ニニチカ
「もう夜も遅い、とりあえずニニチカに行くぞ」
何かが吹っ切れたかのように晴れやかな顔をしたイリスを、渋面でダンが見遣る。
しかしダンのそんな表情にも、イリスは少しも嫌悪感を抱かなかった。言われた言葉を鑑みてもイリスを気遣ってくれていることが伝わるからだ。強面なのは通常なのかもしれない。
「ニニチカ?」
気遣いを嬉しく思いながら、ダンの言葉の中にあった聞き慣れない単語について訊ねる。するとダンは、ここからもう少し登った森の奥の方を指で示した。
「ああ、俺達ナタラ族の集落の名前だ。この森を抜けた先にある。不在にしている奴等も多いから歓迎なんぞしてやれないがな」
「……なぜ集落を不在にしている人が多いんですか?」
説明しながらもすでにイリスに背を向けて歩き始めていたダンは、思ってもいない質問を受けたとばかりに驚いた表情でイリスを振り返った。
「お前さんは物知らずなんだな。……まぁ、皇帝直属の騎士なんざ体のいい鳥籠と変わらんか」
「なっ!皇帝直属の騎士のどこが鳥籠だと!」
あまりの言い様に、滅多に人に対して声を荒げたりすることのないイリスが感情も顕わに言い返す。しかし当のダンは、イリスの主張を鼻でせせら嗤った。
「皇帝直属ってのは、尊い皇帝陛下から離れることが出来ないんだろう?」
「……休日はある」
「そういうことを言ってんじゃねぇよ。皇帝陛下の身を守るのが仕事だから離れてたら意味ないっていう大義名分の元、お前さんは世の中の事から隔離されて皇帝陛下のお膝元で安全に過ごしてたってことだろ?」
「……そんなこと」
言いかけて、言い淀む。そんなことあるわけないとも言い切れなかった。
サンスタシア帝国のテオドール帝やイリスを救い出してくれた養父であるアイザックは、本来イリスをどこかに匿う事でドルシグ帝国から護るつもりだったかもしれない。
けれどイリスは自らの意志で騎士を志した。イリスの意志を尊重しながらその身を護る最善の方法として、ダンの言う通り皇帝直属の騎士という役職に就かせていた可能性もある。
皇帝の傍に侍るということは、ある意味一番護りが固い場所にいるということと同義だからだ。
(結局私は自分の与り知らない所で、きっとたくさん護られていたんだろうな)
イリスが考え得るよりも、もっとずっと沢山のものからイリスは護られていたのかもしれない。
考え込みすっかり歩いていた足を止めてしまったイリスを見て、また追い詰めてしまったのではないかと勘違いしたダンが焦ってイリスに声を掛けた。
「いや、悪い。言い方が悪かった。お前さんがそれだけ大事にされていたんだろうってことを言いたかっただけだ。言葉を間違えた」
両手を上下させ慌てふためきながらダンが言い訳を重ねる。その様が強面な顔と屈強な体躯とはかけ離れていて、妙に可笑しくなってイリスは思わず笑い声を溢した。
「ふふっ、大丈夫です。自分がどれだけ周りに助けられて生きていたのかを再認識しただけです」
所在なく動かしていた手を腰と頭の上に置いて気まずそうに何度か頭を掻いたダンは、居住まいを正すとイリスを真っ直ぐに見つめた。
「お前さんが沢山の人に助けられて今生きているという事を俺は否定しない。死んだはずの王女が生きていた、そしてそれは八年もの間秘匿されていた。この秘密が他に漏れることがなかったのは、周りの人間がどれだけ力を尽くしたかということに他ならない」
言葉にされて再認識する。イリスは城の奥深くに匿われていたわけではない。本当に何も知らずにただ自分の思うがままに過ごしていたのだ。
イリスの行動を規制せず、その上でありとあらゆるものから護るという事は、容易いことではなかっただろう。
「だから忘れるな。お前さんを助けた連中はきっと、お前さんを復讐の駒に使うために生かしたんじゃない。さっきも言ったが、仇を討つためとか、助けて貰った恩に報いるとか、そういう馬鹿な考えは一切捨てろ。いいな?」
厳重に念を押され、イリスはその言葉に反するつもりはないと大仰に頷いて見せた。
