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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第四章 国を隔てる連峰
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ニーナ

 紹介された時はまだダンの足の後ろから顔がしっかりと見えていたのだが、ニーナは一歩横に後退ってまたダンの足の後ろに隠れてしまった。

 けれどイリスのことは気になるようで、すっかりその身を隠した後顔の半分だけを覗かせてこちらを窺っている。


(可愛い……)


 肩まで伸びた髪の毛は寝起きのためかあちこち跳ねていたが、それもまた愛らしい。イリスを見つめる瞳はダンと同じ黒色をしているが、ダンのような切れ長の瞳ではなく零れ落ちそうなくらいまん丸の瞳のため威圧感がなく、まるで人形のように可愛らしかった。背丈はイリスの腰の辺りくらいなので、二、三歳といったところだろうか。


 イリスはあまり小さい子と関わった経験がないので、怖がらせないようにできる限り笑顔を心掛けた。

 騎士団で親と逸れた子供探しなどをすることがあるのだが、見つけた子供を円滑に親元まで連れて行くためには相手に怖がられないことが大事なのだ。助けに来たのに不審がられては救助もままならない。


「はじめまして。私はイリスっていうの。よろしくね」


 イリスがその場にしゃがみ込んでニーナと視線を合わせて挨拶をすると、ビクリと肩を震わせたニーナは覗かせていた顔も全部隠し、更にダンの足に力一杯しがみついた。

 その様子を見ていたダンが、笑いながら後ろを振り返る。


「ガハハッ。緊張してるのか?いつもの元気はどうした」


 言いながらダンはニーナの脇の下に手を入れるとそのままひょいと抱え上げ、自身の前にトンッと着地させた。

 強制的にイリスと対面することになりニーナは慌てて身体を捩ってダンの後ろに再び隠れようとしたのだが、それは背中に添えられたダンの手によって阻まれていた。


「じゃあ、頼むな。部屋ではノーラが寝てるから、あんまり煩くするんじゃないぞ」

「あっ……」


 言うなりダンは踵を返して入り口の布を捲って出て行ってしまう。直ぐ様ニーナが後を追おうとしたのだが、あまりの素早い動きについて行けず、声を掛けた時にはすでにそこにダンの姿はなかった。


「……」


 このくらいの年齢の子供なら、知らない人と一緒の部屋に置いて行かれたら親を追いかけて行きそうなものだが、ニーナはそれをぐっと我慢しているようだった。

 入り口の方を向いているのでその表情はイリスからは見えないが、ぎゅっと強く握られた両の拳が僅かに震えていたのだ。


(ダンさんも構ってやれていないって言っていたけれど、この子も忙しいのを分かっていて両親に甘えられないのかも)


 ふと昔の自分を思い出して、イリスは胸を押さえた。



 イリスが養父であるアイザックと暮らし始めた当初、アイザックは第一騎士団の団長として忙しい日々を送っていた。

 アイザックが騎士団の仕事や遠征などで忙しい時は必ずイリスの面倒を見る人を手配してくれていたので、イリスは決して一人ではなかった。けれどそれでも寂しさは感じていたものだ。

 イリスも自身の性格上我儘もなかなか言えず、寧ろ迷惑をかけないようにしようと幼心に思っていたのを今でも覚えている。


 その時のイリスでさえそうだったのに、ニーナはその頃のイリスよりももっと幼い子供なのだ。それなのに寂しさを押し殺し我儘を呑み込んでいる姿に胸が痛んだ。

 イリスは無性にニーナを抱きしめたい気持ちに駆られるが、それをぐっと押し留める。


(急にそんな事をしたら、もっと怖がらせちゃうよね)


 相手との距離を急に詰めてはいけない。ニーナの寂しさを少しでも和らげてあげるためにも、初手で失敗するわけにはいかなかった。

 

「ニーナは何をして遊ぶのが好きなのかな?私はね、お外で身体を動かして遊ぶのが好きだよ」


 イリスの言葉に、入り口を見つめたままだったニーナが振り返る。その顔は明らかに不安そうだった。

 質問する形で話しかけたが、こういった場合、相手の言葉を待ってはいけない。見ず知らずの人から話しかけられて即答できる子供など、まずいないのだ。特に子供だと、知らない人から問われて答えなければと圧に感じたり、答えられなくて固まったりしてしまうものだ。

