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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第四章 国を隔てる連峰
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救出に向けて

  ニーナが少し顔を動かしたその僅かな動きだけで、周辺の岩が砕けて小石となりカラカラと音を立てて底が見えない暗闇の中へと落ちていく。岩盤の崩落がまだ落ち着いていないのは本当のようだ。


 ここから見えるニーナの表情は真っ青だった。不安と恐怖もあるだろうが、ニーナが大地の裂け目に落ちてからイリス達を呼びに男が来るまでにかなりの時間が掛かっている。衣服が岩盤に引っかかって宙吊りなっているので首は圧迫されていないが、腹部などに圧が掛かっているかもしれない。とにかく、事態は一刻を争う状況だった。


 だが崩落が続いているこの状況では、迂闊に大地の裂け目に近付くことは出来ない。屈強な男達がすぐそこにいながら手も足も出せずにいたのはそのためだ。

 しかしイリスには、空中からニーナを救出するという手段がある。どうやってニーナを助け出すか算段し、イリスは暗闇の中でぐったりとしているニーナに声を掛けた。


「ニーナッ、今すぐ助けるから待ってて!すぐに戻ってくるから!」


 イリスはそれだけ伝えると、後ろ髪をひかれながらもフラッデルを方向転換させダンの元に戻った。


「ニーナはっ!無事なのかっ!」


 戻ってきたイリスに向かって、ダンが手を伸ばし着地の途中でその両肩を強く掴んで揺さぶった。

 イリスはそんな慌てた様子のダンを落ち着かせるために、肩に置かれた手に自身の手を添え真っ直ぐにダンを見つめた。


「大丈夫。微かではあるけれど声を発していたから意識もあるわ。途中の岩肌の突起に服が引っ掛かって底まで落ちずに済んでいた」

「良かったっ!」

「でも!」


 ニーナの生存を知り、鋭い視線でイリスを睨んでいた漆黒の隻眼が安堵に緩む。だが、事態は安心していられる状況ではない。イリスは硬い表情を崩さなかった。


「穴に落ちてから時間が経ちすぎている。最早一刻の猶予もない状況なの。だから、お願いだから力を貸して!」

「……分かった。何でも協力しよう。俺は何をすればいい」


 ダンがすぐさま表情を引き締め直した。周囲を取り囲んでいた男達も、自分達にも何か協力できることがあるならと声をあげてくれている。


「ありがとう。なら、私の言う通りにして!今から私はフラッデルに誰かもう一人乗せて大地の裂け目の所まで行くから、その人がロープで穴の中に降りてニーナを助け出して欲しいの」

「……穴の中に降りる、だと?」

「……」


 イリスの計画は、フラッデルと同乗者を長いロープで繋いで、大地の裂け目の真上からロープを使って同乗者が下に降りてニーナを救助するというものだった。大地の裂け目の真上から垂直に降下すれば岩肌に触れることがなく崩落を誘発することもないため、これが一番安全で確実な救助方法だった。

 だがイリスの説明を聞いたダンは、予想外だとばかりに大きく目を見開く。


「そいつで穴の中に降りて行って助けることは出来ないのか?」


 ダンがイリスの足元を見る。フラッデルのことを良く知らない人であれば、フラッデルで降りればいいと思うのは普通のことだろう。

 だが、それは不可能なのだ。


「フラッデルは水平方向に速度を上げることで揚力が発生して浮き上がるものなの。当然、降りる時も同じようにしないと降りられないのよ。でも私なら真下に降りることは出来る。でも、そこから真上に飛びあがることは出来ないの」


 フラッデルが飛び上がるためには横方向に走行しなければならないので、ある程度の距離が必要になる。降りる際も同様だ。

 だがイリスは回転しながら垂直方向に舞い降りその場に留まるという独自の技を使えるので、降りた先でホバリングすることもできニーナの救出は問題なく行えるだろう。だが、問題は浮上する時だった。


