ゲイリーの情報網
「……おじゃまします」
今は真夜中であるため、控えめに声を掛けながら再びゲイリー宅の扉をくぐる。
すると次の瞬間前から腕が伸びてきて、イリスが何か言う前にその腕がイリスの首に絡みついた。
「何それっ。ご丁寧に頭まで下げちゃって!可愛いいっ!」
イリスは前を歩いていたマリーに、ぎゅっと抱きしめられていた。
宿屋の廊下で色々あったものの、イリス達はその後大人数で動くと目立つため、二手に分かれてゲイリー宅へと向かうことになった。
今回リックとマリーが遣わされたのは、元々その予定だったかららしい。ゲイリーは残念ながら年齢的なこともあり覚えることが苦手なのだそうだが、マリーならリックと同じく町中の監視カメラの位置を全て把握しているとのことで案内役として遣わされたのだそうだ。
そしてリックとロイとリュカ、マリーとイリスとレオンの二手に別れ、それぞれ別のルートを通ってゲイリー宅まで来たのだった。
そして現在、突然マリーに抱き着かれたイリスは驚いて首に回された腕を払い除けることも出来ず硬直していた。
「離れろ!」
咄嗟に後ろを歩いていたレオンがイリスとマリーの間に手を入れてマリーを引き剥しにかかってくれる。しかしやはりそこは細身で小柄でも男性というべきか、ちょっと力強く押されたくらいではイリスの首に回したマリーの腕が離れることはなかった。
「マリウスは女装しているだけで、中身は女の子が好きな男でしかないっすから。気を付けた方がいいっすよ」
「っ!お前いい加減にしろよ!」
先に家に着いていたリックが、昨日と同じようにお茶の準備をしながらのんびりと爆弾発言を投下する。リックの言葉に、マリーを払い除けようとするレオンの腕に一気に力が篭った。
「痛っ!何すんだよ!リックも余計な事言うんじゃねぇよ馬鹿」
レオンに吹っ飛ばされる勢いで床に尻餅をついたマリーは、レオンとリックを交互に睨み付ける。
ひとつ前の言葉遣いと声色とは百八十度正反対のその声に、イリスはただただ驚くしかなかった。
「……はぁ。お前らは何しに来たんだ。マリウスも揶揄うのを止めろ」
「ボスもその呼び方止めてよね!」
昨日同様、ダイニングのテーブルに腰掛けてイリス達を待っていたゲイリーは、入ってくるなりのこの状況に頭を抱えて溜息を吐いた。
「だってぇ、可愛かったんだもん」
「『だってぇ』じゃない。そいつが誰かも教えただろ。あんまり気安くすんな。怒られんぞ」
「えー」
「『えー』じゃない」
「ちぇ……」
立ち上がったマリーは軽く舌打ちをしたが、それ以上反論はせずにリックの元に向かうとお茶の準備を手伝い始めた。その様子を見て安堵したようにゲイリーが息を吐く。
「すまんな。悪い奴じゃないんだが、色々あってな。人との距離感みたいなのがちょっとおかしい奴なんだよ」
「いえ……大丈夫です。男の人だなんて信じられないだけで」
お茶の用意を手伝うマリーをまじまじと眺めて見ても、どこからどう見ても女性にしか見えなかった。
「ああ、そうだろうな。でも、そっちの兄ちゃんは最初から正体に気付いていたようだってマリウスが言ってたぞ」
最初に到着してリュカと共にダイニングのテーブルの前に佇んでいたロイは、ゲイリーから話を振られて肩を竦めた。
「この気温で常に詰襟の服を着ていたからね。喉仏を隠しているんじゃないかなって思ったんだ。それに手を握った時、節の太さとか掌の質感とか、男性っぽかったしね」
マリーが詰襟の服を着ていたことはイリスも気付いていた。だが二日とも同じようなデザインの服を着ていても特に疑問に思うことはなく、そういうデザインの服が好きなのだとイリスは勝手に判断してしまっていた。
それに昨日この食堂を利用した時に、ロイがマリーの手を突然握ったことを不思議に思ってはいたのだが、まさか男性かどうかを確かめるためだったとは全く気が付かなかった。
「服装で気付かれたのか……私もまだまだね」
「お茶が入ったっす」
ロイの観察眼に感心したように溜息を吐きながら、マリーがこちらにやってくる。続けて、リックが全員分のコーヒーを乗せた盆を持ってテーブルに戻ってきた。
だがダイニングのテーブルは、どう見ても四人掛けだ。
