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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第四章 国を隔てる連峰
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朝の食卓

「えっと……何だろう。難しい……」

「えへへ、なーんだ」


 地面を凝視しながら、イリスは眉間の皺を深めた。何故かというと、地面に描かれたニーナの絵が何だか分からなかったからだ。


 木の根元に腰を下ろしたイリスとニーナは、ただ座っているだけなのも暇なので落ちていた木の枝を使って地面に絵を描いて遊び始めた。イリスが描いた絵をニーナが当てるクイズだ。

 そのうちに「にーなもやる」とニーナが言い出し、イリスの絵の横に何かを描いた。だがそれは大きな丸の隣に小さな丸が一つという、何を描いたのか全く分からないものだったのだ。

 大小の丸が一つずつの他に何も特徴がなく、全く見当も付かない。しかし描き終わってイリスを見上げた瞳が期待に満ち溢れており、これは何を描いたのか当てないといけないという重圧がイリスに圧し掛かっていた。

 

(縦なら雪だるまだろうけれど、横に繋がっているし……。丸じゃない可能性もあるしなぁ)


 先程イリスが丸を一つ描いた途中の状態の絵を、ニーナは「おさかな」と答えていた。ニーナの中で丸で表される物の数は無限大だ。


「……うーん、ちょうちょ、かな?」


 悩んだ末に、横に並んだ大小の丸を広げた羽と予想したのだが、その答えにニーナはふふん、と鼻を鳴らした。


「にーなのおうちだよ!」

「……あ、なるほど?」


 得意そうに目の前のテント式住居を指差すのにつられて視線を上げれば、目の前に建つダンの家は確かに、この角度からだと大きな主のテントの隣に続き部屋になっている小さなテントが一つくっついているのが見えた。

 正解を答えられなかったことで落ち込ませてしまったのではとイリスは焦ったが、意外にもニーナは得意そうな顔でイリスを見ている。どうやら逆に、イリスが当てられない難問を出せたことが嬉しかったようだ。


「じゃあ、つぎね」


 嬉しそうに次の絵に取り掛かるニーナを見て安堵し、小さな手に握られた枝が地面を削っていく様子を眺めていたイリスの視界に、誰かの足元が入り込んだ。

 夢中になっていたとはいえ、この距離まで全く気付かなかったことに驚いて顔をあげると、そこにはダンが立っていた。


「おう、随分仲良くなったじゃないか」

「おとうさん!」


 ダンを見るなり満面の笑みを浮かべたニーナは、立ち上がると飛びつく勢いでダンにしがみついた。ダンはそれを難なく受け止めると、ニーナを片手で抱き上げる。


「ニーナ、楽しかったか?」

「うん。いりす、たのしかった」

「ガハハッ。そうか、よかったな。だが遊ぶのはここまでだ。水汲みに行った連中も間もなく戻ってくる。朝飯にしよう」


 言いながらダンは家の入り口の布を捲り上げ、顎で指し示しイリスを家の中に促す。イリスは立ち上がって家の中に入ろうとしたのだが、そこでふと何かを忘れていることに気が付いた。


(……何だっけ、何か忘れて……あ、リュカ)


 そういえばリュカはまだダンの家の中で寝ていた。ニーナと遊ぶことになり、すっかりそのことを失念してしまっていた。

 起きて誰も部屋にいないことに気付けばリュカも家から出てきただろうから、おそらくまだ寝ているのだろう。朝日が昇り切ったとはいえ、まだ早朝と呼べる時間帯だ。昨日は特に、夜間に山道を登ったこともあり疲れているのだろう。


 イリスが入り口の布をくぐって家の中に入ると、ダンは竈に火を点けていた。その隣では、ニーナが踏み台を抱えて持ってくると流しの所に置いている。手伝いをするつもりなのだろう。


「私も何かお手伝いします」


 イリスの言葉に、ダンは竈から視線をあげるとニヤリと笑った。


「勿論そのつもりだ。ニーナと一緒にこれを洗ってくれ」


 そう言って竈の隣にあった麻袋の中から何かを取り出すと、ダンはイリスに投げて寄こした。咄嗟のことだったがそれを難なく受け止め手の中の物を見ると、どうやら根菜のようで所々まだ土がついていた。


