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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第四章 国を隔てる連峰
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誘拐

 その日の陽が傾きかけた頃に、一行はストレアル山脈の登山道入り口付近に辿り着いた。

 まだ道は平坦で視界も開けているが、行く先には鬱蒼とした森が広がっている。足元の地面は今は草地だか、徐々に小石が混じるようになり道も険しくなっていく。


 夜間にこの先に進むことは危険と判断し、今夜はこの場所で野営をすることになった。

 明日の朝早くから山道に入ることにしたため今日は早めに就寝することになり、準備のため各々が迅速に動き始めた。

 


「イリスー」


 火起こしをしていたイリスに、後方から声が掛けられる。

 振り返ると、大きく手を降りながらこちらに向かってくるロイの姿があった。もう片方の手には、近くに川があったのか何匹かの魚を刺した木の枝が握られている。隣には、同じく木の枝に刺した魚を持ったレオンがいた。


「近くに川があった。この先は何日か身体も流せないだろうから、浴びてきてもいいぞ」


 二人は周囲の状況確認と食材集めに行っていたのだが、その過程で見つけた川の場所をレオンが指で差し示した。

 昨日まで風呂を使えていたので今日はそれ程汚れてはいないのだが、この先は山道となり途中にある山小屋までは身体を拭けない日が続く予定だ。山小屋に辿り着いたとしても、険しく標高の高い山の上では水も貴重となる。


「ん、じゃあ行ってくる」

「ああ、俺達も後から交代で浴びるつもりだ。先に行ってこい」


 ここは甘えることにして、火の番を頼むとイリスは教えて貰った川辺に向かって歩き始めた。


 野営地から生い茂る森の中を歩いていくと、川幅が狭い小さな小川に出くわした。

 森の中なので薄暗がりではあるが、まだ陽が落ちていないので川の中をゆったりと泳ぐ魚影も見える。水は雪解け水のため澄んでおり、川底まで見渡せた。


 後から水浴びをする男性陣は、三人で来て誰かが松明も持ってくるだろうから暗くなっても大丈夫だろうが、あまり時間を掛けるのも申し訳ない。

 イリスは後ろを振り返ってここから野営地が見えない事を確認すると、身体に斜め掛けしたフラッデルを固定しているベルトと剣帯を外して川淵の大きめな石の上に剣とフラッデルを置き、シャツの釦に手を掛けた。


 見られていないとはいえ、屋外で裸になることには抵抗がある。イリスは騎士として訓練や作戦のために野営をする際も、肌着は着たままで身体を拭くに留めていた。

 釦を外し終えシャツを脱ぎ潔く肌着と下穿き姿になると、フラッデルと剣の上に簡単に畳んで置いた。ここならば濡れることはないだろう。


 ゆっくりと確かめるように手を伸ばし、持ってきた布を川の中に浸す。

 一年を通して温暖な気候のラプェフェブラ大陸ではあるが、この時期の夜間は少し涼しく川の水はひんやりと冷たく感じた。

 イリスは川から引き上げた布を軽く絞り、身体を順番に拭いていく。最初に布を腕に置いた時はその冷たさに身体が少し跳ねたが、すぐにその冷たさにも慣れ手際よく拭き進めた。


 両腕を拭いて布を首元に持っていった時、イリスはふとマリーの詰襟の服の事を思い出した。


 イリスは帝都で、家では女の格好をするようにアイザックから口煩く言われていた。

 それはきっと騎士として過ごしながらも、王女としての本質を失わせないためのアイザックの苦肉の策だったのだろう。一国の王女を預かったのに、男装の男女になりましたでは言い訳が立たない。

 そのためワンピースもよく着ていたのだが、詰襟の服は初めてだったのだ。


 元々服を緩く着るのが苦手で釦をしっかり上まで留めて着る性質であり、露出のある服が好きではないイリスにとって、詰襟の服というのは着ていて心地好い物だった。少し軍服を思い出させ、懐かしくもあったのだ。


 イリスがそんな物思いに耽りながら身体を拭いていると、陽が稜線の向こうに沈んだようで森の中には急速に夜の闇が落ち始めた。家路を急いでいた鳥の囀りが遠くに去り、辺りは徐々に静寂に包まれ始める。

 つい今し方までオレンジ色と蒼のグラデーションであった空が、あっと言う間に濃い紺色に塗り替えられていく。世界は少しずつ色を濃くして周りを見えなくし、ありとあらゆる音を自分の周りから消し去っていくようだった。


