後編∶部活荒らしの犯人
さて、残る謎解き出題者はオカルト部、手芸部、天文部なわけだが、ひとまず休憩時間を挟むことにした。
部長達は会議室で作業をしたり、部活の様子を見に行ったりと自由に過ごしている。
そして俺ら生徒会はといえば、一度生徒会室に戻って作戦会議を開いていた。
部屋にいるのは俺、秋良、冬樹、由乃、歩美の5人で――
「時哉どこいった?」
「とっきーはおやつのお・つ・か・い♪」
冬樹が手近にあった分厚い書類のファイルを掲げた。
由乃は満面の笑みで「やっておしまい」と言うように見守り、歩美は慣れた光景をよそにペットボトルのお茶で一息ついた。
「待った待った! 冬っちそれはやばいって!!」
「黙れ秋空」
最近はわりと真面目に働いてたから、秋空って久しぶりに聞いたな。
秋の空は天候が変わりやすいことから、飽き性である秋良を示した冬樹独自の暴言だ。
普段は生徒会の昼行灯として有名だけど、やる気さえ出れば頭の回転が早く仕事も早い。むしろ知っているからこそ、冬樹はふざけているのが許せないんだろうけど。
「とりあえず時哉と秋良のことは置いといて」
「いやいや、置いとかないでっ!?」
「部活荒らしについて今わかっている点をまとめていこう。由乃、メモを頼む」
「お任せください」
黒のマーカーを手に、由乃がホワイトボードの前に立つ。
各部ごとに被害の内容を書いていく。
『被害状況
生物部……なし
天文部……天体望遠鏡が壊された。
美術部……画材が散らばり、イーゼルが倒される。カーテンが開けられる。
演劇部……衣装と小道具が壊された。
手芸部……衣装用のレースや布が切り裂かれた。
調理部……魚や葉物を中心に食材がなくなる。
オカルト部……なし』
演劇部から被害状況を聞き出せなかったのは痛いな。衣装や小道具がどう壊されていたかは確認したかった。
……そういえば、生物部やオカルト部は部費の用途を申告しただけで、何も被害がないのか。
「各自気になったことを言ってくれ」
「あれ? 天体望遠鏡が壊れたのって、部活荒らしのせいだっけ?」
「いえ、そこは明言化されていませんね」
「生物部とオカルト部が何も被害に合わなかったのも腑に落ちない」
「んじゃ、供述とは別の線から考えてみっか」
そう言って秋良はテーブルに学校の間取り図を広げた。
部活動は教室がある校舎とは別の、部活棟に部室がまとめられている。建物は三階建てで、一階は運動部の更衣室があり、二階が文化部の部室だ。三階は運動部の倉庫と化している。
部室の並びは階段側からオカルト部、天文部、調理部、手芸部、生物部、美術部だ。ちなみに演劇部は活動が主に体育館であるため、部室は体育館近くのプレハブを使用している。
「普通ならばオカルト部が一番狙われそうに見えますね」
「そっか、手前だもんね」
「それに生物部も被害に遭った部室の間に位置していますね」
「逆に演劇部が被害に遭ったのは妙だ」
同じ棟の生物部やオカルト部は狙われず、別の建物の演劇部が狙われたのは確かに変だ。
他にも手がかりとなる会話などがなかったか想起するが、心当たりは思いつかない。
……いや、あるにはあるんだろう。秋良が生暖かい目を俺らに向け、完全に傍観に徹している。時哉のおつかいとやらも裏取りの可能性がある。
ふと壁掛けの時計を見上げた。そろそろ休憩時間が終わる。
秘密裏に進められることに慣れてしまい、呆れることすら煩わしい。けれども一応のポーズとして、大きくため息を一つ。
「どれくらい時間を稼げばいいんだ?」
「小一時間。あとはとっきー次第かな」
「わかった」
秋良が時哉を使って暗躍していることは、他の三人にも伝わったはずだ。
振り返ることなく生徒会室を出ると、背中越しに部屋を施錠する音が聞こえた。
会議室へと戻ると、すでに部長は全員揃っていた。
雑談の声に紛れて「くしゅん」と誰かがくしゃみしている。
「それじゃあ再開しよう」
箱から取り出した問題用紙はオカルト部のものだった。
時哉が戻ってくるまで時間を稼ぐ必要はあるが、下手を打てば犯人に逃げられるかもしれない。
……まあ、賭け事なら秋良がいれば負けはしないだろう。あいつには先見の明がある。
「オカルト部の謎解きは秋良と冬樹で頼む」
『 オカルト部
◯◯ _ _ → □
◯◯ _ _ → □□
◯ _ _ → □□□
◯◯ _ _ → □□□□
答え→????