「私もさっき言ったとおり、これからは未来を掴み取るために足掻くつもりです」
イリスの返答に、ダンも満足したように頷いた。
「ああ。……っと、また話し込んじまったな。説明は歩きながらしてやるから早くニニチカに行こう。俺も疲れた」
「物知らずだったばっかりに、申し訳ないです」
イリスの返答を待たずにまた歩き始めたダンに対して、少しの皮肉を混ぜてイリスが言葉を返す。
するとダンは足は止めずに顔だけを動かして僅かにイリスを振り返ると、ニヤリと笑った。
「では世間知らずな王女様に、懇切丁寧に説明して差し上げますよ」
ダンの切り返しに思わず笑ってしまう。イリスはダンの話を聞き逃さないように駆け寄り、二人の間の距離をつめた。
ダンの話によると、ナタラ族は古くからこのストレアル山脈に住む山岳民族なのだそうだ。
千年前の世界大戦以前より高地に住んでいた部族だったため、人が住むのには厳しい環境ではあったが、世界大戦後も慣れ親しんだ環境を住処に選んだのだそうだ。
そんな彼等の生活は自給自足が主だったが、現在ではその他に、ストレアル山脈越えをしようとする旅人の為に山小屋を運営しているのだという。
山小屋はサンスタシア帝国側とエダルシア王国側の山の中腹にそれぞれあり、交代で双方の山小屋に寝泊まりして旅人の世話をしているため、集落にいる人が少ないのだそうだ。
どんなに世間知らずのイリスであっても、ストレアル山脈越え唯一のルートであるこの登山道に山小屋が存在していることぐらいは知っていた。
多くの旅人にとってストレアル山脈越えは、初日に中腹まで登って山小屋で一泊し、次の日に登頂を果たして下山しながら次の山小屋でもう一泊し、三日目に下山するという行程が一般的であり、そのため山小屋が旅人にとって重宝されていることも知っていた。
しかしその山小屋が誰の手によって運営されているのかをイリスは全く知らなかったわけだが、ナタラ族が取り仕切っているという事は割と知られた事実であったらしく、イリスは己の無知を痛感する以外なかった。
そんな説明を聞きながら二十分程歩いたところで、今いる森を抜けた先に薄明かりが点々としている様子が見えるようになってきた。
「あれが俺達の集落、ニニチカだ」
森を抜けて開けた場所に出ると、集落の全体が見て取れた。普通の家ぐらいある大きなテントの様な布張りの住居が、寄せ集まって集落が作られている。
そしてその集落を取り囲むように、イリスの肩の辺りまではあろうかという割と高い木の柵が巡らせてあった。だがそれは等間隔で隙間が空いた柵であり、外敵からの侵入を拒む目的というよりは害獣避けなのだろうと思われた。
「ご苦労。変わりはないか?」
集落の入り口には男が二人立っていて、ダンが声を掛ける。
両側には篝火も焚かれており、門番であろう二人の男達の顔が良く見えた。二人共イリスを攫った際に傍にいた男達だ。
「頭、問題ないんですか?」
門番の男はダンを見た後、イリスの方を怪訝な顔でちらりと盗み見た。
ダン達は不審な旅人であるイリス達のことを警戒し、ストレアル山脈に来た目的を探っていた。
ダンには先程イリスの事情を話したのでその不信感は拭えているが、途中で別れたこの男達にとってイリスは依然不審人物であり、集落に引き入れても大丈夫なのかという思いなのだろう。
ダンは門番の男達を交互に見た後、軽く頷いて見せた。
「ああ、問題ない。仔細は話せんが、オートレア王国へ向かうために山脈を越えるらしい。だが今から山小屋を目指すには時間が遅すぎる。今晩だけここに泊めるつもりだ。だが明日には……発つだろう?」
ダンがイリスを振り返る。質問の形式ではあったが、それは明日にはここを発てという暗黙の圧だった。
「……」
二つ返事で頷くべきところだろうが、イリスは一瞬同意することを躊躇った。
ナリシェの町でゲイリーが言っていた、山岳民族が持っているイリス達にとって有益な情報というものが何なのかまだ分かっていないからだ。
