終結
肩より長い黒髪を後ろで一つに束ね上空にて眼下の様子を黙して窺うその姿は、傍目からは威風堂々たるフラッデル隊の騎士そのものだった。
(ところで……この後どうするんだ?)
しかし当の本人はというと、物凄い焦りを感じていた。
作戦としては予定通りバルボックをはじめとした護衛らの足止めに成功している状況だが、リュカは自分が登場した後、どうすべきなのか分からなかった。
昨晩の作戦会議の際フラッデルに乗る乗らないで揉めた結果、登場した後どうするかを聞くのをすっかり忘れていたのだ。
フラッデルに乗るだけでもいっぱいいっぱいな状況の中で、これ以上リュカは余計なことを考える余裕がなかった。
考えることを早々に放棄したリュカは、黙して待つことにする。早くゲイリー達が到着するのを祈る他ない。
そんな中、今までフラッデルに乗って浮いていることで精いっぱいで全く耳に届いていなかったバルボックの声が、不意にリュカの耳に届いた。
「俺はお前等の為を思ってやってきたんだ。とやかく言われる筋合いはないっ」
帝都の騎士の登場に湧き上がっていた観衆の中から、バルボックを悪し様に言う声が聞こえ、それに対してバルボックが反応したようだった。
今まではバルボックからの報復が怖くて口に出せなかった言葉も、帝都の騎士が見ている前という事で気が大きくなり口にしているのだろう。
観衆は声をあげた一人につられて、今こそとばかりに次々に不平や不満を口にし始めた。
最初はたった一言であったものが、今や水面に波紋が広がるかのようにたくさんの声となって広がっていく。街道を埋め尽くす観衆からは、バルボックへの非難の声が止めどなく溢れていた。
だがそんな烏合の衆の悪態になど怯むことなく、バルボックは観衆に向かって罵声を浴びせ続けていた。
(早く止めないと!)
今にも暴動に発展しそうな勢いに、後方に控えていたイリスが慌てて前に出て止めに入ろうとする。だがその動きは、リュカの声によって遮られた。
「お前の理想を他の奴等に押し付けんなよ!」
登場以来黙していたリュカが大声を上げたことで、街道に集まっている全員の動きと言葉が止まった。上空からの声は、通りの端の方まで良く響いた。
真上からの突然の怒声に、バルボックもリュカを見上げる。
先程までは群衆に向かって負けじと声を荒げ意味の無いことを喚き散らしていたのだが、周囲が沈黙に包まれたことで幾分冷静さを取り戻したようだ。
「ふんっ!今よりいい暮らしをさせてやろうっていうのに、何の不満がある!」
リュカの言葉に鼻を鳴らしながら、厭味ったらしい口調でバルボックが言い放つ。わざと聞こえるように「若造がっ」と付け加えるその顔は、醜悪に歪んでいた。
そんな悪態に怯むことなく、リュカは真下を見下ろしながら声を更に張り上げた。
「誰もそんなの望んでねぇよ。もし一旗揚げて金持ちになろうってんなら、こんな辺鄙な町なんかとっくに出てもっと大きな町なり帝都に行ってるさ」
黙って二人のやり取りを聞いていた観衆から、「そうだそうだ」という賛同の声が次々に上がる。その声に苦々しく顔を歪めるが、バルボックも一歩も引かない。
「金は無いよりある方が幸せだろうが。俺がお前らを幸せにしてやろうって言ってるんだ。感謝して欲しいぐらいだねっ」
聞き逃せなかった一言に、リュカの表情が歪む。その一言は確実にリュカの中の地雷を踏んだ。
言い表しようもない怒りがリュカの足元から脳天へ駆け抜ける。
何かに当たり散らしたいがここは上空。拳を叩きつける壁も足で蹴り上げる物も何もない。この怒りをどうしていいか分からずに、リュカは爪が食い込むほどに強く拳を握り締めた。
