回帰
無になった僕は空虚な時間を費やすだけだった
生きるって
生まれた事ですか?
死ぬ事ですか?
毎日毎日、薬は欠かさずに飲んだ。
一日でも飲まない日があると、決まって「例の症状」が僕を襲った。
ギリギリの崖を歩いているような、感覚だった。
何に望みがあるわけでもなく、何に楽しみがあるわけでもない。
「生」を維持するのが精一杯だった。
それでも、何故だろう?働かずにはいられなかった。
まだ、希望を持っていたのか?義務感からか?
もし、義務感からならまだ人間として、生きようとしていたのかも知れなかった。
当時の僕には、そんな判断もつかなくなっていた。
夢を失った僕にとって、仕事は何でも良かった。
給料が良くて、休みがきちんと取れるならば。
当時は、半導体産業の最盛期であった。
たまたま、お世話になっていた叔母の近くに半導体の製造機を作る会社があった。
その求人を見て、応募した。
まだ若いこともあり、採用に問題はなかった。
仕事は、東京でやっていた事に比べれば、遙かに簡単で必死になって勉強しなければ、
ならないほどではなかった。
それが、さらに僕を人形のようにしていった。
笑うこともなく、泣くこともない。
そんな日々の繰り返しだった。
会社には若い事務の女の子がいたが、僕には全く興味がなくなっていた。
同じくらいの仲間が、あの子がかわいいとか、あの子は性格が悪いとか・・・
休憩時間になると、決まってそんな会話が聞こえてきた。
「なあ、どう思うよ?」
そんな問いかけにも、
「そうですね」
としか返事が出来なくなっていた。
どうせ、恋愛だろうが、仕事だろうが、自己の利益しか考えていないのだから。
『どれだけ、業を増やせば気が済むんだ!?』
心の中で、つぶやいていた。
会社では、与えられた仕事を確実にこなしたからか?開発部への異動命令が下った。
これがきっかけで、自分より年が若干多く、開発に移動したくてもさせてもらえない先輩からの
やっかみが始まることになった。
先輩は日々、上司や組織への悪口を僕に言い、洗脳しようと必死だった。
底の浅さが見えて、滑稽でもあった。
しかし、僕がその動きに乗せられないと分かると、強硬手段を執ったのだった。
いわゆる、『告げ口』というやつだ。
いわれもない事で、上司に呼び出された僕は、結局、
「辞表」を提出させられるはめにまで追い込まれた。
『ほらね』
僕の心がつぶやいた。
これが、人間なんだよ。人間を司るDNAは利己的に出来ているのかも知れない。
僕にはエンジニアとしての経験がある。だから就職には困ることはない。
そういう思いもあった。
思惑通り、すぐに就職先は見つかった。
そこも、同じようなDNAの集まりだと諦めつつも、働いた。
気がつくと、30才を過ぎてしまっていた。
未だ、結婚していない高校時代の同級生から、連絡がかかるようになりはじめたのは、
この頃からだった。
女性は、30才を過ぎると結婚というものに、焦りを感じるらしい。
僕には、全く理解出来ないことであったが、何人かの同級生に『求められた』のは事実だった。
僕は、全てを断り、一人を選んだ。
当然の選択だった。
しかし、そんな時、以前勤めていた会社の女の子から電話があった。
それが、紀子だった。
10才も年下の彼女は、僕にこう言った。
「あなたのことを、慕っています」
慣れない表現にびっくりした。と同時に24才の頃の自分がふっと蘇る感覚に襲われた。
いや、僕は内心、ずっとあの日の前に戻りたかったのかもしれなかったんだ。
それから、もう二度としないと思っていた『恋』をした。
正確には、したと思い込んでいた。
僕は24才に戻るべく、彼女との結婚を決意した。
また、さらなる失意が待ち構えているとも知らずに。