だが、こうもあからさまに歓迎されていない状況で長居をする方が蟠りを深める。ここは素直に従うべきだろうと思い至り、逡巡した後イリスは無言で頷いた。
「この通りお前さんはここでは歓迎されていない。お前さんの事情を説明できない以上、集落の奴等にとってお前さんは得体のしれない不審人物のままだ。今晩は俺の家に泊めるが、外からお前さんの動向は見張らせてもらう。そこは了承してくれ」
当然の申し出に、イリスは再び無言で頷いた。本来であれば集落に滞在せずに登山道入り口に作った野営地に戻る方が双方にとって最良だろうが、こんな夜更けに慣れない山道の移動は危険が伴う。イリスはダンの申し出を全面的に容認した。
「わぁ、すごい……」
門でのやり取りを経て集落の中に足を踏み入れる。集落の中を悠然と闊歩するダンの後に続きながら、イリスは初めて見るテント式の住居に感嘆の声をあげ左右に忙しなく視線を動かしていた。
円柱状の形をしたテント式住居は、布でできているが丈夫な造りであるのが見て取れた。出入り口も布でできているようで、どのテント式住居も大部分は乳白色の布を使用して作られているが、南側に一か所だけ模様の付いた布が垂れ下がっていた。
住居と住居の合間には小さな畑を作っているようで、地面から覗く緑色の葉っぱが等間隔で規則正しく並んでいた。
集落は比較的平坦な場所に作られていたが、それでも山の斜面に建てられているために僅かに勾配があった。そして門から真っ直ぐに進み集落の中で一番高い場所に、一際大きなテント式住居があった。
その住居の入り口には門と同じように篝火が焚かれ、番をする男の姿も見える。
篝火に照らされた緑頭が、この位置からでも良く見えた。イリスを途中まで担いで攫ってきた男だ。
「頭ぁ、そいつぁどうするんで?」
「俺の家に泊めてやる」
「はぁ?」
頭とイリスの姿を見つけた途端声を掛けてきた緑頭だったが、イリスを泊めると聞いて眉を顰め素っ頓狂な声をあげた。余程予想外の言葉だったのだろう。
「夜の山に捨て置けないから連れてきたが、こいつに害意はない。だがまるっきり信用することは出来ない。だから夜中こいつを見張る。朝にはこの村を出て行かせる。それでいいだろう」
「……」
納得いかない顔を前面に押し出しながら、緑頭は不承不承といった感じで首肯する。己の意に反するとしても、長の決定に異を唱えるつもりはないらしい。
「というわけだ。お前さんはこの中で今日はもう……」
隣に立つイリスを見下ろしたダンは、不意に途中で言葉を止めた。イリスも後方での異常に気付き、すでにそちらに視線を向けていた。
殺気に似た緊迫感漂う気配が、今し方通り過ぎてきた門の辺りからしていた。耳を澄ませば、すぐそこにある篝火の中で薪が爆ぜる音の他に、微かに金属音が風に乗って聴こえてきていた。
何事かが起こっていることを確信する。その時、イリス達が今来たばかりの道を全速力で走って追いかけてくる門番の男の姿が飛び込んできた。
「っ、頭ー!敵襲です!そいつの仲間がっ!!」
走り寄りながら大声で男がイリスを指差した。その言葉に、イリスは瞬時に状況を察する。
「私のフラッデルはっ?」
「っ、この中だが、おいっ!」
ダンの返答を最後まで聞かずに、イリスは入り口の色鮮やかに模様が描かれた布を捲り上げて中に入った。
中は中央に大きな太い柱が立っており、この住居を支える造りになっていた。仕切りの無い一つの空間になっているが、外から見た時よりも大分広い。
イリスは布を捲り上げた状態で住居の内部に目を凝らす。木や陶器など温かみのある物で構成された調度品の中に混じって、その場に不釣り合いで異質な、鈍く光る金属が壁面に立て掛けられていることに気付いた。
瞬時にフラッデルを掴み、隣に立て掛けてあった自身の剣も掴むと表に飛び出し、すぐさまフラッデルに足を置いて起動させた。
「おい!待てっ!!」
後ろからダンの制止の声が聞こえたが、イリスは一切構うことなく突風の如くその場からあっという間に飛び去っていた。




