前編∶チュートリアル
桜舞う時期を終え、なおも暖かな陽射しに包まれる季節。
学生達が入学やクラス替えなどにより、新たな学校生活に馴染み始めたとある日のことだった。
「さて――最後に何か言う事はありますか?」
午前の授業を終えた俺――五十嵐紫音が会議室に入ると、何故だか尋問が始まっていた。
コの字型に組まれた机の真ん中にある空間で正座させられていたのは、三年生の布瀬秋良だった。俺の右腕として生徒会の副会長を務めている。
そんな秋良の前で仁王立ちしつつ笑顔を浮かべるのは、二年生で書記の夏目由乃だった。笑顔とはいえ目元は笑っていない。
「あっ、会長!」
ひどく困惑した様子で助けを求めてきたのは、二年生で庶務の春日歩美だった。同級生の由乃とは大の仲良しで――いや、若干由乃からの愛情は重たいけど親友同士だ。
この様子だと歩美が由乃を止められずに困っているとこということだろう。
歩美の言葉を聞かないのはよっぽどのこと。つまり十中八九で歩美に関する何かが原因でこうなっている。
当の本人は混乱してるし、第三者に話を聞きたいな。ということで蚊帳の外にあった二人へと目を向けた。
一人は三年生の宮永冬樹。会計の席でパソコンと書類を交互に見やっている。この後に始まる、部費の予算会議に使う資料を確認しているんだろう。
もう一人は二年生で会計監査の白詰時哉。冬樹の助手としてスライドショーの流れを確認していた。
会議が迫っているから本当は話しかけない方がいいんだろうけど、収拾がつかないのは困る。秋良に八つ当たりで引っ掻き回されるのはもっと困る。
「どうしてこうなったんだ?」
「痴話喧嘩。聞く価値もない」
「ええっと、布瀬先輩は春日の両親が管理するアパートに住んでいるので、たまに晩御飯が……」
冬樹が呆れた様子で秋良をバッサリ切り捨てるので、時哉が慌ててフォローしてくれた。まだ話の途中だが、そこまで聞けば察しがつく。
二人の関係を考えれば、晩御飯に招かれることはまだギリギリ許容できたはずだ。けれどそこで振る舞われたのがもし歩美の手料理だったなら――
「歩美、もしかして弁当作ってきたんじゃないか?」
「はいっ! 昨日の夕飯の残りだけど、由乃ちゃんにも食べてほしくて作ってきちゃった」
小花柄の風呂敷に包まれた弁当箱を差し出す歩美の姿に、由乃の溜飲が下がったみたいだ。
表情が緩み、ご機嫌な様子で鼻歌を歌い始めたと思えば、弁当箱を抱えながらくるくると回った。
緊張が解けた秋良がホッとした様子で息を吐く。
「歩美ちゃん、歩美ちゃん! 一緒にお昼食べましょうね!!」
「……いつも二人は一緒に食べてるじゃんか」
「とっきー、しぃっ!」
由乃に睨まれても動じない時哉に対し、慌てて口を塞ぐ秋良。
素直なのも問題だよなとしみじみ思う。歩美くらいになると天真爛漫でかわいいけど。
邪念を察したのか由乃からの視線が刺さるが、気持ちを解きほぐすようにやんわりと笑みを返した。
「さて、そろそろ部長達が集まる頃だ」
「準備完了。問題ない」
機械のように淡々と答える冬樹は、すでに長机の上に確認済み資料を並べ終えていた。その資料の前に、各部の部長が座ることになる。
ちなみに、今日は文化部の予算会議が開かれる。運動部は大会や合宿などの準備で忙しいため、時間短縮のために別日を設けることにしていた。
「歩美ちゃんとのランチタイムを少しでも長くするために、早く終わらせましょう!」
「揉めないといいなぁ」
「だいじょーぶだって、冬っちなら上手く纏めてくれるさ」
秋良が無遠慮に歩美の髪をわしゃわしゃと混ぜ、由乃がその手を払って抗議する。生徒の前に立つ時や先生方に意見を届け出る時、こうして秋良が場を和ませてくれるから、変に緊張せずにいられる。
転校せずに残ってくれて本当に良かった。
