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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第三章 歪な町
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白い悪魔 

 イリスは現在、宿屋の自室ではなくナリシェの町の一角にある、とある一軒家で椅子に座っていた。

 

 宿屋のイリスの部屋への奇襲の後、ボスと呼ばれている男が『話がしたい』と持ち掛けてきたのだ。

 イリスとて知りたいことは山積みだ。だが、イリスがアリスティア王女であると知られている以上、不特定多数の人間が寝泊まりし、どこに目や耳があるか分からない宿屋で話を進めることはできない。


 そうした懸念をイリスが口にすると『じゃあ、ついてこい』と言われ、この家に案内されたのだ。

 どうやらこの家は男達の家のようで、到着するなり男達は勝手知ったる様子でそれぞれ動き始めた。


 若い男の方は部屋の隅に併設されているキッチンで湯を沸かしお茶の準備をしている。ボスと呼ばれていた男の方は、イリスに座るようダイニングに置かれた椅子を勧めると、自身は対面するようにテーブルを挟んで向かい側の椅子に腰かけた。


 ボスは落ち着いた鳶色の髪の毛を短く切っているせいで、こうした明るいところでその姿を見ると見た目はより若く見えるが、先程イリスと対峙した時の身体付きや身のこなしなどをみるに、やはり四十代ぐらいだと思われた。

 醸し出す雰囲気が落ち着いており、年の功だろうか、ここに来る途中に若い男の方に出していた諸々の指示も無駄がなく的確だった。

 

 イリスは次に、顔は正面のボスに向けたまま視線だけ動かしてキッチンにいる若い男を見た。

 男は身長が高いのだろう。上部に造り付けられている吊り戸棚に頭が付いてしまっている。細身のためによりその身長の高さが際立っていた。

 男は慣れた手付きで、鼻歌混じりに沸いた湯を並べたカップに注いでいる。

 ヘーゼル色の明るい茶色の髪はボスよりも短く刈り込まれており、髪の毛と同じ色をした目は垂れ目がちだが、ともするとその髪型から厳つい風体となりそうな男の印象を和らげていた。


 キッチンにはおそらく包丁などの武器になり得るものも存在しているだろうが、今のところ男に不審な動きは見られていない。

 室内には入り口の他に扉が四つ存在しているが、イリスに勧められた椅子がちょうど入ってきた入り口の扉を背にしていたので、勧められるままにその席に着きながらイリスはしっかりと退路を確保していた。


 そしてイリスの目の前、向かいに座るボスの後ろにある扉の奥からは、男達の他にもう一つ人の気配がしていた。

 だが、部屋に身を潜め襲撃の機会を狙っている様子は見られず、殺気も感じられない。

 イリスは一先ず、様子を見ることにした。


「そんなに身構えなくていい。取って食いやしないし、そんなことになれば殺られるのは俺達の方だろう?」


 周囲を油断なく窺うイリスを見て、目の前に座るボスが声を掛けてきた。どこか緊張感がなく投げやりな言い方なのは、睡魔が襲ってきているからのようだ。ボスは隠しもせず、大欠伸をしている。

 時刻は夜半をとうに過ぎている。夜間の見張りなどで慣れているイリスはともかく、徹夜慣れなどしていない人物にとっては疲労や眠気で辛い時間帯だろう。


「自己紹介がまだだったな。俺はゲイリー・ウォーカー。俺の事はゲイリーと呼んでくれ」


 ボスと呼ばれていたゲイリーが、ちょうど若い男がコーヒーを入れ終わりカップを三つ盆に乗せて持ってきたのを見て、盆からカップを一つ掴むと眠気を振り払うように一口飲んでニカっと歯を見せて笑った。


「俺はリックっす」


 イリスの前のテーブルにコーヒーのカップを置きながら、リックは人好きのする笑みを向けた。


「ありがとう……」


 イリスは目の前に置かれたカップを両手で包み込みながら、自分は何と名乗るべきかを思い悩んでいた。


 先程、ゲイリーはイリスの事をアリスティア王女だと言っていた。そうなると、少なくともゲイリーはアリスティア王女の顔が分かるという事になる。

 

(ゲイリーは、ウィレンツィア王国の関係者なのかしら?)