 この大地の裂け目は幅が約八メトル、長さが十メトルくらいだ。その長さを全て走行に使えるのならば飛び上がれなくもないのだが、ニーナが落ちた大地の裂け目は幅の狭いところもあり、十メトルの距離を全て走行に使うことは出来ない。そうなると、いかにフラッデルを自身の手足のように自在に扱えるイリスとて飛び上がることは出来ないのだ。


 ダンの顔に、初めて恐怖が浮かんでいるのが分かる。大地の裂け目の真上から垂直方向にロープを使って降りるなど、まさかそんなことをするとは思わなかったようだ。


「だから、誰かに穴の中に降りて欲しいの。……別に、ダンさんでなくても誰でもいいんだけれど」


 明らかに狼狽しているダンから視線を外し、イリスは周囲に視線を巡らせた。

 ダンはニーナの父親だ。実子の危機に動じない者はいないだろう。そうなれば冷静さを欠き判断力も鈍る。

 救助は想いの強さや根性論ではどうにもならない。時には非情にも取れる冷静な判断と決断が求められる。そうでなければ助けに向かった者の命も危うくなるのだ。ミイラ取りがミイラになる訳にはいかない。


「……」


 返答のない男達を横目に、イリスはニーナの救助用に用意されたのであろうその場に置いてあったロープをフラッデルに結び付け始めた。こうしている間にもニーナは衰弱していっている。一分一秒が惜しかった。

 男達は隣にいる者達と顔を見合わせて騒めいている。ダンの手前、ニーナ救出に自分が名乗り出ていいものかどうか悩んでいるようだ。


「……」


 イリスは一人、周囲に分からないようにしながら小さく息を吐き出した。

 先程は周囲の男達に向けて誰でもいいと言ったが、実際はそうではない。イリスとしても、素人を穴の中に降ろすのはリスクが大きかった。

 ナタラ族の男達は一様にがっかりとした体躯をしており、体重も重い。一人乗り用のフラッデルでそんな屈強な男を乗せ、その場に留まったり吊り下げたりするのは難しい。

 

(あともうちょっとすればレオン達も駆けつけてくれると思うけれど)


 ニーナの危機の一報を聞き、イリスは一人フラッデルで一直線に下山したわけだが、レオン達もおそらくこっちに急いで向かってくれているはずだ。

 レオンかロイが到着すれば、二人のどちらかにフラッデルを操縦してもらってイリスが穴の中に降りるか、イリスの操縦で穴の中に降りてもらうかすることができる。救援活動をこれまで幾度となくこなしてきた二人となら、救助もスムーズにいくと思われた。


「……俺には、無理だ」


 イリスの正面に立ち尽くし視線を逸らしていたダンがぼそりと力なく呟いた。

 俯いているため合ってもいない視線を更に逸らし、イリスの姿を視界に入れないようにしてこの現実から逃れようとしている。

 救助には冷静さが必要だ。私情や激情は判断を誤る。だがダンのこの態度にイリスは自分の感情を抑えきれなくなった。


「ニーナは貴方の娘でしょう!このまま見殺しにするつもりなの!」


 身長差があるダンに手を伸ばしてその胸倉を掴みイリスは自分に引き寄せた。身体が傾いた勢いで、ダンの視線がイリスと合う。


「そんなことっ!……だが……」


 口を開き弁明をしようとしかけたのだが、ダンは直ぐに口籠ってしまい言葉が紡がれることはなかった。


(大地の裂け目で、過去ダンの身に何かがあったのかもしれない)


 ナタラ族の長であり誰よりも屈強な大男であるダンがここまで怯えた表情をする理由が、何かあるのかもしれない。大地の裂け目に対して何か大きな不安があるのだろう。

 それでも今は、そんなことを言っている場合ではなかった。


「救える命を犠牲にしたくない。出来ることをしないで後悔したくないの!」



 ――やらなくて後悔するなら、出来ることをすべてやって後悔したいんだ。



 イリスの言葉に導かれるように、ダンの頭の中で懐かしい声が鮮明に響く。


 もう二度と聞くことの叶わないその声に、少しだけ背中を押されてダンはイリスと視線を合わせた。

 





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