「わかっています。宮永先輩はどこかの誰かさんと違って真面目な方なので」
由乃の毒を吐く頻度は増えたけど……。
そんな他愛のないやり取りをしてる間に、予算会議に参加する部長達が勢揃いした。
「それでは今年度の予算会議を始めたいと思います。皆さんお手元の資料をご確認ください。予算は前年度の各部の活動や実績を基に割り振っています」
普段は口数の少ない冬樹が資料について丁寧に説明をしていく。
その合間に時哉がスライドを切り替えつつ、グラフで視覚化された数字と共に補足していく。
「……ここまでで意見やご質問等ある方はいますか?」
一通り説明を終えた冬樹が事務的に尋ねると、すぐに部長全員の手が挙がった。心なしか場の空気が殺気立っている。
冬樹の指名で口を開いたのは生物部の部長だった。着崩れた制服を気に留めず、立ち上がった瞬間に前のめりになった。
「部費がこれっぽっちとかありえなくなぁい?」
「生物部は去年創設され実績に乏しい。活動日誌を見た限り飼育しているのは熱帯魚のみだろう」
「今年は爬虫類とかも育てたいからおっきい水槽買いたいんですけどぉー?」
生物部ではウサギや小鳥などの小動物を飼うことが多いらしいが、部長である呉野乙女は軽度のアレルギー体質であるため、今は毛や羽毛などのない魚だけを飼っていた。
花粉症の時期なので今もマスクを着けているが、若干目に涙が浮かんでいる。
「水槽ならば理科室の中古を譲り受ければいい」
「それはそうかもしんないけどぉーっ!!」
呉野が言い淀み、生物部に関しては一旦話がついたようだ。
続いて天文部、美術部、演劇部、手芸部、調理部、オカルト部も同様に部費の増額を訴えた。曰く――
「天体望遠鏡がこわれちゃったから〜、新しいのほし〜な〜って」
「最近絵の具や筆が床に散らばり、部屋のカーテンが開けられ、日光に晒されるため、画材が足りない」
「おや、奇遇だね。うちも衣装や小道具が壊されて、ほとほと困り果てているのだよ」
「依頼された衣装に使うレースとか布が引き裂かれちまったから、新しいの買わせろ」
「最近は予定よりも食材が足りなくなる。だから多めに仕入れるようにしたくってさ」
「夕刻の校舎にて、亡者が助けを求め這いずる音の正体を調べるため……機材を整える、きょ、許可をいただきたく……」
つまり新しい物を買いたい、材料を仕入れるためのお金を増やしてほしいってことだな。そして大多数が誰かに荒らされていると。
オカルト部の言い分はよくわからないけど、ただ事じゃないのは確かだ。
各部の部費増額と共に犯人を見つけないといけない。
生徒会の面々を見回すと、会長である俺に視線が集まっていた。
「部活荒らしの犯人についてはひとまず生徒会に一任してくれると助かる。で、部費についてのアイディアは……」
一応冬樹の顔色を窺うが、俺の判断に異論はなさそうだ。
「秋良に任せた」
「任せたっつーか丸投げでは? まあいいけど」
文句を言いつつ了承した秋良は腕を組んで考え込む。
しんと静まり返る中、その腕を解いた。
「そんじゃ、放課後までに部活にちなんだ謎解き作ってきてくんねー?」
思わず「はぁ?」と声が出た。各部の部長も不審な目を向ける。
突然謎解きなんてふざけてるとしか思われない。俺もそう思う。
「生徒会の誰も解けなきゃ部費を増額する。そんで、俺らが解いたら部費はこのままってわけ」
「謎解きって言われてもわかんないんですけどぉー?」
「ここ数年で流行っているようだが、部活に勤しむ僕らにはあまり馴染みがないね」
「たとえばこういうの」
秋良はルーズリーフを二枚広げ、それぞれに同じ内容を書き込んでいく。
しばらくするとペンを置き、それを両隣に回す。
内容を見てなるほどと納得した。
『 生徒会
春 → △△ = ◯◯◯
夏 → △△ = ◯◯◯
秋 → △△△ = ???