‾ ‾ 』
黒板に問題用紙を貼り付け、わざとらしく秋良が首を捻る。
悩んでるふりをするのはいいけど、「うーん」としきりに唸ってるのが胡散臭い。しかもうるさい。
あ。耐えられなくなって冬樹の手が出た。
歩美に服の裾を引っ張られ、視線を二人から部長達へと移す。
「御影、部活について教えてくれ」
「ふぁっ!? は、はい!」
目を泳がせ、しどろもどろと挙動不審な仕草を見せる御影。
同学年でグループワークも一緒にしたことがあるんだから、もう少し落ち着いて欲しい。
目の隈や骨ばった顔、長い前髪のせいで、生きているのに幽霊のような印象を受ける。幽霊というか、グ……いや、やめておこう。
「え、えええと、部員は5人で活動日は木曜日と金曜日です、けど」
普段の卑屈さに加えて最低人数である負い目のせいか、言葉尻が若干上擦っていた。
心配しなくても、部員数という母数に対して実活動人数がどれくらいかのほうが大事なんだけどな。
オカルト部は屋外活動も多いから、全員で出歩いてるのをよく見かけるし。
「そういえばオカルト部は何も被害に遭っていないのか?」
「ぼ、僕らみたいな日陰者には部室なんてもったいない、ので……雨天時以外は施錠したまま立ち寄らないようにしていて……」
「いっつも部室の電気ついてなかったけど、そういうことだったんだ。いかにもインドアぽい部活にしてはおかしいと思ったんだよねぇー」
「そうか? 毎日通り過ぎているが知らなかった」
ケラケラ笑う呉野と無関心を貫く彩木。二人の温度差に御影はさらに怯えた様子を見せる。
「それじゃあ夕刻の校舎っていうのは教室があるこの校舎で合ってるんだな?」
「へっ? ……ああ、違います違います! 確かに僕らはあちこちで活動してるけど、部活終わりに使った道具や機材、記録したノートを部室に仕舞っているんで、その時に!」
ん? なんだかテンションが上がってきて興奮気味に見える。
「空が黄昏色に染まりゆく中で、我々オカルト部は亡者が這いずるような音と、硬いものが切裂かれるような音を耳にしたのです!!」
堂々と胸を張り声高らかに叫ぶ姿は、普段とはあまりにもかけ離れていた。
役者にピッタリじゃないかと思ったのは俺だけではなかったようで、脇役要員として皇に目を付けられていたようだった。
ロミオとジュリエットを演る時に協力してもらったが、あのスパルタ具合に御影が耐えられるとは思わない。というか脱線し過ぎたな。
「ええと、それは部活荒らしと関係ありそうということでいいのか?」
「いやいや、人とは限らんのですよ五十嵐氏!!」
「わかったから落ち着いてくれ。そしてキャラを統一してくれ」
「…………」
突然フリーズしたかと思えば「すみません、すみませんっ」と連呼して会議室の隅っこに縮こまってしまった。
うーん……これ以上話を聞き出すのは難しそうだ。秋良も同じ判断に至ったようで「わかったぜ」と声を上げた。
「おーい花ちゃん。これの答えって『かいだん』で合ってる?」
「左は下から何段目かで、右は四角を使用して階段を表している。線が引かれている部分は『だん』が共通しているからだな」
「は、はい。正解です」
あっさりとした様子で答えと解説を告げる秋良と冬樹。御影は呆気にとられていた。
さて、次の問題は――手芸部か。
「歩美、由乃」
「はい!」
「頑張りましょうね、歩美ちゃんっ!」
由乃に手を握られ、自然と握り返す歩美。
二人の微笑ましい笑顔が、問題を見た一瞬で凍りついた。
『 手芸部
い き ほ ふ ぬ
― · ― · ― · ― · ― · ― · ―
と り ん ぇ い
