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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第四章 国を隔てる連峰
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事件

「えぇ……これ、きつくない?」


 水の入った樽が四つ乗せられた荷車を押しながら、リュカが文句を口にする。荷車には樽の間に埋もれるようにして、ついでにニーナも乗っていた。


「りゅかす、がんばれー」


 荷車に揺られ愉しそうなニーナが声援を送る。こうして山小屋まで水を運ぶ際に連れて行ってもらえることは稀なようで、ニーナは終始上機嫌だ。


「僕達はリュカが寝ている間にこの樽に水も汲んできたんだからね。リュカは寝ていたんだから少しは頑張ろうね」


 リュカの隣で一緒に荷車を押しながらロイが笑顔で声を掛ける。流石はロイ、勾配がきつい斜面を登っているのにも拘らず、その顔に辛さは微塵も感じられなかった。


 普段はこの作業をナタラ族の男達が毎日行っているのだという。大変な仕事ではあるが、そのおかげで標高の高い登山道にある山小屋でも飲料や生活用水を確保することができ、国家間を移動しようという旅人が困ることなく安心して山越えをすることが出来るのだろう。


「ところで、泊めていただいたのにノーラさんにご挨拶もしないで出てきてしまったけれど、良かったんですか」


 荷車に並走するように歩いていたイリスが荷車を引いているダンに問う。ダンはレオンと一緒に、先頭で荷車を引いていた。


「ああ、実はちょっと体調が芳しくないみたいでな。起き上がれないようだったから、気にしなくていい」


 何故か声をひそめて話すダンを不思議に思っていると、隣に居るレオンが顎で後方を指し示した。何かと思って振り返れば、リュカとロイと愉しそうに話をしているニーナが視界に映る。

 ニーナに余計な心配をかけないための配慮なのだと気付いたイリスは、少し足を速め荷車を引く二人に近付くと小声で訊ねた。


「そんな時に集落を離れて、ノーラさんを一人にして大丈夫なんですか?」

「ああ、世話は他の奴に頼んであるし、俺もこれを運び終わったらすぐに戻る」

「でも、水運びなら私達だけでもできるし、ダンさんは傍にいてあげた方が……」


 ノーラのお腹には赤ちゃんがいるのだ。何かあった時にノーラ一人の身体ではない。何とかならないものかとイリスが思案していると、ダンが小声で笑った。


「ハハッ、お前が気に病むことじゃないだろう。ちょうど、今から行く山の上に妊婦でも飲める薬草が生えているんだ。俺はそれを取りに行くついでに、これを運んでるんだよ」

「ああ、それなら」


 妊娠中はお腹の赤ちゃんにも影響があるかもしれないので、安易に薬の類を飲むことは出来ない。だが妊婦でも飲める薬草があるのならば安心だ。


「でもそれなら、どんな薬草なのか教えてもらえれば私がフラッデルで行ってすぐに採ってきて届けますよ?」

 

 一刻でも早く対処した方がいいだろうと思って提案すれば、ダンは今度こそ大声を上げて笑った。


「ガハハッ、それこそお前がやる必要がない事だな。……大丈夫だ、そこまで大した症状じゃない」

「……おとうさんも、たのしい?」


 ダンの笑い声を聞いて、後ろの二人と話をしていたニーナが前方を振り返った。

 ニーナに聞かれては不味い話をしていただけに、イリスは慌てて二人から離れ再び荷車の横に並んで何事もなかったかのように歩き始めたのだが、若干動きが怪しかったのだろう。リュカが挙動不審なイリスを見て首を傾げていた。

 だがダンは急に話しかけられても一切動揺した様子はなく、ニーナに向かって笑いかけていた。


「ああ、愉しいな。ニーナも愉しいか?」

「うん!」


 元気いっぱいにニーナが返事をする。それを微笑ましく思いながら、イリスはニーナにいらぬ心配をかけないようこの会話を終わりにし、話題を変えてニーナに話しかけた。


「ニーナは山小屋に泊まったことはあるの?」

「ううん。いったことあるけど、すぐにかえるよ」


 今向かっている山小屋の事を聞けば、ニーナは少し寂しそうな顔をした。


「おやまのうえは、あぶないの。だから、にーなはまだだめなんだよ」


 ストアレアル山脈の裾野の方にはそこそこ中型のオオカミが生息しているのだが、山頂付近で何か生物が生息しているとは聞いたことがない。

 そもそも三千メトル級の山の上で生物が生息できるとも思えずイリスが前方を振り返れば、目が合ったダンが説明してくれた。


「今は大丈夫だが、雪の時期が過ぎて暖かくなってくると、雪渓に割れ目ができて危険な場所もあるんだ。まぁ雪の時期じゃなくても地面が割れているところがあって、危険な場所もある。俺達が大地の裂け目って呼んでる場所だ」


