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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第四章 国を隔てる連峰
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国を隔てる連峰

 イリスを攫った一行は木々が鬱蒼と生い茂る森の中を抜け、少しずつ見晴らしの良い斜面に出てきていた。


 あれからどれぐらい走っただろうか。

 標高が高くなってきたことで視界を遮る木々が徐々に少なくなり、今では背の高い木どころか、月明かりに照らされる地面には草花ですら所々にしか生息していない。

 徐々に地表は赤茶けた砂と石が混じる無機質なものに変わり、空気が薄く気温も低い過酷な環境のため、生命の息吹は感じられなくなってきていた。


 ストレアル山脈唯一の登山道ならばもう少し整備されており旅人などでも歩きやすくなっているだろうが、一行はこうした道なき道を延々と走り続けていた。


 緑頭は相変わらずイリスを肩に担いだまま、傾斜のきつい山道を走っている。イリスとて一般女性の平均体重はある。よく体力が持つものだとイリスも感心せざるを得なかった。


「……」


 イリスは緑頭の背から顔を上げ、今通り過ぎたばかりの道を見遣る。


 今通っている道が一瞬で遥か後方に消えていく。そのぐらい一行の移動速度は速かった。整備されていない山道であり斜面であるにも関わらず、である。

 (かしら)が先程イリスに『足手纏いはごめんだ』と言ったのも、癪ではあるが認めざるを得なかった。

 あの暗闇の森の中をこの速度で走り抜けられるかと問われれば常人にはまず無理だ。余程の土地勘と夜目が利かなければ無理である。

 きっと姿を隠して追って来てくれていたであろうレオンとロイも、一行を見失ったのではないかとイリスは思っていた。


 少なくとも今見える後方の範囲に、レオンかロイの姿は見当たらないし気配も感じられなかった。

 ある程度まではイリスを追ってきていたかもしれないが、それ以上の追跡は一旦諦めたのかもしれなかった。

 イリスが連れ去られた時に気を失わされたリュカは当然麓に置いてきているだろうし、置いてきているのならば今いるこの場所は麓から離れすぎている。追跡を止め一旦戻るだろうと思われた。


 イリスは後方を気にするのを止め、緑頭に担がれたまま頭を上げて空を見上げた。

 雲一つない夜空には欠けた月が輝き、無機質な地表を煌々と照らしている。担がれた状態で身体を捻り前方を見ると、遠くに見える山頂は雪を纏っているため月明かりを反射しており、ストレアル山脈の稜線が良く見えた。


 ストレアル山脈は八千メトル級の山々が連なった連峰で、大陸を斜めに横断するように存在している。


 このストレアル山脈があるためにラプェフェブラ大陸は大きく二つに分断される形になっており、ストレアル山脈の北側にドルシグ帝国、ウィレンツィア王国、サンスタシア帝国があり、そして山脈の南側に、エダルシア王国とオートレア王国があった。

 地図上では北のドルシグ帝国と西のオートレア王国は隣国であるにも関わらず、ストレアル山脈があるためにぐるっと迂回して向かわなければならず、一番遠い国同士となっていた。


 何故この二国間に道が切り開かれていないのかというと、八千メトル級の山脈であるが故に、この温暖なラプェフェブラ大陸にあってもその頂上付近は一年中雪と氷に閉ざされているからだ。

 その上連峰は切り立った崖の様な場所が多く、山肌をよじ登るようにして登らないといけない箇所が存在するため、整備された登山道以外でこの山を踏破したという事例は未だに存在していない。