−−−−−−−−−−−−−−−−−
き か ぬ る ば
り え い と り
25
答え→ ___
34 』
縦で読むと手芸に関連ある言葉だけど、線と数字の意味がよくわかんないんだよな。
紙をぐるぐる回したり、透かしてみたい、とりあえず色々と試してみるみたいだ。
「さて、蒼灯と皇の話を聞かせてくれ。まずは部員数と活動日だな」
「手芸部は6人。月水金が活動日だ」
「演劇部の部員は15人程度。普段の活動日は手芸部と同じく月曜、水曜、金曜だけれど、公演前は毎日になる。今は新入生のお披露目公演の準備期間だよ」
「んで、皇――つーか、演劇部には衣装やら小道具を受注されたわけだ」
なるほど。演劇部は演者と裏方に分かれていても指導や基礎作りが必要なのは変わらない。
少しでも練習時間を捻出するなら、衣装や小道具を他の部に依頼するのも理にかなってる。
「もしかして被害に遭ったのは演劇部の部室じゃないってことか?」
「ああ。手芸部に保管してもらっていた衣装が切り裂かれ、小道具は踏まれた、または落とすことで壊されたのだよ」
「クッソ! オレらの作ったもんをボロボロにしやがって……思い出すと腸が煮えくり返るぜ」
額を手で抑えつつやれやれと困り果てる皇に対して、蒼灯はこめかみに青筋を立てて拳を強く握っている。
犯人が判明したら今にも殴りかからんばかりの勢いだ。この空気はまずいな。
こそっと近寄ってきた結莉が、手を筒にして耳元に口を寄せてきた。
「布瀬の肩に手でも置いてみ。多分それで蒼灯の怒気は収まる」
「お? どうした紫音」
助言通りに秋良の肩に腕を回す。すると、それを見た蒼灯がわなわなと震えだした。
これ、逆効果じゃないか? と思ったのは杞憂だったようで、欲しかったおもちゃを前にした子供のように、身体の前で指を組みながらキラキラと目を輝かせた。
結莉が何かをぽそりと呟けば、「よくやった!」と言わんばかりに彼女の背中をバシバシと叩く。よくわからないけど殺伐とした空気がなくなって助かった。
「会長! わかりましたよっ!」
「お手柄な歩美ちゃんを褒めてあげてくださいね」
振り返ると歩美の手の中には何故か折り曲げられた問題用紙があった。
そんなことしていいんだろうかと不安に思っていると、蒼灯は愉快そうに笑っていた。
「お。その線の意味、よくわかったじゃねぇか」
「線?」
「折り紙の方がよく見るけど、お裁縫でも縫い合わせの都合で山折りと谷折りするもんね」
「ええ。点と線の連続が山折り、点線のみが谷折りの記号です」
線に沿って歩美が折ると見える文字が減った。
『 手芸部
ま き ほ ふ ぬ
_____________
り え い と り
25
答え→ ___
34 』
「答えは横書きだから、左から右、上から下の順番に読むよね。だから上の段の左から2番目と5番目、下の段の3番目と4番目を繋げたのが答え!」
「つまり『きぬいと』となります」
難度の高い謎解きとそれを柔軟な発想で解いた歩美と由乃に盛大な拍手が贈られる。
出題者である蒼灯は恥ずかしげにそっぽを向き、歩美と由乃は手を合わせながらその場でぴょんぴょんと跳ねた。
さて、最後の問題は天文部だ。箱を逆さにして振ると、一枚だけ残されていた問題用紙が落ちてきた。
「秋良と由乃で頼むな」
「「えぇ……」」
互いに嫌そうな声を出しつつ、怪訝な顔を見合わせる。
けれど二人の態度はつゆ知らず、歩美は無邪気に期待の眼差しを送っていた。
期待を無下にできず、二人とも腹をくくったみたいだ。
そういえば天文部の星河は会話に入ってきていないけど、一体どこに?
