報告
エルヴィン皇子一行が街道を西に進み、ドナの森の奥へと見えなくなるまでイリス達は誰も声を発することなくその場に立ち続けた。
正確に言うと、誰も動くことも視線を逸らすことさえもできなかったのだ。
漸くその姿が森の奥深くへ消えると、金縛りから解かれたかのように全員が大きく息を吐いた。
「……ったく、何しに来たんだエルヴィンの奴」
ロイが構えていた剣を腰に佩いた鞘に納めながら、一国の皇子に対して敬称も付けずに悪態を吐く。
振り返ってそれに苦笑を返しながら、イリスも同じく剣を背負っている鞘に戻した。
しかしイリスの隣に立つレオンだけは、未だにドナの森の入り口を見据え剣を構えたままだった。
「一国の皇子が、他国の領土の目と鼻の先まで突然来るなんて普通じゃ在り得ない。何か重大な目的があったはずだ。……しかし、実際は何もしないで帰った」
油断なく剣を構えながら、レオンが冷静に状況を分析する。レオンは三人の中で一番年上で、レオン、ロイ、イリスで構成されるフラッデル隊のリーダー的存在だった。
年上といってもイリスの三つ上、まだ十九歳だ。しかし思慮深く情報分析力に長けおり、イリスとロイを纏め上げるのがレオンの役割だった。
皇帝直属のインペリアルガードの中でもフラッデル隊は、フラッデルを使って戦うという新しい戦闘技術を身に着けたイリスの特性を生かすために、一年前に創設されたばかりの新しい部隊だ。だがフラッデル隊に属しているとはいえ、レオンとロイはむろんイリスと同じようにフラッデルを使っての戦闘ができる訳ではない。
フラッデル隊の任務には、フラッデルを使っての帝都の巡回というものもあるが、今回のような襲撃があった場合に先陣を切って駆け付け対応するというものがある。故にフラッデル隊に任命されるには高い戦闘能力と対応力を有していることが求められた。
レオンとロイは騎士団内でイリスと古くから親交があり連携の取れる者で、フラッデルを問題なく通常操作でき、戦闘力と対応力に長けた者としてフラッデル隊に任命されていた。
フラッデル隊の中でレオンはリーダー的存在ではあるが、良く言えば正義感が強く、悪く言えば真面目過ぎるために自分の意見を譲れず他と衝突してしまうことが度々あった。そうした時に場の空気を変えるのが、ムードメーカー的なロイの役割だった。
三人は気心の知れた仲間であり、フラッデルを使って戦うという異質さやその出自故に騎士団の中にあって浮きがちなイリスにとって、二人は心を許せる数少ない仲間だった。
「……もしくは」
森を見据えていたレオンが、漸く剣を鞘に収めながら皆を振り返った。
「何もしないで帰ったのではなく……もうすでに目的を達成したのかもしれない」
「目的って?」
何か気付いたことがあるのか含みのある言い方をしたレオンにイリスが問うが、複雑な表情をしたレオンと目が合うと気不味そうに視線を逸らしてしまった。
(もうすでに目的を達成したって、どういうことだろう)
何か目的があってここに来たのだろうとは思うが、何かを成し得たようには到底見えなかった。
予想であれ気付いたことがあるのなら教えて欲しいとイリスは視線を逸らさずに目で訴えてみるが、レオンは目を合わせてはくれない。
何となく気不味い空気が流れたその時、ロイが拳で掌をポンと叩いた。
「そうだった!で、こいつ誰なの?」
今気づいたとばかりにロイが後ろを振り返り、背に庇っていた青年を見遣る。「すっかり忘れてた」と大げさに頭を掻きながら笑うロイの言動に、イリスも思わず声を出して笑ってしまっていた。
いつもそうなのだ。場が深刻になりそうになると、ロイが気を使って場の雰囲気を和ませてくれる。きっと今も、レオンの歯切れの悪い様相を見て話題を切り替えてくれたのだろう。
とりあえずイリスは一旦レオンの言葉について考えることを止め、目の前の状況に目を向けることにした。
「彼は……あ、しまった!一度アイザック隊長に現状を報告しないと」
青年についてと何が起こったのかについて説明しなければと思った矢先、青年の後ろ遥か後方、帝都を出た辺りに黒い人垣が見えていることにイリスは気が付いた。
ドルシグ帝国の兵士と言って応援を要請したのだ。決して多すぎる数ではないだろう。それは、近衛騎士団の第一騎士団と第二騎士団がこちらに向かって進軍している光景だった。
サンスタシア帝国には、帝国の守りの要として城及び帝国内の警護、領土内の治安維持にあたる近衛騎士団が存在している。騎士団は、第一騎士団から第四騎士団まであった。
それとは別に、皇帝直属の騎士として皇帝の警護やその勅命を受けて動くインペリアルガードが存在している。
そして近衛騎士団とインペリアルガードの二つを纏めあげるのが、近衛騎士団団長でありインペリアルガード隊長である「軍総司令官」アイザック・ウェリールであった。