 そんなストレアル山脈ではあるが、サンスタシア帝国とエダルシア王国を繋ぐ唯一の登山道があるこの場所だけは、一番標高が高い所でも三千メトル程しかない。

 故に登山道が整備され、ここは国家間を繋ぐ唯一の道として移動する人々の往来や陸路での交易の要所として機能していた。

 ちなみにサンスタシア帝国側、エダルシア王国側の登山道の中腹には宿場も設けられており、軽装の旅人でも国家間を移動できるぐらいには整備されていた。




「降ろせ」


 気付くと頭が足を止めてこちらを振り返っていた。それを見て追随していた男達が次々に走るのを止める。

 緑頭は歩みを止めると頭の指示通りに、イリスの足を地面に降ろした。


 まだ揺られているような感覚に陥るが、イリスは軽く頭を振ってそれを振り切る。

 緑頭はイリスを降ろすと頭に近寄り、小声で何かしら伝えている。すると頭も、緑頭の報告を受けて同じように耳元に口を寄せて何らかの指示を出していた。

 直後、緑頭は周囲の男達に向けて手をひと振りする。合図を受けて、緑頭と共に男達は何処かへ向かって駆けて行ってしまった。


「……」


 その様子を呆気に取られながら黙って見ていたイリスは、男達がいなくなった周囲をぐるりと見渡した。

 標高が上がったため草木も生えない不毛の場所を走っていたが、どうやら上ばかりを目指して走っていたわけではないようだ。今いる場所はまた所々木々があり地面には草が生い茂っていた。


「おら、行くぞ。ついてこい」


 辺りにはもう誰もおらず、目の前には頭一人が佇んでいる。

 イリスは漸く相対した頭を、じっくりと眺めた。


 この夜空の様な漆黒の髪が風に靡いている。全体的に短く切り揃えているのに襟足だけは伸ばしているようで、一束の髪が紐で無造作に括られていた。

 先程イリスを取り囲んでいた男達の体躯も屈強な戦士と言った感じだったが、頭はそれよりも一回り身体が大きいように感じた。年の頃は三十代後半といったところだろうか。

 そして何より印象的なのが、屈強なその顔を半分覆うように付けられている左目の眼帯だった。真っ黒な眼帯が左目を覆うせいで、この暗闇では頭の表情が読み取りにくかった。


 先程攫われた時はリュカが人質に取られていて相手の容姿を細部まで把握することが出来なかったので、イリスはこの機にまじまじと頭を観察していた。


 そうしてイリスに見られている頭はというと、声を掛けたのに一向にその場から動く気配なく自分を不躾に見るイリスを見て、髪の色と同じ漆黒の右目を眇めて面白そうに笑った。


「取って食いやしねぇよ。お前さんの貧相ななりじゃ俺は無理だ」


 ガハハと豪快に笑って手を振ると頭は踵を返して歩き始める。

 一瞬何を言われたのか分からなかったイリスだったが、直ぐに自分が女性として馬鹿にされたのだと気付いた。


「なっ!」


 イリスは顔を真っ赤にして憤るも、頭はそんなイリスの様子に愉快そうに笑うばかりでこちらを振り返りもせず、木立を掻き分けて森の奥へ奥へと進んでいく。


 まだ腹の虫がおさまらないものの、イリスは『山岳民族と仲良くしておけ』という当初の目的を思い出し深く息を吐くと気持ちを落ち着かせた。

 なにより、こんな夜に何処かも分からない場所に何も持たず一人置いていかれても、イリスには為す術がない。イリスは多少の蟠りを腹の内に抱えながらも、頭の後を追って歩き始めた。



「はっ、はぁ、……はっ」


 深淵の森の中を頭は平坦な道であるかのように歩みを進める。しかし、その後ろを行くイリスはその姿を見失わないようにするので精一杯だった。


 まだ夜の深い時間帯ではないのだが、先程開けていた時に真上にあった月の光はこの森の中では木々に遮られて地表までは殆ど届かない。イリスは葉の隙間から僅かに溢れ落ちた光を頼りに、何とか歩ける場所を探し出して歩みを進めていた。

 しかし踏み出した足は思わぬ石にバランスを崩したり、かと思えば落ち葉で体積が増していただけの陥没した足場に足を取られたりと、まともに歩くことすらできないでいた。

 如何にイリスが鍛え抜かれた騎士だとしても、この暗がりの森の中を普通の速度で歩く頭に付いて行くのは至難の業だった。


 そんなイリスに構うことなく、頭は飄々とこの暗がりの森の中を抜けて行く。イリスを誘拐してきたのはそちらだが、もはやイリスを気にする様子は一切無かった。

 放っておいても勝手についてくるだろうと思われているのがありありと見て取れる。それがイリスには少し癪だったが、しかし実際ここで一人取り残されても困るのはイリスだ。置いていかれる訳にはいかなかった。