「人の幸せをお前が決めるな。お前の幸せを人に押し付けるな。お前の幸せの為に他の人を犠牲にするなっ!」
地を這うような低音が響き、バルボックも先程までリュカに賛同の声を上げていた観衆も一瞬にして押し黙った。
声を荒げているわけでもないのに、静かに紡がれたその怒りを孕んだ一言一言に人々の心臓が竦み上がった。
「……」
怒りに震えるリュカの背中を、後方に控えていたイリスは驚きと失意を抱えながら見つめていた。
リュカは今まで見たことも無いくらいに怒りを顕わにして我を忘れかけている。暴走するようならば止めなければならない。だがリュカの口から紡がれる生きた言葉を耳にして、イリスはただ黙って見ていることしかできなかった。
リュカがバルボックに対して言っていることは、おそらく自身の体験からきているのだろう。
ある日突然、ドルシグ帝国によってウィレンツィア王国の人々が不当に奪われた日常。状況は違えどリュカは今、バルボックにエルヴィン皇子を重ね合わせているのかもしれなかった。
リュカの口から紡がれる言葉は、ウィレンツィア王国民の心の声のようだったのだ。
それに対して、ウィレンツィア王国の、それも王女かもしれないイリスが今持ち合わせている言葉は何もない。
ナリシェの町の人々のために、イリスがバルボックに対して言えることは一般的な第三者の意見だけだ。そこには深みも重みも何もない、ただの薄っぺらい言葉でしかない。
元々この旅は、イリスの記憶を取り戻すための旅路であり、イリス自身、記憶を取り戻すことは大事だと考えていた。しかしイリスは自身の記憶が無いことを、今回ほど歯痒く思ったことはなかった。
王女として人の上に立つ立場でありながら、現状は薄っぺらで空っぽな自分が露呈する。
ウィレンツィア王国民が苦しんでいた八年間、自分は記憶が無いのをいいことに、平和な中で安穏と過ごしていたのだ。イリスに途轍もない後悔が押し寄せていた。
今初めて触れたウィレンツィア王国民の心の叫びに、胸が引き裂かれる思いだったのだ。
「坊主の言う通りだな。俺達は誰も金なんか望んでない。ここでの穏やかな暮らしが皆好きなんだ」
イリスの思考を遮るように、通りの向こうからよく通る声が響いた。リュカの言葉に静まり返っていた観衆は、その声がした方向を一斉に振り返った。
徐々に人垣が割れて、その声の人物等が悠然とこちらまで歩いて来るのが見える。バルボックの手前まで来ると、いくつもの紙の束を抱えたゲイリーがゆっくりと立ち止まった。
ゲイリーの持つ紙の束を目にしてわなわなと身体を振るわせ始めたバルボックを余所に、ゲイリーは上空を見上げて片手を挙げた。
「よう、名演説だったな」
口角を上げてニヤリと笑うゲイリーに毒気を抜かれたのか、全身から放たれていたリュカの怒りが幾分和らぐ。その隙に、我に返ったイリスも行動を起こした。
手を伸ばしてリュカの上着の裾を引っ張ると、フラッデルごとリュカをイリスのいる屋根の上に引き戻したのだ。
「うおっ!」
急に後方に身体を引かれてバランスを崩したリュカが、屋根の上に倒れ込む。咄嗟に手を付いたので身体をぶつけることは無かったが尻餅をついてしまい、リュカは痛む尻を擦りながら非難の視線をイリスに向けた。
だがイリスはそんな視線を気に留めることなく、倒れているリュカの隣にゆっくりとしゃがみ込んだ。
「私、頑張るね」
「……何を?」
突拍子もないイリスの発言に、リュカが身体を起こしながら首を傾げる。
「……なんでもない」
訝しがるリュカに、イリスはただ微笑んで見せた。
(いつか、しっかりと王女として皆の前に立てるようになりたい)
決意を新たにすると、イリスは眼下に視線を戻した。