 アリスティア王女はドルシグの乱の時まで、成人前の王族であるため公務は行っておらず、他国でその顔を知っている者はほとんどいない。

 しかしゲイリーがウィレンツィア王国で城勤めをしていたなど、ウィレンツィア王国の関係者であった場合、話は別だ。未成年の王族だとて生活している以上、目にすることはあるかもしれない。


(でも……それ以外の可能性もある)


 あのエルヴィン皇子のことだ。イリスを効率よく捕まえるために、アリスティア王女が生きているという噂を流した可能性もある。

 死んだと思われていた王女が生きていたとなれば、人々の格好の噂の的だろう。それに加え王女の見た目などの情報も流れれば、同じような見た目の者を見かけたという情報があっという間に広まるのは目に見えている。

 イリスの滞在先などすぐに露見してしまうだろう。


 帝都からはまだそういった噂が流れているなどの報告は受けていないが、イリス達の知らないところで事が進んでいるかもしれない可能性は捨てきれなかった。


 それ故、敵の本拠地に単身乗り込むことになろうとも、イリスは真実を確かめる必要があったのだ。


 そうして言われるがままゲイリー達の住処にやってきた訳だが、ここにきてイリスは迷っていた。

 どれだけ考えても、イリスが何者かも分からずに乗り込んできたゲイリーとリックの真意が分からず、それなのにアリスティア王女のことを知っているという事実に、思考が混乱したままだったのだ。

 

 カップの中には温かいコーヒーが湯気を立て、豆の香ばしい香りを漂わせている。イリスがカップの中身を見つめたまま固まってしまったのを見て、ゲイリーはふっと笑みを溢した。


「そんなに心配しなくても、俺が仕事柄、嬢ちゃんのちっさい時の顔を知っていただけだ。きっと他の奴等には、嬢ちゃんのことはバレてないから安心しな」


 そんなイリスを見て、何に思い悩んでいるのか分かったらしいゲイリーが安心させる様に声を掛けてきた。


「……仕事柄」

「ああ、俺は情報屋でね。割と広く情報網と伝手があるんだ」

「カッコつけて言ってるっすけど、元は何でも屋っす」


 リックがゲイリーの隣の椅子を引きながら、よいしょという掛け声と共に腰を降ろす。

 せっかくの見栄をリックに挫かれ、ゲイリーは隣に座ったリックの背中を平手で勢いよく叩いた。バシッといういい音が、深夜の静かな室内に響き渡る。


「痛っ!事実なのに酷いっす!」


 背中を擦りながら非難の視線を向けて訴えるリックに、ゲイリーは顔を逸らしてふんっと鼻を鳴らした。

 そのやり取りが何故だかリュカとレオンを彷彿とさせ、こんな状況であるにも関わらずイリスは思わず笑みが零れた。


(……リュカ、大丈夫かしら)


 だが笑みを浮かべたのは一瞬で、イリスは一人宿屋に置いてきてしまったリュカのことが頭を過り表情を曇らせた。


 このナリシェの町の黒幕を見極めるために、レオンとロイは今町を不在にしている。

 宿屋を離れる際に無線で連絡を入れ、イリスが男達に付いて行くこともリュカを一人残して行くこともレオン達に知らせていた。そのため一旦宿を離れるイリスに代わって、町の外からドルシグ兵の襲撃に対しての警戒を強めてくれることになっている。

 殺気や異様な気配は今のところ感じられないので宿屋が襲撃されるようなことにはなっていないが、いつ何が起こるかは分からない。できるだけ早くリュカの処に戻った方がいいだろう。


 イリスは意を決すると、目の前にいるゲイリーを真っ直ぐに見据えた。


「私は……イリス・ヴェリール、です」 


 イリスの名乗りを聞いて、一瞬ゲイリーが眉を顰めた。


 アリスティア王女だと名乗らなかった事に対して怪訝な顔をされたのかと思ったのだが、それは直ぐに見当違いだと分かった。

 ゲイリーはテーブルに肘を付いて額を掌で押さえ「イリス・ヴェリール」と何度も呟きながら視線を彷徨わせ、何かを逡巡している。


「お姫さんじゃなかったんすね?」


 そんなゲイリーを気にも留めずに、何のてらいも無くリックがイリスに問いかけた。

 核心を突く質問であるにも関わらず、リックはカップを傾けてコーヒーを啜りながら、世間話の一つでもするように気軽に訊ねてきている。


「……」

 