冬 → △△ = ◯◯◯◯ 』
「誰か答えがわかった人いるか?」
「え、ええと……多分……」
出題者である秋良の問いにオカルト部の部長である御影花子が声を上げた。
怯えた様子で視線を避けるように目を伏せる。
時代錯誤な人物ならば「男のくせにオドオドするな!」と怒鳴りつけてしまいそうだ。
「はい、じゃあ花ちゃんどぞっ!」
「ひぃっ! ぼ、ぼぼぼ僕みたいな根暗がすみませんっ」
クラスメイトだからとあだ名で馴れ馴れしく呼ぶ秋良に対し、御影は戸惑いを隠せないようだ。
教室の中でも隅っこで大人しく座っている印象が強い。人との関わりが極度に苦手なんだろう。
みんなの様子を窺いながら、恐る恐る答えを告げた。
「平仮名で『ふくかいちょう』かな、と……」
答えを聞いた何人かが「なるほど」とそれに至る過程まで納得したようだった。
「どゆこと?」
「オレもわかんね」
仲良く首を傾げたのは、調理部の部長である花園結莉と手芸部の部長である花園蒼灯だった。
双子特有のシンクロ率で、表情も首の角度も瓜二つだ。
結莉は料理の邪魔になるのか飾り気がない。髪は散らないように編み込まれ、爪は伸びすぎないようキレイに整えられている。気になるのはやけに丈の長いスカートくらいだろうか。
一方で蒼灯は耳にはピアスをいくつも付け、制服の下にTシャツを着てだらしなく着崩されている。ガラが悪く、一般的には不良と呼ばれる外見だった。
「つまりこういうことだね」
問題用紙に直接何か書き込んでいくのは演劇部部長の皇麗斗だった。
丁寧で凛とした仕草からは貴族のような気品を感じる。
学校内外は問わずに女性ファンが多く、皇が主演の公演はチケット争奪戦が繰り広げられるらしい。
「左の季節は生徒会役員の名前に含まれるもの。そして中央の△は役職の漢字。右側の◯は役職の平仮名読み……ということだね」
『 生徒会
春 → 庶務 = しょむ
夏 → 書記 = しょき
秋 → 副会長 = ???
冬 → 会計 = かいけい 』
「つまり答えは……」
「「ホントに『ふくかいちょう』だ!」」
双子が理解できた嬉しさのあまり飛び跳ね、ハイタッチを交わした。
息ぴったりで本当に微笑ましい。
「こんな漢字の問題を作ればいいわけか……だってよ、修也」
蒼灯が声をかけたのは、ずっと黙りこくっていた美術部の部長である彩木修也だった。
基本的に美術関係にしか関心がなく、授業中はノートを取る代わりに色鉛筆で絵を書いたり、彫刻刀を使って消しゴム判子を彫ったりしているらしい。
度々問題児として取り上げられるが、進路は美術の専門学校を狙うことで落ち着いたため、教師たちも黙認している。
話を聞かずに何をしていたのかと思えば、いつものように手元のノートいっぱいにラフスケッチを書き殴っていた。
話が進展していたことに気づき、次のページを開く。よっぽどラフスケッチに注力したいのか、謎解きらしき文字を適当に書き、すぐに元のページに戻してしまう。
「とりあえず昼休みはこれにて解散ということでよろしいでしょうか?」
歩美とのお昼ご飯が待っている由乃は圧が強く、誰もノーと言わないまま予算会議はお開きとなった。
歩美が回収ボックスの資料をシュレッダーにかけていると、「あれっ?」と何か見つけたようだ。
「春日、何かあったのか?」
「資料の間に、紙が挟まってたんです」
「紙?」
一斉に疑問の声があがる。歩美はその紙の内容を読み上げた。
『12番目の文化部は部費を不正に使用している。部活荒らしの真相は、その不正利用に関わっている』