「……わりと根性あるじゃねぇか」


 不意に頭が歩みを止め、イリスを振り返った。すでに二人の間には大分距離があった。


「……」


 イリスは思考が上手く働かず、歩きながらだったため余計に返答に詰まってしまった。足元に気を取られながら夜の森を歩くのは、想像以上に神経を擦り減らしていたようだ。


 イリスも足を止め頭と相対するが、無言を反発と受け取ったのか頭はガハハといつもの豪快な笑い声を上げる。僅かに片側の口角が上がり、白い歯が見えたのがこの暗がりでも分かった。


「……お前さん達は何者だ。何の為に山脈を越えようとしている」


 頭は先程までの笑いを収めると、急に態度を一変させ鋭い視線をイリスに向けてきた。

 この暗がりでこの距離でさえ、あの漆黒の闇のような瞳がイリスを射抜いていることが分かった。


 イリスはここで初めて、頭がイリスを攫った理由が分かった気がした。


「……今まで歩かせていたのは、撹乱の為ね」

「ああ」


 胸の前で腕を組み仁王立ちの男を睨みつける。頭は尚も面白そうにイリスの動向を見ているだけで多くは語らなかった。


 おそらく頭は、明らかに普通の旅人ではないイリス達を怪しんでいたのだろう。


 今日の日暮れ前に登山道の入り口付近に差し掛かったばかりなので、どの段階から怪しまれていたのかは不明だが、不審な旅人であるイリス達の真偽を確かめるために接触を試みたのだろう。

 だが接触してみた結果、フラッデルを持っているなど更に怪しさしかなく、こうしてイリスを仲間から分断させたのだ。


 一人になったところでイリス達の目的などを問いただすつもりだったのだろうが、途中で降ろされた時、緑頭が頭に何かを言っていた。

 おそらくイリスがずっと経路を見ていたことなどを伝えたのだろう。故に、そこからは徒歩で森の中を歩かされたのだ。


 イリスは緑頭に担がれながら、流れゆく景色をしっかりとその目に焼き付けていた。今夜は幸いにも月が出ている。月の位置で大体の時刻が分かれば、凡その方角は推測できた。それに加えて緑頭の大体の歩幅と速度を考慮すれば、進んだ距離も分かる。レオンとロイが万が一イリスを見失っても、朝にさえなれば一人でも下山できるとイリスは踏んでいた。

 だからこそ頭は今まで担いでいたにも関わらずイリスを降ろすと闇雲に歩かせ、イリスの方向感覚を乱したのだろう。実際月も見えないこの場所では、頭から離されないように付いて行くことに必死で、イリスは何処を歩いてきたのかもはや皆目見当もつかない状態だった。


 そうなってくると、おそらく先程草木も生えない標高の高い所まで登ったのも、態とだろうと思われた。

 それはイリスではなく、追随していたであろうレオンやロイに対しての対策だ。あのように植物など身を隠す物が何もない場所では尾行は継続出来ない。振り切れなかったレオンやロイを撒くために、敢えて視界が開けたところを一旦通ったのだろう。


「よく付いてきたもんだ。大したもんだよ」


 頭がゆっくりとイリスの方へと歩み出す。それはイリスへの称賛か、尾行しながら追随してきていたであろうレオンやロイに対しての称賛かは分からなかった。


 夜の暗さを更に黒く塗りつぶす木々の葉が、僅かな風に吹かれ擦れる音だけが辺りに響いている。まだ草木が生息するとはいえ、標高は大分高い。他に生き物の気配は全く無かった。

 真っ暗な闇の世界に、只二人だけが存在しているかのようだった。


 しかし存在しているはずの目の前の人物からは、一切の物音が感知できなかった。

 一歩を踏み出すたびに足元の枯葉や小枝を踏んでいるはずなのに、それらの音どころか動く際の衣擦れの音すら聞こえてこない。

 流れるように近付いてくる様は風が舞っているかのようで、この世のものではないような感覚に襲われイリスは身動き一つできず頭が近付いてくるのをただ黙って見ていることしかできなかった。


 いつの間にか目の前まで来た巨躯が、微動だにしないイリスの顎を掬い上を向かせる。

 目が合うと、片方だけ見えている瞳がゆらりと揺れ、そしてゆっくりと眇められた。


「もう一度問う。お前達は何者だ」


 広大な森の中に居るはずなのに、イリスは堅牢な檻の中に囚われたような、そんな錯覚に陥っていた。






1キリル:1キロメートル

1メトル:1メートル

1メタリ:1センチメートル

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