 やはり危険なのは獣の類ではなかったようだ。しかしその大地の裂け目とやらを見たことがないイリスにはそれがどれ程の危険なのか想像がつかない。

 獣などは直接人に向かって攻撃してくるので脅威に感じるが、自然環境というものは分かっていれば対処が出来るものであり、あまり脅威には感じられなかった。

 

「人が落ちるくらい大きな裂け目ということか?なら、そこに近付かなければいいだけの話だろう?」


 イリスと同じように感じたらしくレオンが疑問をぶつければ、ダンは否定するように首を横に振った。


「まぁそうなんだが、例えば裂け目を避けて歩いていても、その周辺の地盤や雪が崩落して巻き込まれることもあるし、裂け目の上に大雪が降ったりすれば、裂け目が何処だか分からなくなるんだよ……そしてその上をうっかり歩いた日には……」


 そこで言葉を切りダンが俯く。山で生きる者にとって、その大地の裂け目は余程の脅威らしいことがダンの表情からも窺えた。


「こわっ、まるで落とし穴だな。でも、出られるんだろう?」


 リュカが最後尾から問えば、ダンは振り返ることなく下を向いたまま答えた。


「幅も深さもまちまちだが、数メトルの物もあれば、……百メトルの深さはあるんじゃないかという物もある」

「こぉわっ、落ちたら終わりだな」

「そうさ……俺達のように山で暮らしている奴でも突然足元を掬われることもある。お前等も十分気を付けろ」


 一行に忠告を促そうとダンが振り返ると、荷車の荷台に座り怯えた表情をしているニーナと目が合った。話の内容までは理解していないが、何かとても怖い話をしていることは分かったのだろう。


 ダンはわざとらしく豪快に笑って見せると、慌てて場を取り繕った。


「ガハハッ、だが心配すんな。整備された登山道を歩っとけば問題ない。それにこの時期は雪が降っていないから大地の裂け目は見てそれと分かるはずだ」

「……そうよね。登山道なら大丈夫よね。だって他の旅の人達も沢山通っているんだもの」


 旅人がストレアル山脈で事故に遭ったなど、イリスは聞いたことがない。そのことを伝えて少しでもニーナを安心させてあげようとイリスが言葉を付け加えれば、それにロイも続いた。


「そうそう。二十年位前に事故が起こったっきり、ストレアル山脈での事故は報告されていないはずだよ。ニーナのお父さん達が旅人の安全のために、登山道を整備したりこうして水なんかも運んでいるから、今は安全で快適に山越えができるんだよ」

「にーなのおとうさん、すごい?」

「そう、すごいすごい」


 ロイの言葉に、ニーナは嬉しそうにダンを見て満面の笑みを浮かべた。だがダンは褒められて気恥ずかしいのか、曖昧に笑うと視線を外し、前を向いて黙ってしまった。


「えへへ、にーなのおとうさん、すごい」


 だがニーナは父親を褒められて嬉しいようで、独り言のように呟くとニコニコと屈託なく笑う。

 その笑顔にイリスもつられて笑顔になりながら、一行は山道を登り続けた。




◇◇◇   ◇◇◇




 水の入った樽を押しながらだったので、二時間程かかって一行は山小屋に辿り着いた。

 最初に興奮しすぎたため、ニーナは揺られる荷車の中で途中から眠ってしまっていた。朝も早起きだったので、無理もない。


 斜面は段々と植物が生えず岩と石だけの道になってきて、荷車は思わぬ所で石に乗り上げ車輪が大きく跳ねたりしていた。その度荷台も大きく揺れていたため、眠っていたニーナは途中からイリスが背中におぶって山道を登っていた。


「悪かったな。重かっただろう」

「いえ、大丈夫です。荷車を引いていた皆さんの方が、疲れたでしょうから」


 イリスの背からダンがニーナをその腕の中に引き取る。体勢が変わってニーナが寝苦しそうに呻いたが、ダンの腕の中にすっぽりと納まると再び健やかな寝息を立て始めた。

 安心しきった様子で眠るニーナの顔を覗き込んでいると、荷車の到着に気付いた男が一人山小屋の中から飛び出してきた。


(かしら)ぁ、到着早々すんません。ちょっと問題があって、来てもらえやすか!」

「……」


 男の言葉を耳にして、ダンは隠しもせず舌打ちをすると大きな溜息を吐いた。


「……すまんな、見送りもしてやれんがここでお別れだ」

「いや、世話になった。帰りにまた寄らせてもらう。その時に今朝の話の返答を聞かせてくれ」


 レオンがダンを真っすぐに見つめながら告げれば、ダンもその隻眼で射貫くようにレオンを見つめた。

 