 イリスは世界に自分一人だけしか居なくなってしまったような孤独を感じて、不思議な心境だった。


「!」

 

 そんな感傷に浸っていると、不意に森の奥でパキン、と小枝を踏む微かな乾いた音が響いた。

 イリスは反射的石の上に置いた剣を手に取る。そして音のした方に視線を凝らすと、後方奥の木の陰にリュカがいるのが見えた。


(なんだ、リュカか)


 素人が闇雲に森の中を徘徊するのは危険なので、レオンはリュカに周辺で薪を集めるように指示していた。だが陽が落ちて急激に辺りが暗くなったために、おそらく帰り道が分からなくなったのだろう。

 辺りの暗さのためにリュカはまだイリスに気付いていないようで、不安な顔で周囲を見回している。襲撃や不測の事態でなかったことに安堵していると、イリスはふと自分の格好に気が付いた。


「っ!」


 肩紐で吊られているような形状の肌着からは、普段は隠されている胸元や長い腕が完全に露わになっている。肌着の丈が長いのでギリギリ下穿きは隠れているが、そのすぐ下からはイリスの真っ白な脚がすらりと伸びていた。

 咄嗟に状況を把握したイリスは、まだリュカがこちらに気付いていないにも関わらず顔を真っ赤にして、急いで剣を置いてシャツを手に取り羽織った。


 だが焦って行動したために、かえって物音が周囲に響いてしまう。その音に気付いてリュカがイリスの方に視線を向けた。


「っ!!いや、違っ!その、薪を、迷って、あの!」


 まさに着替えの真っ最中のイリスとリュカの目が合う。

 その瞬間、この距離からでも分かるぐらいリュカが大いに狼狽えた。


 咄嗟に顔を反らし、手を勢いよく振って否定を強調しながらこちらに届くように大声でリュカが喚く。

 その様子が何だか可笑しくて、羞恥と焦りで慌てていたはずのイリスは妙に落ち着きを取り戻し、ズボンを履くとシャツの釦を留めながらリュカを安心させようと声を掛けた。


「大丈夫、分か……っ!」


 イリスがリュカに声を掛けたまさにその時、リュカの姿が一瞬で見えなくなった。神隠しにでもあったかように、刹那にその姿が搔き消えたのだ。


「……」


 同時に、イリスは周囲を囲まれていることに気付く。木陰から音もなく現れた自身を取り囲む四人の男を、イリスは黙って睨み付け牽制した。

 距離としては間合いの外だ。しかし余所事に気を取られていたとはいえ、取り囲まれるまで全く気配を感じ無かったのが不思議だった。

 殺気が無いのも気になるが、だからといってここまで気配を気取らせないというのもかなりの実力を窺わせた。


(ドルシグの手の者では無さそうだけれど……)


 イリスを取り囲む男達は、前を合わせるような上着を着ており肩からは反対側の腰へ斜めに帯がかけられ、それらを腰の所に巻いた帯で留めていた。

 民族衣装のような出で立ちであり、ドルシグ帝国の兵士がわざわざこんな格好をして襲撃してくるとは考えにくかった。


 けれどどんな可能性も視野に入れて事に当たらなければならない。イリスは油断なく周囲に目を配らせた。

 相手との距離はまだあり、視線だけ下に向けると直ぐ下に先程置いたばかりの剣がある。手に取り一瞬で鞘から抜けば、余裕で四人を相手に出来るだろう。


(でも……リュカの安否が分からない)


 イリス一人なら、この状況をどうにかすることが出来るのだが、リュカが無事かどうか分からずイリスは手を出すことができないでいた。


 リュカは先程、目を疑うような素早い動きで一瞬で木陰に引きずり込まれていたのだ。

 イリスでも一瞬何が起こったのか把握できなかった程だ。リュカを捉えている者が、今イリスを取り囲む四人よりかなりの手練れなのが気配で分かる。


(でも、どうしてリュカを捉えたのかしら)


 対外的に見てイリスとリュカならば、普通女であるイリスを人質にするものである。しかもわざわざこの中で一番の実力者がリュカを捉える役に徹している真意をイリスは測りかねていた。


(かしら)ぁ、こいつフラッデル持ってますぜぇ」


 イリスを取り囲む一人が下に置かれた剣とフラッデルに気付いたようだ。奪われる前に手に取ろうかと思ったのだが、イリスは直ぐに思い直して手を止めた。


(この者達が、ストレアル山脈に住んでいる山岳民族なのかしら)