「この地方で採れる芋だ。主食になる。よく洗ってくれ」

「分かりました」


 イリスが流しで待ち構えているニーナの隣に立つと、ニーナはイリスを見上げて訊ねた。


「いりす、りょうりできる?じょうず?」

「できるよ。上手かどうかは分からないけれど」


 イリスにとって料理はどちらかと言えば不得手な方だ。正直に話せば、ニーナはふふんと得意そうに笑った。


「にーなはじょうずだよ。おかあさんもじょうずだよ。だからにーなは、おかあさんになれるよ。いりすはなれない?」

「え……うーん、どうだろう」


 どうやらニーナの中では、料理が上手なことが母親の定義のようだ。何と答えるべきかイリスが逡巡していると、会話を聴いていたダンが大声で笑った。


「ガハハッ。ニーナ、此奴はな、料理ができなくても結婚したい男の方がわんさか寄って来るんだよ」

「……ふーん?いりす、よかったね」


 イリスはニーナに見られないようにしながらダンを鋭く睨む。何か一言言ってやろうとイリスが口を開きかけた時、家の入り口の布がバサリと捲られた。


(かしら)ぁ、戻りやしたぁ」

「おう、早いな。まだ飯の準備の途中だぞ」


 鍋に水を汲みながらダンが入り口を振り返る。そこにはさっきレオン達を連れて行った男と、その後ろにレオンとロイの姿があった。


「こいつらが結構やりやがるんで、早く終わったんでさ」

「ほぅ……。お前は戻っていいぞ」

「うぃす」


 どうやらダンの中では、水汲みが終わるのに合わせて食事が完成するように動いていたようだ。ダンは見定めるようにレオンとロイを見つめた後、豪快に笑った。


「ガハハッ、言うだけのことはあったってことか。あんな重い物、運んだことがない優男かと思ったんだがな」


 ダンの言葉に、レオンの後ろにいたロイが一歩前に出るとニッコリと笑った。ロイが対外的に見せている爽やかな好青年の顔だ。


「言ったでしょう。こう見えて何でもできるんですよ」

「ハハッ、そうらしい。じゃあ飯を作るのも手伝ってくれ」


 その言葉に、ロイがにこやかにこちらに歩み寄ってくる。だがそれを合図に、イリスの横にいたニーナがガシッとイリスの腰にしがみついて足の後ろに隠れた。


「ニーナ?」

「おや?可愛らしいお嬢さん、初めまして」


 ロイが腰を曲げて姿勢を低くし、視線をニーナの高さに合わせてイリスの後ろを覗き込む。だが声を掛けられたニーナは、益々イリスの後ろに隠れた。きっと初めて会う人に対して人見知りをしているのだろう。


「この人はロイ。私の友達だから、大丈夫だよ」

「ろいはいりすのともだち?……にーなとあそんでくれる?」


 ニーナが少しだけイリスの足の後ろから顔を覗かせてロイを見つめる。ロイは顔を出したニーナに微笑むと、手を伸ばした。


「勿論。たくさん遊ぼう。でも、もっといっぱい遊んでくれるお兄ちゃんもいるから、そのお兄ちゃんと一緒に遊ぼう」

(え、レオンのこと?レオンはそんな感じじゃないと思うけどなぁ)


 イリスはロイの後ろにいるレオンをチラリと盗み見る。案の定レオンはムスッとした顔で腕を組んでいた。


「そうだな。今この場にいないってことはまだ寝ているんだろう。さっさと起こして遊んでもらうといい」

(あ、リュカのことか)


 レオンの言葉で遊んでくれると分かったニーナは、おずおずとではあるが差し出されたロイの手を取り踏み台から飛び降りた。




◇◇◇   ◇◇◇




「えー、いぬにはみえないよ。りゅかすのえ、へた」

「えぇ、どう見ても犬だろ」


 ロイとニーナによって叩き起こされたリュカは、現在ニーナとクレヨンでお絵描き中だ。ちなみにレオンとロイは、イリスと共に朝食の手伝いをしている。

 リュカの持つ画用紙を少し離れた調理場から覗き見ると、茶色い丸が三つ重なったような絵が見えた。確かにニーナの言う通り、犬には見えない。イリスは声を押し殺しながら小さく笑った。

 