キョロキョロと会議室を見渡すも姿はなく――いや、いた。
「昴ちゃん、なんでこんなとこで寝てんのー?」
「おやおや」
「器用ってレベルじゃねぇな」
端に寄せた長机の中に仕舞っていた4脚ほどの椅子の上で横になっていた。
椅子と机に挟まれているため、立っていると視界に入らない。完全に盲点だった。
それはそれとして窮屈じゃないんだろうか。
「すっぽり隠れて猫みてーだな」
――そうか。そういうことか。
犯人はわかったが、まだ証拠が押えられていない。
事件からは一旦意識を離すように、秋良と由乃へ目で合図した。
『 天文部
1946 → ◯◯◯◯◯ → 7
1142 → ◯◯◯◯ → 3
2344 → ??? → 9 』
「数字ですね……」
「数字、だな……4桁と1桁の……」
心当たりがあるのかないのか。とにかく口数が少なくて静かだった。注意を引くのは難しそうだ。
とりあえず星河を起こすか。
「おい星河、天文部の番だぞ」
「昴ちゃん起きて〜!」
歩美と二人がかりで声をかけると、もぞりと身じろぎしながら星河が目を覚ました。
ごろんと椅子から転がり落ちるようにした後、床を這って長机の下から出てくる。
そうとう眠たいのだろう。大きくあくびをしつつ目をこすっていた。
「ふわぁ〜っ……なぁに? すばるの番?」
「そうだよ、昴ちゃんの天文部の謎解き」
「う〜んとねぇ〜……すばるはちゃんと問題つくったの。あとよろしく〜」
のんびりマイペースで掴みどころがない。なんだか雲を相手にしている気分になってくる。
フラフラとした足取りで寝床を探す星河のことを、皇が優しく抱き抱えた。
ゆっくりと床に下ろして横たわらせ、自身が地面に付いた膝の上に星河の頭を乗せる。一連の動きは眠り姫に寄り添う王子様のようだが、膝枕しつつ背中をトントンと叩く姿は母親のようだ。
皇と星河は一学年しか差がないはずだけど。
「えーと……秋良、由乃、解けたか?」
「ちょい調べ物してっから話しかけないでくれ」
「もう少しで解けるかと思いますので」
いや、まあ時間稼ぎは必要だからいいんだけどさ。
軽くあしらわれるとちょっと悲しい。
秋良と由乃はスマホの画面を覗き込みながら、何度か数を数えていた。
張り詰めたような沈黙の中、各々が何をしているか様子を見回す。
皇は相変わらず星河を寝かしつけていた。でも足がしびれたのか少し顔が引きつってる気がする。
呉野は退屈そうに自撮りをしていた。ピースした手を、手のひらの部分を上にして前に出している。最近 SNS で流行ってるポーズだったはず。
御影は部屋の隅で体育座りのまま動かない。メガネが反射して目が見えない上に、ブツブツと呟いているのが不気味だ。
彩木は双子に挟まれながら、またスケッチブックに何かを書いていた。彩木の走らせるペンに合わせ、双子の表情がころころと変わっていくのが面白い。しかも片方が喜ぶと片方は悲しげという、正反対の表情を浮かべている。
「よし、終わったぞ紫音」
「お疲れ様」
答え合わせといきたいところだが、肝心の星河は眠ってしまっていた。何度か皇が揺すり起こしてみるも反応がない。
足が限界に達したのか、諦めた様子で星河を床に転がす。さすがに身体を打ったのか目が覚めたようだ。
「むぅ……」
「ふてくされてるとこ悪いけど終わりだぜ。答えは『いてざ』」
「最初の4桁の数字は誕生日を足したもの、次の◯は平仮名で星座の名前、そして1桁の数字は十二星座のうち何番目かで間違いありませんね」
『 天文部
9/23 + 10/23 = 1946 → てんびんざ → 7
5/21 + 6/21 = 1142 → ふたござ → 3
11/23 + 12/21 = 2344 → いてざ → 9 』
