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24×2  作者: 佐伯チカ
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崩壊

24才のある日、迎えた地獄

すべては終わった


何もかも


もう僕には何もないんだ




もともと心から『愛』などというものの存在は信じていなかった。

そう、小学生の頃に親子の愛に関しての討論会があった。参観日にだ。

多くの友達が、ありきたりの親への愛情に感謝を述べる中、

僕は全く逆の意見を言った。

僕には年の離れた兄がいて、僕はその予備部品でしかないのだと。

そして全くの平等な愛など存在しないと。どちらかに比重は傾くものだ。

後ろの母親たちは、大きな声で笑っていた。

僕には、心理を突かれた事へのごまかしの笑いにしか聞こえなかった。


それが、証明される日がやってくる事になるとまでは想像できなかったが。


僕は希望通り、エンジニアとして自分の設計したものを世に出したいという夢の

第一歩を踏み出した。

入社1年目などでは、大学の復習のような仕事や、雑用ばかりだった。

それでも、先輩は合間を見ては、設計の手順やこつなどを丹念に教えてくれた。


充実していた。


千鶴とは、手紙でのやりとりが主で、電話はなかなかかける事が出来なかった。

毎日残業が続き、帰りは終電か、その一本前の日々が続いた。

それでも、僕は信じていた。千鶴が待っていてくれる事を。


入社2年目にして初めて、新規設計の課題を与えられた。

同僚の中では一番だった。

無我夢中で図面に向かっていた。

先輩にアドバイスをもらいながら、懸命に仕事をした。

生きている証が欲しかったのかもしれない。

僕という1人の人間が、確かに、そこに、存在していたという。


半年が過ぎ、ようやく試作品が完成した。

当時、会社の量産工場は本庄市にあり、量産のための段取りに幾度となく通った。

そうして、念願かなった僕の『証』が家電店に並んだ。

営業部の課長が、お祝いだといって自腹を切って自社製品をわざわざ買ってきて、

僕にプレゼントしてくれた。

僕は、心から生きていることの素晴らしさに酔った。

すぐ先に、断崖があることも知らずに。


それからは、幾つもの担当を任されるようになり、さらなる多忙を極めていた。


そんな、ある日に、終わりがやってきた。


24才の10月24日の夜の出来事だ。


相変わらず、終電近くの電車でアパートに着くと、ポストに千鶴からの手紙が

入っていた。

嬉しくて、嬉しくて、部屋へ入るなり、玄関先で封を切り読み始めた。



「ごめんなさい。好きな人が出来てしまいました。今まで本当にありがとう」



目の前が真っ暗になった。いや、比喩ではない。

現実に、前が見えなくなり、鼓動が急に激しく、息が思うように出来ない。

そのうち、頭の後ろのほうから、真っ暗な闇へ引きずり込まれるような恐怖。

ただ事ではないと認識した僕は119番通報するのが精一杯だった。



目が覚めても、誰もいなかった。

夜勤当直の先生が一人。

「ああ、気がつきましたか?」

僕は・・・

「一応、簡単な検査はしましたが、特に異常はないようですから、お引き取り下さい」


でも、僕は頭の中が痺れている感覚のままで、意識もはっきりとしていない事の自覚はあった。

朦朧としながら、ベッドから降りると、タクシーを呼んでもらいアパートまで帰った。

アパートに着いても、その症状は変わらず、眠ると死んでしまうのではないか?という

恐怖から、眠る事さえ出来なくなっていた。


明くる日、会社は体調不良ということで休んだ。

だが、事態は予想以上に深刻だった。

昨日の『頭の後ろのほうから、真っ暗な闇へ引きずり込まれる感覚』は何度となく起きた。

手足は震え、まっすぐ歩くことさえ出来なくなっていた。

病名もない状態で、会社に報告すら出来ず、結果的には辞職するしか無くなってしまった。



一人の恐怖から、実家に帰ることを決意し、母に連絡した。

母は、全く心配もせず、僕の病気は言い訳で単に東京から逃げてきたのだと思ったらしい。

仕事も持っていた母は、僕が実家に帰る事を拒み、こう言った。

「静岡におばさんが一人でいるから、そこに行って面倒を見てもらいなさい」


兄が東京から会社に馴染めず、実家に帰ってきたのを喜んで迎え、父の会社の関連会社に

就職出来るよう、世話をしたことは知っていた。

弟の僕の場合は、そうはいかなかったようだ。

小学生の時の思いがよみがえった時だった。


信じてもらえない。こんなに苦しいのに。

誰にも理解してもらえない。こんなに心細いのに。



・・・・・・・・・・・・・・・


それから5年後。

名古屋に良い先生がいるとのことで、紹介を受け、診察に行った。

5年間!5年間苦しんだ!5年間かけてようやく病名が分かった。


『パニック障害』


先生の説明によると、脳の分泌物の一種が極端に減ることからくる

のが原因であるらしい。

事実、処方してもらった薬を飲み始めて2週間ほどで、今までの

症状が嘘のように消えた。


ただし、完治する例はまれで、一生薬は飲み続けなけれなならないらしい。



『親子の愛』?『彼女の愛』?・・・・・



僕は諦めにも似た怒りを覚えていた。

第一級障害者に認定され、それでも、見た目には何も普通の人と変わらない。

人は他人の過去など、お構いなしだ。

言いたいことを言っては、自分の負荷を軽くしようとする。

生まれてきたときに既に背負ってきた業を増やすがごとく・・・


それからの僕は『愛』などというものには興味が無くなった。

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