 イリスは自分だったらという話を独り言のようにしながら、入り口の布を指差して見せた。


「ニーナはお外で遊ぶのは好き?」


 そして「はい」か「いいえ」で答えられるような聞き方をする。その方が相手も答えやすいからだ。案の定ニーナも、戸惑いがちではあるが小さく首を縦に振ってくれた。


「そうなんだ、同じだね。……じゃあ、少しだけお外に行ってみる?」


 イリスの言葉に、先程頷いて少し俯いたままだったニーナがパッと顔をあげた。その瞳は驚きに見開かれており、口は開いたまま塞がっていなかった。


 母親もこの家の中にはいるということだが、身重で寝ているため同じ部屋の中にいるわけではない。知らない人と二人きりで同じ空間にいるというのは、相手がどんなに好意的な態度で接してくれたとしても不安だし負担に感じるものだ。

 そのことを実体験として知っているイリスは、この状況からの脱却を提案したのだ。

 

 ニーナは開いたまま塞がっていなかった口を小さく動かすと、ぼそりと一言呟いた。


「……いく」

「よし、じゃあ行ってみよう!」


 ニーナの言葉にイリスは笑顔で応じると、立ち上がってその小さな手を取った。外は男達が忙しなく行ったり来たりしていたので、仕事の邪魔になってもいけない。イリスはニーナとしっかり手を繋ぐと、入り口の布をくぐって外へ出た。


「邪魔になるといけないから、ちょっとここで皆を見ていよう」

「……」


 ダンの家の前にあった木の根元にしゃがみ込むと、ニーナも黙ってその隣に腰を下ろした。

 イリスとしてはニーナと視線を合わせるためにしゃがみ込んだだけだったのだが、しゃがんだイリスを見て、ニーナはつられて地面にお尻を付けて座ってしまっていた。


(かっ、可愛いい!)


 足を前に伸ばしてぺたんと座る姿は、まさしくお人形さんのようだ。イリスは無性にその頭を撫でてあげたくなり、更に踏み込むべく声を掛けた。


「ニーナはいつも、髪は結んでいるの?」


 肩までの長さがあるので結んでいるかもしれないと思って聞いてみれば、ニーナは黙って頷いてくれた。先程よりも返答を直ぐに返してくれるようになり、イリスは気を良くして質問を重ねた。


「じゃあ、私がニーナの髪を結んであげてもいい?」

「……」


 その質問には数秒の沈黙があったが、考えた末にニーナは頷いてくれた。

 もしかしたらイリスに気を遣って嫌々頷いてくれたのかもしれないと思い、イリスは優しくニーナの頭を撫で手櫛で髪を整えるだけにしながら言葉を付け加えた。


「嫌だったら、首を振って教えてくれればいいからね」

「……へいき」


 ニーナから言葉が返って来て、イリスは顔を綻ばせる。

 髪を手で梳いて跳ねた寝ぐせを整えてあげながら、イリスは今度は言葉で答えなければならない質問をしてみることにした。


「いつもはニーナの髪を、誰が結んでくれているの?」

「……おかあさん」

「そっか、お母さんなんだね。お母さんはいつも、どんなふうにニーナの髪を結んでくれるの?」

「……みつあみ」


 小声ではあるがしっかりと返答が返ってくる。物理的にも心理的にも、少しずつ距離が縮まっているように感じてイリスは嬉しくなった。

 だがここで無理を強いてはいけない。イリスは自分の行為が押し付けにならないように、言葉を付け加えた。

 

「それじゃあ今は私が三つ編みをするけれど、嫌だったら後でお母さんに結び直してもらってね」


 その言葉に、それまでイリスに身を委ね髪を梳いてもらっていたニーナの身体が強張った。


「……おかあさんは、あかちゃんいて、ぐあいがわるいから……」

 

 ノーラというニーナの母親は、身重でニーナの事を構えていないとダンは言っていた。まだ安定期に入っておらず、悪阻が酷い時期なのかもしれない。


「ニーナは、赤ちゃんが産まれてお姉さんになるんだね」

「……にーな、おねえさんになりたくない」


 俯いてしまったニーナの頭を優しく撫でる。イリスに背を向けているのでその表情は分からないが、その言葉にニーナの今の気持ちが全部現れているようだった。


(きっと、赤ちゃんにお母さんを取られた気持ちなんだろうな)


 弟妹が産まれると上の子がそういう心境になると、騎士団内で子供が産まれた若い団員に対して子供がいる団員がよく語っていたのを覚えている。だが産まれる前からとなると、ニーナの寂しさは相当なものなのかもしれない。

 そんなことを考えていると、ニーナが後ろを振り返ってイリスの顔を仰ぎ見た。


「いりすはおねえさん?あかちゃんいる?」


 突然振り返られて驚いたのだが、ニーナから話しかけられて尚驚く。

 イリスは真っ直ぐに見つめてくるニーナのまん丸の瞳を見つめ返しながら、問われた内容に付いて考えた。


(うーん、どう答えるべきかな)


 知っている言葉を並べただけなので文章としておかしなところはあるが、おそらくニーナはイリスに弟妹がいるのかと聞いているのだろう。

 イリスの記憶がある八年間は、勿論イリスは一人っ子として養父であるアイザックと二人暮らしをしていた。けれど記憶のない八年前以前は、兄弟はいるのだ。ウィレンツィア王国の王子と王女は双子であり、イリスがそのアリスティア王女ならば、双子の片割れの王子がいたはずである。


(あれ、王子って兄なのかな?弟なのかな?)


