修復
唯一の夢のような時間
ほんの一時の夢だったのか
ほんの一時の現実だったのか
今となってはどうでもいい
理工系に進学した僕は、毎日レポートに追われていた。
遊ぶ時間など、ほとんど無かった。
それでも、自分が好きな授業を受けられることに充実感を覚えていた。
物理学は人間の感情とは無縁だ。
必ず、正解が存在する。
だからこそ、『正解』を求めてレポートを書き続けた。
そう思い込んでいただけなのかもしれないが。
「おい!たまにはセッションでもしないか?」
1学年で知り合った音楽仲間の簑島だ。
僕も彼も、当時のパンクムーブメントに傾倒していた。
僕はベースを、彼はギターをやっていた。
「ああ、いいな」
僕らの共通点は、単にパンクムーブメントに興味があるのではなく、日本社会のあり方に疑問を
持っていた事だ。
彼は学生寮に住んでいたため、夜中でも騒音で苦情がくることはなかった。
「やっぱり、セックス・ピストルズのような単純メッセージには無理があるな」
「誰も深く考えちゃいないよ」
「モラトリアムって事か」
ベースのうねるような音と掻きむしるようなギターの狭間に、そんな論争を繰り広げていた。
学生生協とは、本来学生自身が運営する組織であるはずなのだ。
専門の職員を雇い、運営を任せている。
僕らは、生協活動を通して学生の自立と社会組織に関する理論を学ぼうとしていた。
諦めていた感情が、ここぞとばかりに吹き出してくるのが自分でも分かった。
本当の『正解』は己の中に存在する。
そう信じたくなかった。
ごまかそうと、物理学に没頭していたのだ。
僕らはあらゆる行動を起こし、あらゆる活動に意欲的に参加した。
演劇会の異色、黒色テントが主催する赤いテントに参加したり。
原発に反対する抗議デモに参加したり。
僕の心は満たされていた。いや、そう思い込めた。
生まれて初めて、『生きている』実感に浸れていた。
でも、まだ足りない事に気づいていなかったんだ。
一番大切なものが欠落していることに。
3学年の4月
高校時代の部活の後輩から、電話があった。
『千鶴』も東京の短大に合格し上京したとのことだった。
高校を卒業して以来、いくつかの恋人らしき人たちはいた。
でも、セックスは一切しなかったし、そんな興味も無くなっていた。
生きている実感を探すことで、精一杯だった。
電話の向こうで後輩がしゃべり続けていた。
「でね、千鶴が明日、ハチ公前で待っているからって伝えてって・・・」
正直、怖かった。
未だに高校時代を知る人間との接触が。
それに、千鶴は本当に良い子だった。僕みたいな男には・・・
負い目を感じていた。
次の日
僕は意を決して、ハチ公前に向かった。
駅前交番のあたりからも、すぐに彼女は見つけられた。
「久しぶり・・・」
精一杯の言葉だった。
「うん」
彼女は囁くような声でそう言うと頷いた。
僕らは、公園通りをゆっくりと歩きながら話した。
しゃべり出したのは彼女の方だった。
「私ね、考えてたの。ずーっとずーっと先輩の事」
「でね、先輩を信じたいって思ったの」
僕は無言で聞いていた。
彼女は続けた。
「理恵さんは、先輩がこっちにきてから、地元でずーっと先輩の悪口をいいふらしてたよ」
「確かに先輩と理恵さんはうまくいかなかったんだなって」
「でもね、私と理恵さんは違うの」
「だから、もう一度先輩と向かい合ってみたいの」
ルノアールの角で、僕は泣いていた。
次から次へとわき出る涙を止める事ができなかった。
立っているのも辛くなり、両手を道路について、泣き続けた。
『欠落している何か』
ようやく分かった気がした。
相変わらず、生協活動は行い、簑島との音楽活動も行い、物理学にも必死だった。
変わったのは、週末に必ず千鶴とデートすることが加わったことだ。
デートを重ねるたびに、僕は千鶴に惹かれていった。
お互いのアパートを行き来し、時には遠くまで旅行に行ったりもした。
でも、僕は手を繋ぐ以上のことはできなかった。
したくなかったのかも知れない。
全てが壊れてしまいそうで・・・
そう、それは僕の21回目の誕生日の日の事だった。
千鶴は僕のアパートにバースデーケーキを持って来てくれた。
2人だけの誕生会。
僕には十分すぎるほどの誕生日だった。
「お誕生日、おめでとう」
千鶴はそう言うと、大きな袋を僕に差し出した。
「え?」
無粋な言葉だったかな?
すぐに千鶴は言った。
「早く、開けてみて!」
手編みのマフラーだ!しかもかなり長い!
「こうやって~、こうして・・・」
千鶴は2人の首にマフラーを巻き付けた。
顔が近づく。
僕たちは、お互いの顔を寄せ合い、初めてのキスをした。
目を開けるとはにかんだ千鶴の顔があった。
僕は、沈黙に耐えきれず言った。
「ありがとう。めちゃくちゃ嬉しいよ」
それから体の関係を持つまでには、時間はかからなかった。
僕の恐れとは裏腹に、2人の関係は安定していた。
互いを必要としていることが、互いに伝わっていたからだ。
幸せな時間は2年続いた。
互いに、卒業と就職という現実に直面するまで。
僕は自分のエンジニアとしての夢をかなえるため東京に残る事を決め、
彼女は田舎に戻る事を決めた。
今思えば、この決断が僕の人生最大の過ちだったんだ。
いや、2年間の幸せが、思い違いの夢であったのかも知れない。
この時から、僕は変わってしまった。
なにもかもが。