ゲイリーの登場で集まった観衆の視線はそちらに向いていたようで、リュカの転倒しながらの退場は目撃されなかったようだ。
リュカが威風堂々たるフラッデル隊の騎士としての役割を最後まで全うできたようで、イリスはほっと息を吐きだした。
「!」
ふと、イリスの頭に温かいものが触れ、顔を上げる。見ると、同じようにイリスの隣にしゃがみ込んでいたリュカが、イリスの頭に手を乗せていた。
「あんまり気負うなよ。いつも言ってるけど、俺達は見つけた王女を表舞台に引っ張り出そうとは微塵も思ってない」
「……ありがとう」
それでも頑張らなければならない時があると言い返そうと思ったが、結局リュカに言い負かされそうな気がして反論するのを止め、イリスは素直に感謝を述べた。
「!!」
イリスの返答に、気を良くしたリュカがイリスの頭を撫でた。
驚いたイリスは咄嗟に飛び退きリュカと距離を取る。そのあまりの素早さに、リュカは驚いて目を見開いた。
「嫌だったか?」
リュカの表情を目にして、イリスは過剰に反応してしまったことを瞬時に悔やんだ。
レオンやロイはよくイリスの頭を撫でている。それを見ているだけに、リュカも同じ行動に出ただけなのだろう。それなのに、リュカの時だけ飛び退くなど嫌がっているような反応だ。
「あ、いや、えっと、……リュカに子ども扱いされるなんて、初めてだから」
言い訳がついしどろもどろになる。胸の前で否定を表すために懸命に振った手も、大袈裟だったかと思い至るとその勢いを急速に失くしていった。
イリスはもうどうしていいか分からず視線を彷徨わせる。自分が何をしたいのか、何を思っているのかすらもよく分からない。
しかしそんなイリスの機微に全く気付く様子もなく、イリスの返答をどう捉えたのか、リュカは悪戯っぽっく笑って見せた。
「俺がイリスより年上風を吹かせられる日が来るとはな。これを機に年上と崇めてもらってもいいぜ」
剣の訓練だけでなく日常においても、リュカがイリスより上の立場になることは今まで一度も無かった。それ故余程嬉しかったようだ。
ここぞとばかりに年上を押し出してくるリュカに他意は無いようで、過剰な反応に対して嫌悪感を抱かれなかったことにイリスは人知れず安堵した。
「それはリュカが、私より強くなったらね」
心中の様々な思いを誤魔化すように話を合わせる。
リュカはイリスの心情など一切気付かず、言葉通りに受け取ると「今に見てろ」とやる気を見せていた。
イリスがほっと息を吐いていると、地上からわっと歓声が上がった。
眼下に視線を戻すと、ゲイリーが膝から崩れ落ちているバルボックに手を貸して、立たせているところだった。
「バルボックさん、俺達はあんたを断罪したいわけじゃないんだ。帝都に突き出したいわけでも、罪を償ってほしいわけでもない」
ゲイリーの声が項垂れるバルボックに届く。顔を上げたバルボックは驚きに目を見開いていた。
「この町の人々はあんたにもあんたの先祖にも感謝してる。今回はちょっとばかし一人で暴走しちまったんで俺達もこういう手段に出たが、俺達は出来れば、これからもあんたと一緒にこの町を良くしていきたいと思ってるんだ」
ゲイリーの言葉に、みるみるバルボックの瞳が潤み始める。そしてそれが溢れて零れ落ちる前に、バルボックは再び俯いてそれを隠した。
その姿に、集まった観衆からも温かい言葉が投げ掛けられる。この町はもう大丈夫だろう。
「……」
そんな和やかに纏まった雰囲気の中で、イリスは一人、先程のよく分からない感情を抱えたまま悶々としていた。
しかし、周囲は最早お祭り騒ぎである。イリスは自分でも持て余している感情に蓋をして、歓声に沸く地上に向かって拍手を送り続けた。




