど」


 軍人と言っても、戦争が好きな者ばかりでは無い。


 特にゼノなんて、『戦争が嫌いだ』と常日頃から公言しているくらいである。戦地から帰ってくることが出来て、ほっとしているはずなのに、彼の顔は浮かないままだ。


「どうしたの? 風邪でも引いてしまったのかしら」


 ずぶ濡れのゼノにそう問いかければ、彼はやっと顔を上げた。

 その表情を見た私はハッとした。大雨のせいで分からなかったけれど、ゼノは涙を流していたのだ。


「夫人……!」

「ゼノ、落ち着いて」

「カラマニス、夫人……!」


 ボロボロの軍服で目元を拭うゼノを見ていると、いたたまれなくなり、思わず傘もささずに彼の方に歩み寄った。

 冷たい雨が、私の頭や両肩をしっとりと濡らしていく。


「我が軍は、終戦の調停が終わる直前、敵の奇襲を受けてしまいました」

「…………そう」

「なんとか、クロノス様……参謀長の機転により逃げおおせたのです。ですが、劣勢なのは、変わらず……参謀長は我々を逃がすために、爆弾を身に着けたまま敵地に飛び込んで――――」


 そこまで聞いた私は、彼が何を言わんとしているのか、分かってしまった。

 こんな雨の中、わざわざ港から早馬を飛ばしてゼノが屋敷までやってきた理由なんて一つしかないじゃないか。


 いや、そんなわけない。だって、クロノス様は誰よりも強い。だから、そんなの――――


「……参謀長は、立派な最後でありました」

「っ……」


 時が止まったように感じた。

 唇が震えるのは、雨に打たれ続けたことによる寒さから来るものなのか、あるいは。


「こんなっ……、こんな報告を持ってくる不甲斐ない私を、どうかお許しください……!」


 ざあざあと降りしきる雨の中、ゼノの声が響く。

 愛していなかった旦那様の訃報は、戦争の集結の知らせと共に舞い込んできた。


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