「わかっている。……じゃあな、お前等気を付けて行けよ」


 踵を返しそのまま振り返らずに山小屋に向かってダンが歩いていく。ダンを呼びに来た男と合流すると、その場で何か話をし山小屋の入り口の扉を開けた。


「……ダンさん!あのっ!」


 今まさに扉の中に消えようとするダンを、どうしても我慢できずにイリスが呼び止めた。

 山小屋の入り口で振り返ったダンに向かって、イリスは小走りで走り寄る。その様子を訝し気にダンが見ていた。


 ダンの下に辿り着いたイリスはその腕の中を覗き込む。ニーナがぐっすりと眠っていることを確認すると、顔を上げてダンを真っ直ぐに見つめた。


「あの、ノーラさんの薬草はいいんですか?」

「……」


 イリスが問えば、ダンは眉間に皺を寄せて難しい顔をした。


 山小屋で問題が起きたのであれば、ダンはこれからその対応に追われるだろう。本来は薬となる薬草を採ってすぐに戻ると言っていたが、きっと直ぐには戻れないはずだ。


「姐さん、病気なんですかい?」

「ただの熱だ。ちょっと高いだけで」


 ダンを呼びに来た男も寝耳に水の情報に驚く。だがダンは視線を逸らしぶっきらぼうに告げた。


「……あの、やっぱり私が取ってきましょうか?」

「それはいい。お前はお前のやるべきことをしろ」


 口出しするなどばかりにダンが鋭い視線でイリスを睨む。こうもきっぱりと拒絶されては、これ以上言い募ることは出来ない。


「……ふぅ」


 だがそこで急に大きく一つ息を吐き出すと、鋭い視線から一転、いつもの表情に戻ったダンが眉を下げた。


「……余計な気を遣わせて悪かったな。大丈夫だ。薬草は問題が片付いたら俺が採ってすぐに戻る」

「でも……」

「その薬草はな、この近くにあるさっき言った大地の裂け目の所に生えてるんだ。取りに行ってもらってお前等が怪我でもしたら、俺がノーラに怒られちまう。だから、気にするな」


 どうやらお目当ての薬草は大地の裂け目に生えており採取には危険が伴うようだ。

 大地の裂け目を見たことがないイリスには、その危険がどんなものか見当もつかない。勝手に動いては逆に迷惑を掛ける事態になりかねないだろう。


「……分かりました。力になれなず、すみません」

「いや、すまんな。気遣いに感謝する。じゃあな」


 そう言って、ダンは呼びに来た男と一緒に山小屋の中に消えていった。




 ダンと別れ、一行は今日中に頂上を越えてエダルシア王国側の山小屋に辿り着くべく、先を急いでいた。ダンと山小屋で別れてからかれこれ一時間以上歩いている。まだ昼前だが、山の天気は変わりやすい。出来るだけ天候がいいうちに距離を稼いでおきたかった。

 

「そんなに心配しなくても、大丈夫だと思うよ?」

「へっ?」


 黙って俯いて歩いていたイリスは、突然後ろからロイに声を掛けられ驚いて顔をあげた。


「さっきのこと、まだ考えているでしょ?イリスの悪い癖だよ。過ぎたことはどうしようもない。イリスはちゃんとできる限りの提案もしたし、それで断られたんだから仕方がないよ」

「……」


 ロイの言葉は尤もなのだが、それでも何かできたのではないかという思いがずっと胸の中にあり、イリスは悶々と一人考え込んでいた。


「ノーラさん、だっけ?本当に重篤な状態ならダンも傍を離れなかっただろうし、本人が言うようにそこまで大変な症状じゃなかったと思うよ」

「それは、そうだけど……」


 それでも、それとこれとは話が別なのだ。

 イリスが再び俯いた時、遠くで誰かが叫んでいる声が聞こえてきた。

 

「―っ、――っ!!」

「?」


 切羽詰まった声が響いているが声が遠く、内容までは分からない。何処かに怪我をした人でもいるのかもしれないとイリスは慌てて周囲に視線を巡らせた。

 すると今歩いてきた遥か後方、山の下の方から、懸命にこちらに向かって駆けてくる男の姿が目に入った。

 男はイリス達が振り返ったことで自分の存在に気付いたことを確信すると、今までよりも更に大声を張り上げた。


「助けてくれっ!ニーナが!……っニーナが大地の裂け目に落ちたんだっ!!」

「っ!!」


 耳を疑うような内容に、すぐさまイリスは胸の前のベルトを外した。固定されていたベルトから解放されたフラッデルが、地面にガチャリと音を立てて落ちる。

 イリスはフラッデルに即座に足を乗せると、勢いよく踏み込んで起動させた。


「イリス、待っ……」


 そしてふわりと浮き上がると、レオンが呼び止めるのも構わずに、先程までいた山小屋に向かって風のように飛び去っていってしまった。






1メトル : 1メートル

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