 先程の気配の消し方一つをとっても只者でないことが分かる。下手に動いてリュカの身を危険に晒さないためにも、イリスは動くことができなかった。


 イリスを取り囲む四人がじわじわとその距離を詰める。イリスは抵抗することなくただ黙っていた。


「小娘ぇ、さっきの勢いはどうしたぁ?もう睨まないのかぁ」


 先程フラッデルにいち早く気付いた男が、イリスの間近まで迫ると顔を覗き込んできた。

 緑色の髪を短く切り揃えているので、左の蟀谷から頬に向かって付いた刀傷がよく見える。独特の抑揚が付いた喋り方をするが、低い声色のせいか聞き苦しくはなかった。

 

(かしら)ぁ、どうしやすかぁ」

「その娘だけを連れて行く。荷物も忘れるな」

「「「「アイサー」」」」


 おそらくフラッデルを持っていることで、凡そこちらのことが分かったのだろう。

 フラッデルは本来個人で所有できる物ではない。それを持っているという事は、王族など国の要人か、それに近い位置にいる者だけなのだ。


 イリスを取り囲む男達が指示に対して一斉に返事を返すと、頭とやらが木陰からリュカを伴ってその姿を表した。


「リュカ!大丈夫!?」


 頭は片手でリュカを後ろ手に捻り上げ、もう片方の手で口を塞いでいた。

 リュカは拘束されているものの危害は加えられていないようで、手足を勢いよくバタつかせて抵抗していた。

 

「後の二人が来ると厄介だ。さっさとズラかるぞ」

「っ!リュカ!」


 指示と共に頭がリュカの首裏に手刀を入れた。それまで頭の腕の中で暴れていたリュカの手足が急に力なくダラリと重力に添って垂れ下がり、顔からも表情が消え失せる。


 頭は気を失ったリュカから手を放すとその場に置き捨てた。おそらく命に別状はないだろうが、気を失っているせいで力の入っていないリュカの身体は、そのままドサリと川端の地面に叩きつけられる。

 イリスは無言の抗議を視線に込めて頭を睨みつけた。その視線に気付くも、頭は大して気にした様子もなく片手を振り上げた。


 合図に従い、イリスを取り囲んでいた男の一人がイリスの手を掴もうする。だがイリスは咄嗟にその手を払いのけた。


「一人で歩ける」


 言外に触るなと告げると、頭が後方から豪快に笑った。


「ガハハハ、威勢のいい娘だな。しかしこの先は路が険しい。足手纏いはごめんだ」

「……なっ!」


 言い終わるや否や頭は走り出し、暗い森の奥へと躊躇なく進み始めた。

 呆気に取られ頭の動きを目で追っていたら、イリスは急に自分の身体がふわりと宙に浮いたのを感じて意識を戻した。

 見ると、イリスの身体は緑頭の肩に、後ろ向きで二つ折りになって担がれている状態だった。


「ちょっ!降ろして!!」


 イリスは目の前にある緑頭の背中を叩きながら抗議の声を上げる。結構な力を込めたつもりだが、緑頭は動じる様子もない。


「そいつは無理な相談だぁ。そら、口閉じてないと舌噛むぜぇ」


 緑頭はイリスを担いだまま、暗い森の中を頭の後を追って軽快に走り始めた。残りの男達がイリスの荷物を持ちそれに追随する。


「……」


 逃れようと思えばできなくもない状況ではあったが、イリスはそれ以上の抵抗を止めた。

 不安がないわけではないが、おそらく途中からレオンとロイも男達の気配に気付いてこの状況を何処からか窺っていただろうと思われたからだ。あの二人が気が付かないわけはない。

 あえて介入しなかったのは、イリスと同じことを思ったからだろう。


 ゲイリーが言っていたのだ。『ストレアル山脈に住んでいる山岳民族の連中と仲良く』しておけと。


 まだイリス達を狙う彼等の目的も分からない。だが彼等にこちらに危害を加える気がない事だけは分かっている。身ぐるみ剥がすつもりならばこの場で実行すればよく、イリスを連れて行く理由がないのだ。


 イリスはされるがまま緑頭の肩に担がれながら、連れ去られる場所までの道を覚えようと必死で夜の闇が深くなる森に目を凝らし続けた。






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