「なるほどな。だいたいお前等の話は分かった」


 ダンの言葉で、意識をこちらに戻す。最初は手伝いをしていただけだったのだが、「時間がもったいない」とダンが言うので、食事の用意を手伝いながらイリス達は自分達の素性と目的をダンに話していたのだ。

 話を聞いたダンは茹でた芋を平たくしてフライパンで焼きながら、低く唸った。


「……お前らが望んでいるであろう情報についても、見当がついた」

「じゃあ!」

「だが、今すぐにそれを教えてやることは出来ない。俺にも考える時間をくれ」

「……」


 それはそうだろうとイリスも納得する。ゲイリーが言っていた『有益な情報』というものがどんな物かは分からないが、ナタラ族にとっても大事な情報である可能性もある。ダンの独断で決められることではないのかもしれない。


「さあ、飯も出来た。とりあえず食おう。ニーナ、飯だ!」

「わぁい、ごはん!」


 一旦話はここまでとなり、出来上がった料理の乗った皿を、部屋の中央にある太い柱の脇に置かれた座卓の上に並べる。こうやって下に座って食事をとるのがナタラ族では一般的なのだそうだ。


「ノーラさんの食事は?」

「ああ、悪阻が酷くてな。食事の匂いもダメなんだ。後で食べられるものを持っていくから気にすんな」


 食卓にダンの妻であるノーラの姿がないのに気付いてイリスが問えば、ダンは気にしなくていいと軽く手を振った。悪阻は人それぞれで、中には匂いが駄目な人もいると聞く。ここは素直にダンの言葉に従い、遠慮せず先に食事をいただくことにした。


 出来上がったのは、芋を茹でて潰したものを平たくして焼いたものと、葉物野菜をちぎって作ったサラダ、木から採れた果物を剥いて切ったものという大雑把な料理だったが、どれもとてもおいしそうだった。大皿から取り分けて、皆で食事を開始する。


「……オートレアに行くというのなら、帰りもここを通るんだろう?それまでに返事は考えておく」

「助かります」


 食事の途中でダンが先程の話の続きを切り出す。帰り道も同じ道程なので問題ないだろうとイリスが礼を述べれば、隣に座って果物を齧っていたニーナがイリスを見上げた。


「いりす、おでかけするの?」


 不安そうな瞳と目が合う。せっかく仲良くなれたのにもうお別れかと思うと、イリスも少し寂しかった。


「そうだぞニーナ。飯を食ったらお別れだ」

「……いやだ、もっとあそぶ」


 ダンの言葉に持っていた果物を皿の上に置くと、ニーナがイリスの腕にしがみついた。イリスもこんな風にされては後ろ髪を引かれるが、いつまでもここに留まることは出来ない。


「また戻ってくるよ」

「やだやだ、にーなもいっしょにいく!」


 何としても離れまいとイリスにしがみつくニーナの必死な様子に、ダンはわざとらしく溜息を吐くとニーナに向かって笑いかけた。


「分かった、じゃあ山小屋まで父さんと一緒に見送りに行こう。ただし、そこまでだ。山の上が危ないのは、ニーナも知っているだろう?」

「本当?」


 途端にニーナはパッ表情を明るくした。その様子に目を細めながら、ダンが言葉を続ける。


「ということで、お前等には引き続きさっきの樽を山小屋まで運ぶのを手伝ってもらうな」


 ダンが笑いながらレオンとロイを振り返る。イリスは話の内容がよく分からず、二人に向かって問いかけた。


「さっきの樽って?」

「僕達がさっき近くの沢から汲んできた水の樽だよ。山小屋には水源がなくて、ここで汲んだ水を毎日運んでいるんだって」


 ロイが先程まで自分達が手伝っていた内容をイリスに説明していると、レオンがジトリとダンを睨んだ。


「娘のお願いはさておき、元々あんたはそのつもりでいたんじゃないのか?」

「気にすんな。どうせ山小屋は通過するんだ。ついでだろ?」

 

 一切悪びれる様子もなく、ダンはさっさと一人食事を再開させる。その隣にちょこんと座っていたニーナは、山小屋まで行けると決まって上機嫌だ。


「え、どういうこと?」


 やれやれと溜息を吐くレオンの横で、ロイが相変わらずまぁまぁとフォローを入れている。そしてその向かいでは、遅くまで寝ていたために一人会話の内容が全く分からず、リュカが首を捻っていた。






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