ゲイリーはすでに家の奥を背にして椅子に座っている。全員分のコーヒーのカップが乗った盆をテーブルに置くと、昨日と同じくリックがその隣に腰を下ろした。
本当ならイリスは遠慮したいところだが、昨日協力の依頼を受けたのはイリスである。ここは自分は座るべきなのだろうと察してイリスが向かいの席に腰を下ろした瞬間、その隣にグイッと身体を寄せてきた人物がいた。マリーだ。
「えへっ。お隣ゲット」
「イリスに近付くなっ!」
急に隣に座られイリスが驚いた瞬間、マリーの身体は再び吹っ飛ぶようにして椅子から床に転がり落ちていた。
「っ!痛いだろ、この馬鹿力!」
「マリウスッ!」
床に尻餅をつきマリーがレオンを睨み付けるが、同時に向かい側からゲイリーの鋭い声が飛んだ。
ゲイリーが声を荒げたのを初めて聞いたイリスも驚いたが、その声に一番驚いたのはマリーだった。肩をビクリと震わせて竦み上がると、その場に正座をして小さくなった。
「……ごめんなさい」
「ちょっとそこで、そのまま反省してろっ」
マリーは焦った様子で、俯きながらゲイリーの顔色をチラチラと伺っている。声を荒げられたことが相当効いたようだ。
とりあえずそのままイリスだけが椅子に腰を下ろしてゲイリーとリックと向かい合い、リュカ、レオン、ロイはイリスの後ろに立って話を聴くことになった。マリーはゲイリーの許可が出るまで、正座のようだ。
「先ずは自己紹介だな。聞いているかもしれないが、俺はゲイリー・ウォーカー、情報屋をしている。こっちはリック、そしてそこに座ってるのがマリウ『マリー』だ」
ゲイリーの言葉に正座で反省中のマリーが言葉を被せる。そんなマリーをゲイリーが一瞥し眉間の皺を深くしたものの、いちいち訂正するのを諦めたようで溜息を吐きながらそのまま話を続けた。
「俺はエダルシア王国出身だが、とある時期にドルシグ帝国に潜入していたんだ。こいつ等二人はその時に知り合って、一緒に出国した者達だ。あの国とはもう一切の関係がない」
ゲイリーの言葉に、イリスは隣で正座しているマリーを振り返った。マリーもドルシグ帝国出身だとは知らなかったのだ。
「で、そちらさんは?」
「あ、えっと、私の後ろに立つ彼がレオン、そしてロイ、リュカです。私とレオンとロイはサンスタシア帝国の騎士で、フラッデル隊に所属しています」
ゲイリーから話を振られて、イリスは後ろを振り返りながら皆を順番に紹介した。
フラッデル隊と聞いて何かを思い出したようで、ゲイリーがポンと手を打つ。
「ああ、近年サンスタシアのインペリアルガードに新設された隊か。嬢ちゃんが『白い悪魔』なんだから、そりゃ所属してるか」
ゲイリーの発言を聴いて、後ろから殺気を孕んだ鋭い視線がゲイリーに向かって放たれていることがイリスの背中越しにビシビシと気配で伝わってきていた。
ゲイリーの「嬢ちゃん」だの「白い悪魔」だのの言葉にレオンとロイが反応したようだ。
だがそんなことで言い争っている場合ではない。イリスは後ろを振り返ると二人に向けて首を横に振った。
「それで?リュカは何者なんだい?」
リュカだけイリス達と同じように紹介されなかったので、疑問に思ったようだ。
だがリュカの事情をイリスが話していいものか分からず、イリスが後ろを振り返る。目が合うとリュカは大丈夫だというようにイリスに笑って見せ、自ら話し始めた。
「俺はリュカス。ウィレンツィア王国の革命軍に所属している」
「……驚いた。お前さんは兄ちゃん達と同じく騎士じゃなくて、ウィレンツィアの革命軍か。……なるほどな、そうか」
瞠目しリュカを見た後、何かを思案するように顎に手を添えたゲイリーを見て、リュカが不審そうに眉根を寄せた。
「……おっさん。何か知ってるのか?」
リュカの言葉で思考を中断されたゲイリーは、何も知らないとばかりに掌を振り否定して見せる。
「ん?大したことは何も。しがない情報屋に分かることぐらいのことしか知らんぞ」
「そうは言ってるけど、たぶん大体知ってるっす」
その発言に、ゲイリーがリックをきつく睨みつけた。だが時すでに遅し、言葉は放たれた後だ。リックの発言にリュカが食らいついた。
「大体って、何を知ってるんだ!?」