「あ~。もう敵さんいないのに無駄足になっちゃうね~」
「もう!そう思うなら先に連絡入れてくれればいいのに!」
ロイが頭の後ろで手を組み、呑気に悪態を吐く。
イリス達はあまり意識していないのだが、近衛騎士団からするとインペリアルガードの存在自体があまり面白くないらしく、突っかかってこられることも度々あった。そのためレオンはともかく温厚な性格のロイであっても、あまり仲良くしたい人達ではないようだった。
けれど近衛騎士団との確執は、インペリアルガードというよりイリスへのやっかみであり、レオンとロイが近衛騎士団と敵対するのもイリスを庇う為故だということをイリスは知っていた。
「あいつ等が勝手に向かってるんだろ。ほっとけばいいさ」
「そんなわけにもいかないでしょ!先ずアイザック隊長に現状を報告して、近衛騎士団を撤退させてもらわないと」
どうでもいいと言わんばかりのレオンの言葉を受け流し、イリスは耳輪の無線に手を伸ばすとボタンを押して通信を開始した。
「こちらイリス。アイザック隊長応答願います。ドルシグ帝国の兵士は街道を西に撤退。追われていた青年を無事保護。こちら側の負傷及び損害は無いものと思われます。至急、応援要請の解除を要請したく……」
『了解。ドルシグ帝国の脅威は去り、皆に怪我は無いという事だね』
「!!」
イリスの声を遮るように、無線の先から心地良い響きを持った低音が響く。当然その人物が見えるはずもないが、イリスは思わず城を振り返ってしまっていた。
「……っ皇帝陛下!報告が遅れ申し訳ありません!!」
軍総司令官であるアイザック隊長が応答するものだとばかり思っていたが、無線から返ってきたのはサンスタシア帝国皇帝、テオドール帝その人の声だった。
(ドルシグ帝国兵の襲来という未曽有の事態に、皇帝陛下自らが現状把握のために指令室におられたんだ)
イリスは背中に変な汗をかきながら、無線の声に神経を集中させた。
テオドール・ジオ・サンスタシア帝。このサンスタシア帝国を治める二十七歳の若き皇帝だ。十年前の十七歳の時に先代の皇帝陛下を亡くし即位している。先代の時代から国に仕えている宰相ジェラルドと軍総司令官アイザックに支えられているとはいえ、この大国を正しく導き善政を敷く賢帝だった。
『いや、急かしたつもりはないよ。ドルシグ帝国兵の襲来だ。大変だっただろう?』
「もったいないお言葉です……ですが、申し訳ありません。その姿を確認し次第、報告を挙げるべきでした。数名のドルシグ兵と共に、帝国のエルヴィン皇子の姿も確認致しました」
『……エルヴィン皇子が?』
表情は見えなくともその一瞬、テオドール帝の声には明らかに動揺が混じっていた。
しかしそこは若くても一国の皇帝。すぐに口調はいつもと変わらない穏やかなものに戻る。
『予想外の展開だね。しかし、君がこうして落ち着いて報告を挙げてくれているということは、エルヴィン皇子はもう去ったということかな』
「はい。青年を追ってきたドルシグ兵を迎撃している際に後から現れたのですが……。二、三言葉は交わしましたが、特に何もせず兵を連れて引き揚げて行きました」
『……』
テオドール帝は何かを思案しているようだったが、すぐに普段と変わらず言葉を続けた。
『不測の事態にも臆することなく、賢明な対応を取ってくれたものと思っているよ』
「いったん脅威は去りましたが、エルヴィン皇子が何の目的で現れ何故急に撤退したのかは不明です。私の対応が正しかったのかどうかも判断致しかねます」
『そうだね、まずは何が起こってどう対応したのか城で仔細の報告を聞こう。保護した青年も連れておいで。応援ために向かわせた近衛騎士団はこのままドナの森の警戒と帝都の守護の強化に向かわせよう』
了承を伝え、無線を切る。
程なくして、テオドール帝から全騎士に向けて無線で伝令がなされた。
簡潔にドルシグ帝国兵の姿が領域の境で確認されたことが伝えられ、第一騎士団は城に戻り城の警護、第二騎士団はドナの森周辺の警戒、第三と第四騎士団は帝都の警護と領土内の警戒にあたるよう指示が出され、インペリアルガードには緊急の招集がかけられた。
また、帝都民に不安を抱かせないように、との言葉も続けられる。
こうした帝都民への配慮をテオドール帝は忘れることがなかった。それ故テオドール帝は、帝都民からも広く慕われている。
「了解っと。じゃあ俺達は招集を受けて今から城に戻る訳だけど」
通信を切りロイがこちらを振り返る。ロイはゆっくりとイリスとレオンに視線を向けた後、自身の後ろに居る青年を見遣った。
「で?こいつ誰なの?」
「あー……」
ロイの疑問は尤もだが、イリスとてこの青年のことについてはドルシグ帝国兵に追われていたことしか分からない。
再び投げかけられた質問に、イリスは苦笑を返すしかなかった。