由乃が書き込んだ問題用紙を見た星河は、上半身を起こしてから薄っすらと笑みを浮かべた。舐めるような視線が挑発的な印象だ。
そしてこの問題から、必然的にあのメッセージの真相と部活荒らしの犯人が導き出された。
俺らの推理が誤っていなければ、羊の皮を被った狼のように、扇動的な態度をひた隠しているんだろう。
「例のメッセージを寄越したの、お前なんだろ?」
メッセージとやらに心当たりがないため、部長達は首を傾げる。ただし――送り主である星河を除いて。
秋良のスマホに通知が届き、俺に画面を見せてくれる。どうやら間に合ったみたいだ。
星河はごちそうを前にした時のように唇をペロッと舐めた。
「せ〜っかくおぜん立てしたんだから、楽しませてねぇ〜」
「期待に添えるように頑張るさ」
両手を打ち鳴らし、全員の注目を集める。
「さて――呉野乙女、部活荒らしの犯人は生物部だろ?」
核心を突いた質問に動揺を見せたのは、意外にも呉野本人と御影だけだった。
星河が素知らぬ顔をしているのはわかるけど、これは一体――
「おおかた予算会議の後に事態が収まれば、真犯人をあぶり出されないと思ったんだろ」
秋良の合図で冬樹が会議室のドアを開くと、犯人を抱き抱えた時哉の姿があった。犯人は暴れて手から逃れようとするが、両手でガッチリとホールドされている。
ちょうど換毛期なのか手足を動かす度に毛が舞う。
「あっちゃー、にぼしちゃん見つかっちゃったか」
ふわふわとした綿毛のような灰色の毛が特徴の、片手でも抱えられるほど小さな子猫だった。手編みのミサンガに鈴を付けた首輪をしている。
唯一状況を飲み込めていない御影が猫を見てあんぐりと口を開けていた。
まあ、完全にオカルトだと思ってたみたいだもんな。
「えっ、ななななんで猫が!? そもそも人為的な被害じゃなかったのかっ!?」
「花ちゃん焦んなって。一つ一つ紐解いていこうぜ」
「まずはこれだな」
ポケットに入れていた例のメッセージを、全員が見やすいように問題用紙と同じく黒板に貼り付ける。
『12番目の文化部は部費を不正に使用している。部活荒らしの真相は、その不正利用に関わっている』
「この12番目っていうのは天文部の問題に関わってる。これについては解いた本人が説明してくれたほうがいいな」
「では私が説明しますね。一般的に十二星座の順番は――」
適当な問題用紙の裏面に由乃が星座の名前を記す。
するとそれを見た彩木が、文字の下にそれぞれのデフォルメイラストを描いた。
円環になっているため、ゆっくりと時計回りに指差していく。
「おひつじ座、おうし座、ふたご座、かに座、しし座、おとめ座、てんびん座、さそり座、いて座、やぎ座、みずがめ座、うお座です。なので 12番目は」
「うお座?」
「はい。生物部は現在、魚しか飼っていません。奇しくも問題にも魚が関わっていましたしね」
「呉野は軽度のアレルギー体質。だから猫がいる生物部の部室に寄った後は、マスクを着けていてもくしゃみが出たり、目が充血して赤くなってたんだろ?」
「そーそー、昼休みの会議前に様子見に行った時は棚の上を走り回ってたから、毛が目に入っちゃったんだろーねぇ」
あははと他人事のように笑っているが、アレルギーは命に関わることもある。侮ってはいけない。
とはいえ、子猫の仕業だったとしてもまだ謎が残っている。
「猫のごはんとかトイレは部費でどうにかなったけど、ケージとかは買えなくて、隙を見て子猫が逃げ出しちゃったのかな?」
「歩美ちゃんの言う通り。にぼしちゃんったらすぐ脱走しちゃうんだよね」
「物の散乱や破壊は脱走した子猫が走り回った影響で、切り裂かれたのは爪とぎのせい。調理部の食材は猫が食べていたというところか」
「子猫がしたことを実際に見ていたから、何をされたのか知っていたんですね」