 イリスはまたしても、何と答えるべきかを迷った。

 自分がアリスティア王女だと肯定することはできない。それは自分自身がそうだという確信を持てていないからという理由もあるが、寧ろ、知ってしまった人々を巻き込んでしまう可能性があるために伝えることができないという理由の方が大きかった。


 今後エルヴィン皇子は、何としてもイリスを捉えようとしてくるだろう。イリスに関する情報も、それこそどんなに小さなものでも集めにかかるかもしれない。

 事実、イリスが八年前に身を寄せていたアンナ宅が、真っ先にドルシグ兵によって狙われたのだ。


 今後旅の中で、どんなにドルシグ兵に襲われ追跡されようとも、イリスならそれを返り討ちにする自信があった。

 しかしイリスがどこか遠くの場所にいる時に、イリスの事情を知る人々がドルシグ兵に襲われたら護りようがない。それが心苦しかった。

 故に、イリスは自分と関わりのある人を新たに作ったり事情を知る人をこれ以上増やすことに、躊躇いがあった。

 

 イリスは一口も口をつけていないカップの中身をじっと見つめる。

 ゲイリーとリックがイリス達に害を成す人達でないことは何となく分かる。しかしだからといって、イリスの事情を話し巻き込むわけにはいかなかった。


 言葉に詰まるイリスをよそに、問うたリック本人はもう興味を無くしたようで眠そうな目を擦ると、またカップの中身を啜って何とか眠気を誤魔化している。


(なんだ……そんなにたいした話でもなかったのかな)


 そんなリックの姿に安堵し、このまま誤魔化して質問を無かったことにしようとイリスが画策し始めた矢先、突然バンッという大きな音がしてイリスもリックも驚いて音のした方を見た。

 音の出所は目の前に座るゲイリーだ。先程まで額に手を当て考え込んでいたのだが、その手がテーブルに勢いよく落とされたらしい。

 その顔には驚愕の表情が浮かび、目が見開かれている。言葉を発しようとして開かれた口からは驚きのあまり、まだ言葉が紡がれていなかった。


 一拍おいて、少し冷静になったのかゲイリーが信じられないという面持ちでイリスを見た後、ゆっくりと口を開いた。


「イリス・ヴェリール……何処かで聞いたことがあると思っていたら……嬢ちゃん、サンスタシアの『白い悪魔』か」

「っ!」


 ――瞬間、時が止まった。


 おそらくゲイリーとリックの体感ではそんな風に感じたことだろう。

 一瞬の風圧を感じたその後ダイニングに座る二人の目に映ったのは、椅子に片足を乗せたイリスがテーブル越しにゲイリーの喉元に剣を突き付けているという信じがたい光景だった。


 二人には何が起こったのかも分からない。ただ、気付いた次の瞬間には恐ろしい形相でこちらを睨み、椅子に片足を乗り上げ剣を構えるイリスがそこにいたのだ。


 身動ぎするだけで首にその刀身の先が食い込みそうになり、呼吸一つまともにできずゲイリーがゴクリと唾を飲み込む。

 喉仏が上下するその僅かな動きだけでも、切先が皮膚を掠めた。




 イリスには、本人が望まない称号や二つ名がいくつか存在している。


 例えば戦いの場で、『一騎当千』と謳われるのもその一つだ。

 戦争などでそうした働きをしたわけでもないのに、各国の軍関係者にそう評されるのは本人的にはかなり過大評価だと感じている。

 しかし実際に、イリスはドルシグ帝国からの斥候や刺客などを相手に戦うことがあり、多勢に無勢であってもそれに勝利を収めるという実績からの評価であった。

 

 そうして相手にしたドルシグ兵から、イリスは自身が何と呼ばれているのかをよく知っていた。


 イリスはインペリアルガードのフラッデル隊として、帝都上空から巡視を行っている。

 街を一望できることから、ドルシグ帝国がらみでなくとも、騒動が起きた際に一番に気付き対応することになるのは必然的に騎士団の中でもフラッデル隊が多かった。

 そしてイリスの場合その実力故、応援部隊の騎士団が到着する前にすべての決着がついてしまうのも、いつものことだった。


 そのため、ドルシグ帝国兵は空を自在に駆る真白な軍服を着た騎士が現れたら、死を覚悟し相討ち覚悟で挑めと命令されているのだという。


 ――空駆けるサンスタシアの『白い悪魔』。


 イリスをそう表するのは、ドルシグ帝国の者だけなのだ。






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