テーブルに勢いよく手を付いて身を乗り出したリュカだったが、問われた当のリックは相変わらず飄々としていて捉えどころがない。
「革命軍が知っているぐらいのことはこっちも知ってるっす。けど、別に何も新しい情報はないっすよ」
「だが、こちらとしてもどの程度情報が知られているのか把握しておきたい。何を知っているのか教えてもらっても?」
黙ってリュカとリックの話を聴いていたレオンが、リックではなくゲイリーに視線を向ける。
レオンの鋭い視線を受けて、ゲイリーは盛大な溜息を溢した。
「……話してもいいが、俺達は敵じゃないからな。もう完全に足は洗ってるし、サンスタシア帝国に歯向かうつもりもないっていうのは信じてくれよ」
「勿論」
「……ほんとかよ」
即座にレオンが同意を返すが、信用ならないとばかりにゲイリーは胡乱げな視線を向けた。
「ドルシグの乱で殺されたはずだが生き残っていた王族がいることや、その生き残りの王族が封印の扉を開く鍵となることなどは知っているよ。……とまぁ、大体そんなところで俺達がどの程度情報を把握しているか分かるだろ」
「……」
皆、二の句を継げることができなかった。
(どれだけ情報網があるっていうの……)
ゲイリーが話した内容は、革命軍がカインによる極小の盗聴器をもってして漸く掴んだ情報であり、大国であるサンスタシア帝国でもリュカ達によって初めてもたらされた情報だった。
それをこんな辺鄙な町に住んでいるゲイリーが知り得るとなると、ゲイリーには大国でも敵わない情報網と伝手があるということになる。
ゲイリーという人物が未知数過ぎて、イリスにはもうよく分からなくなっていた。
「これで分かったっすよね。ボスは凄いんっすよ!」
「そうそう!ボスは凄いんだから」
茫然とするイリス達を余所に、ゲイリーの隣に座るリックと床に座ったままのマリーが興奮気味にゲイリーを称賛する。二人がゲイリーを慕っていることだけは、よく分かった。
「それはもういいから。……ところで全く本来の目的を話せていないんだが、話を進めてもいいか?」
褒められて若干気恥ずかしそうにしながら、ゲイリーがイリス達に視線を向ける。
そう言われれば、話が脱線し過ぎて本来ここに来た目的の話がまだだったことをすっかり失念していた。
「協力の依頼の件、ですよね」
「ああそうだ。そのために嬢ちゃん達を呼んだんだからな」
ゲイリーは一同にぐるりと視線を向けると、イリスの所で視線を固定した。
「俺達は主に嬢ちゃんに協力を依頼したい。兄ちゃん達はおまけだな。最終的にもし嬢ちゃんが危なくなったら、兄ちゃん達の手も貸して欲しい」
「は?危険な依頼なのか?」
聞き捨てならないとばかりにレオンがゲイリーを睨み付ける。
その手が剣の柄に伸ばされているのを見て、ゲイリーはやれやれと肩を竦めた。
「まぁまぁ、話は最後まで聴けや兄ちゃん。『白い悪魔』と謳われる嬢ちゃんなら、万が一にも危なくなることなんかないから安心しな」
(『白い悪魔』は、逆効果かなぁ)
ゲイリーはイリスの強さを分かりやすく表現するために使ったのだろうが、案の定その言葉は火に油を注いだようで、レオンは益々ゲイリーを鋭く睨み付けていた。
だがそんなレオンに気付かないのか意に介していないのか、ゲイリーはイリスに視線を向けるとニッコリと不敵な笑みを浮かべた。
「ところで嬢ちゃん、足は速いか?」
「足?」
「そう、足」
突拍子もない質問に思わず聞き返してしまう。しかし協力依頼と関係ない事では無いのだろう。
「遅くはないと思います」
「バルボックの護衛に追いかけられて、逃げ切れるか?」
「バルボックってのは、この町を牛耳っている統治者っす」
護衛の力量は分からないが、護衛とは往々にして護衛対象を護るための力を磨くものである。体力作りはしても、瞬発力に注力することはあまりない。
だが反対にイリスは、膂力で男性には適わないため、瞬発力や機敏さなどの速さを磨いてきた。
故に脚力で勝てるかと問われれば、負ける気はしなかった。
「問題無いと思います」
「頼もしいね」
ゲイリーが片側だけ口角を上げてニヤリと笑う。何をさせる気なのか未だに全く分からない。
イリスは訳も分からずに、ぎこちなく笑みを返すことしかできなかった。