「多分な。んで、花ちゃんが言ってた這いずる声とやらの正体は、猫の声や手芸部の部室から持ち出された布が引きずられる音だったと推理できるぜ」
異論も反論もないということは、やはり御影以外は子猫の存在を知っていたみたいだ。つまり共犯だな。
これだけ明らかになれば黙秘を貫くことはできないだろう。
あの猫の絵は美術部の窓から見える木の上で寝ている姿だっただろうし。
「どうして黙ってたんだ?」
「捨てられたみたいだったし、保健所に連れて行かれたらかわいそうじゃんか」
行き場のない子猫のために、他の部の浮いた予算でご飯や寝床なんかを賄おうとしていたのか。
そういう事情なら生徒会として色々と便宜を図るってのに。
チラリと冬樹を盗み見ると、親指と人差し指をくっつけて丸を作っていた。『OK』の合図だ。
言わずとも冬樹の采配に任せる旨は伝わっていた。
「里親探しに生徒会も協力しよう」
「え?」
「近隣にチラシを配ったり、校内放送で全校生徒に呼び掛ける。一時的に子猫を保護する費用についても生徒会の予算で賄う」
「保健所に送られたりは……」
「しない。もし里親が見つからなかった場合も、学校で飼えるように働きかける」
呉野がホッと胸を撫で下ろし、それは他の部長も同様だった。
あれから数週間が経ち、無事に子猫の里親が決まったことを伝えるため、俺は生物部へ向かっていた。
そういえば、部活間で妙に仲が良かったのは子猫の秘密を守るために結束してただけなんだろうか。学年もクラスもバラバラだったはずなのに。
「待ちたまえ御影くん! ぜひとも演劇部に力を貸しておくれ!」
「かっ、かんべんしてくれよ! 僕みたいなやつが舞台に立つなんておこがましい!!」
部室棟の階段を上がると、オカルト部のドアを挟み、皇と御影が問答を繰り返していた。御影と目が合う。
「五十嵐くん助けてくれ!」
「ごめんな、生物部に用があるんだ」
出演は拒んでいるみたいだけど、交友関係が広がったことはなんだかんだ嬉しそうだ。たまに教室へ遊びに来る皇が帰った後、少し名残惜しそうにしている姿を見ることがある。
だからまあ、放っておいても大丈夫だろう。
「絵の中からただならぬ空気感が伝わってくるな!」
「次はこれを描いてくれねーか?」
なんだか美術部が騒がしい。廊下からこっそりと部室を覗くと、双子が来ているようだった。
彩木は眉間にシワを寄せながら、迷惑そうに筆を動かしている。
美術部の活動がないのに部室に来ていたのは、二人のために絵を描いてたからなんだな。
生物部に入ると、呉野が魚に餌をあげているところだった。何故か星河が子猫のケージの前で丸まって寝ている。
「アレルギーは大丈夫なのか?」
「空気清浄機回してるし、直接触ったりしなきゃヘーキ。ありがとね、生物部で面倒をみたいなんてワガママ叶えてくれて」
「教師を説得するのは骨が折れたけどな」
餌が入った容器に蓋をし、水槽の隣りにある棚に置く。
呉野は床にしゃがむと、つんつんと星河の頬をつついた。
「子猫は昴ちゃんと路地裏でダンボールに入れられてるのを見つけたんだ」
「だから生物部にいるのか」
「そう。その後に子猫のことを相談したくて美術部に行ったら、修也ちゃん以外の人も集まって、思ってたより大事になっちゃった」
偶然にも美術部に双子が来てた日で、さらに蒼灯に衣装や小道具について用があった皇が来たってところだろうな。
「無事に里親が見つかってよかったな」
「うん。昴ちゃんが遠回しとはいえ、生徒会に伝えてくれたおかげ」
呉野の表情が花弁のように柔らかくほころびる。唇が『ありがとう』と紡いでいた。
ふわふわの毛を抱き締める星河の寝顔は誇らしげで、達成感と幸福感に満ち溢れていた。