 双子なので、上か下かは本当に数分の差でしかないだろうが、先に産まれた方と後から産まれた方というのは明確に決まっているはずである。だがイリスは、そんなことは一切知らなかった。


(というより、本当に何にも知らないんだよね……)


 インペリアルガードは皇帝直属の騎士なので、本来皇帝が外遊する際その警護に就くこともあり、各国の内情などは学ぶ必要がある。だが思い返してみれば、フラッデル隊はその機動力を生かして国内の諍いに迅速に対応できるようにするという名目で、他国のことよりも国内のことについて深く学ばされていた。

 そのためイリスは、各国の内情については殆ど詳しく知らず、一般の民が知っているくらいの情報しか知らなかった。


(……きっと、そうやって私が疑問に思わないように配慮しながら、色んなことから護られていたんだよね)


 きっと、イリスが知らなくてもいい事を知って、記憶が戻った際に苦しんだりすることがないよう、出来るだけウィレンツィア王国のことを深く知ることがないように配慮されていたのだろう。

 イリスは昨日ダンに言われたばかりの言葉を思い出し、その言葉の意味を改めて実感していた。


 そんな物思いに耽っていたイリスは、袖をくいくいと引っ張られ我に返った。


「……ごめんね」

「あ、ちがうの、黙っていてごめんね」


 顔を向けると、不安そうなニーナと目が合った。自分が質問した後に黙ってしまったために、自分が何かしてしまったのではないかと心配していたようだ。

 イリスは慌てて口を開くと、優しく笑んで見せた。


「赤ちゃんね、いたよ。でもね、死んじゃったんだ。だからもう、私は赤ちゃんに会えないの」


 記憶のないイリスが兄弟について語れることはないが、この言葉は紛れもない事実だった。

 死という言葉がどれくらいニーナの中で理解できるのかは分からなかったが、会えないという言葉はニーナにもよく分かったようだ。


「あかちゃん、あえないの?」


 眉を下げ悲しそうな顔で問うニーナを前に、イリスはその頭を優しく撫でながら続けた。


「そう、もう会いたくても会えないんだ。だから、これから赤ちゃんが産まれて、お姉さんになるニーナのことを、いいなぁって思うよ」

「おねえさん、うれしい?」


 イリスの言葉に、ニーナが首を傾げながら問う。その仕草が可愛くて、イリスは頭を撫でていた手でニーナの手を取ると、優しく握りながら答えた。


「そうだね。ちょっと嫌だなって思うこともあるかもしれないけれど、私はいいなって思うよ」

「おねえさん、いいんだ」


 それまで感じていた不安がなくなったようで、ニッコリと安堵の笑みを浮かべる姿がまた愛らしく、イリスもつられて目を細めた。

 ニーナは今からこうやって少しずつ、産まれてくる弟妹の姉になっていくのかもしれない。

 そんなニーナを眩しく思いながら、イリスは顔も思い出せない自身の片割れのことを想った。


(記憶を取り戻したら、顔も思い出せるのかな。たくさん、一緒に過ごした思い出があるんだろうな)


 無論イリスがウィレンツィア王国の生き残りの王族だと確定したわけではない。だがこの頃は何故か旅に出た当初よりもずっと、イリスの中でそれは確信に変わりつつあった。

 漸く自ら封じ込めた記憶と向き合う覚悟を決めたことで、自身の中で少しずつ記憶を思い出そうとしているのかもしれない。


 イリスは失われた記憶の中にいる片割れの欠片を探す。けれど未だどんなに頭の中や胸の奥底を探してみても、その姿も形も思い出も欠片も見付けることはできない。


(どんな想い……だったのかな)


 双子として産まれ落ちたのに、イリスだけが生き残った。生かされたイリスの裏で、死ぬ運命を辿った片割れは何を想い、どんな最期を遂げたのか。


(記憶を取り戻したら、それも全部思い出すのかな……)


 そのことを考えたことがなかったわけではないが、今初めて実感としてそのことがイリスに重く圧し掛かる。

 記憶を取り戻すと覚悟は決めたものの、新しい命が産まれてくる不安と喜びを抱えるニーナとは反対に、失ってしまった命の重さと向き合わなければならないイリスの心は重く沈んでいた。






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